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馬に鹿


店の外に出れば、人もまばら。
夜空が高くて、時間の遅さを感じさせた。

「それで?紅涙はどうするつもりだ。」

晋助君は車道とを分けるポールに軽く腰を掛ける。

「わ、私は大丈夫だから…晋助君は万斉君のとこへ戻って、ね?」

私は晋助君の前を、「じゃぁね」と片手をあげて通った。

だけど、
すぐに手首を掴まれる。

「俺は戻らねェ。お前と居るからな。」
「だっだから私は帰るんだってば!」
「帰れるんならな。」

掴まれた手を振り払い、私は駅の方へ足を進めた。

「電車はねェっつってんだろ?」
「分かってるよ!」

駅のロータリーにはタクシー乗り場がある。

ここから私の家まで距離があるせいで高くなるだろうが、仕方ない。

「ほぉ、タクシーで帰るつもりか。」
「そうだよ。」

少し後ろで晋助君が歩く。

かろうじてロータリーには一台のタクシー。

やった!

私は晋助君に振り返る。

「私、あれ乗るから!」

"じゃぁね"と声を掛けつつも、足はタクシーの方へと向いていた。

晋助君は何も言わない。

私がほんとに帰るから、
機嫌悪くなったのかな。

…ま、いいや。

もう関係ないもん。
二度と会うこともないだろうしね。

そんなことを思いながらロータリーに着いた時、突如ブワッと風が吹く。

何かと思えば、
私が乗ろうとしていたタクシーへ向かって走って行く男の人だった。

「えっ、ちょっ」
「いやァ良かったァァー!」

そのグラサンを掛けたサラリーマン風の男の人は、タクシーの前で息を整えた。

はぁ、と心底嬉しそうな顔をして「いや、実はさ」と言う。

「俺さァ今日会社クビになっちゃって!ヤケクソになって入った店がぼったくりやがったから机ひっくり返してやったら裏でボコられてさァ、気が付いたらゴミ袋抱きしめて寝てたけど何とか終電に乗って帰ってきたら定期ねェの!仕方ねェから事情説明して平謝りしてこんな時間になっちまったんだよなァ。タクシーまでなかったら俺野宿だわって思ってたとこだったんだよ、って帰っても野宿だったわ!アハハ…あれ?もしかしてお嬢さんも乗るつもりだった?」

…。

「い、いえ…。」
「そうかい、じゃ俺は失礼するぜ!」
「は、はぁ…。」

後ろで「ククッ」と堪える笑い声が聞こえた。
振り返る前に晋助君が私の肩を叩く。

「帰ることは諦めな。」
「〜っ、タクシー会社に連絡する!」

きっとすぐに次のタクシーが来る。

ううん、
来てもらわないと帰れない。


なのに。

「…なんで…。」
「だから諦めろって。」

次のタクシーが来るまで40分は掛かると言われた。

「まさか待つとか言うんじゃねーだろォな。」
「だって…待たないと帰れないし…」
「俺が始発まで付き合ってやるっつってんだろ。」

「行くぞ」と手を引かれて、
「行かない!」と払うのに、


「甘ェんだよ、さっきから。」


晋助君の手から、離れられない。

違う、
放してくれない。

「お前に付き合ってやるのも終いだ。」

ずっと、私から離してたんじゃなくて、

「ククッ、ほんとにお前は見てて飽きねェな。」

晋助君が、
離してたんだ。

「出会い求めてたんだろ?良かったじゃねェか。」
「ッ、」
「あーその顔。お前は怯える顔が一番いい。」

彼の口角が歪む。
笑顔には程遠い、黒い笑み。

『まぁ世間一般の男を見て来なさいな。』

お妙ちゃん、
私、馬鹿だった。

だって、
こんな人が居るなんて、思わなかったんだもん。

『ならどっか知らねェ男に拉致られて、己の未熟さを知って来い。』

そんなのあるわけないって、思ってた。

どうにかなるって。
逃げることぐらい出来るって。

トシ、
ごめん。

私、何も知らなかった。

男の子って、
こんなに力があるんだね。

だって近藤君も沖田君も、トシも、

弱いんだもん。

それが、

私にだけ、
弱いなんて、

世間知らずな私が、気付けるわけないじゃん。

「暗ェ顔してんじゃねーって。行くぞ。」
「ッ、離して!」
「まだ暴れる気か?」

どれだけ私が喚いても、周りに人が居ないんだから意味がない。

助けてくれる人も、
この子に敵う力も、何もない。

こういう時、


『もう俺ァ知らねーからな。』


頼っても、いい?

トシ。
都合良いこと言ってごめん。

でも、


「トシ…っ…、」


トシしか思い浮かばない。

私は握られている手と反対側の手で携帯を掴み、履歴からトシの番号に掛ける。

「おい、何をしてる?」
「電話!」

晋助君に返事をしたと同時に、『ンだよ』と不機嫌な声が聞こえた。

「こんな時間にごめん、寝てた?」
『寝てねェよ。何だ、早速自慢の電話ですか、紅涙サン。』
「あー…、あの、さ、お願いがあるんだけど」
「今度は誰に電話してんだ?」

掴まれた手は離さず、晋助君が私の前に立つ。
携帯へ近づくように寄って来た顔を、避けるように逸らした。

『紅涙、お前まだ誰かと居んのか?』
「う、うん、電車がなくなっちゃって…、」
「紅涙、代われ。俺がその友達に心配ねェって言ってやるからよ。」
「いっいらない!」
『何の電話だよ、全く。』

電話の向こうで呆れる声がする。
『切るぞ』と言われて「違うの!」と慌てて繋いだ。

「このままっ、このまま電話しててっ、」
『はァ?お前何言って』
「紅涙、切れ。行くぞ。」
「やっ、やだってば!行かない!電話してるのが分からないの?!」
『…、お前今どこに居る?』
「じ、情意駅。」
『情意駅だァ?!ったく、ンな遠いとこで』
「貸せ、携帯。」
「もうっ、やめてってば!」
『紅涙、そこで待ってろ!いいな!!』
「あ、ちょっ…、…切れちゃった…。」

切らないでって言ったのに。
電話してれば、晋助君に無理矢理連れて行かれることもないと思ってたのに。

でも"待ってろ"って。

来てくれるの?

…いや、無理だよね。
トシの家から自転車で来れない距離だもん。

わざわざタクシー乗って、とか?

そんなの、優しすぎるよね。
あるわけない。

でもでも、"待ってろ"だもん。

待ってるよ、トシ。


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