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蛙の王子


「もう気は済んだか?」

そう言って、
晋助君はダルそうに駅の時計を見た。

「あのっ、さっきの子が迎えに来てくれるって!」
「あァ?」
「だから待つ!ってことで、帰って?晋助君。」

私は携帯を持ったまま、繋いだ晋助君の手を離すように軽く叩いて促した。

晋助君は私を黙って見て、はぁと面倒そうな溜め息を吐く。

「さっきの、」
「へ?!」
「さっきの電話、男か?」
「お…おお…女の、子だよ。」

男だと言えば、すぐにでも連れて行かれそうで。

晋助君は変わらず私の顔を黙り見る。
私はそれにギコちない笑顔を返した。

すると、

「そうか。女か。」

晋助君は、今までとは違う細い溜め息を吐き、

「…晋助君?」
「何だ。」
「あ、いや、別に。」

やんわりと、笑った気がした。

気のせい、だよね。
今度は私がジッと晋助君を見ていれば、

「チッ…、らしくねェ。」

晋助君はグッとまた手を引いた。

「ちょっ、晋助君!私はここで待つって」
「分ァってる、そこで座ンだよ。」

顎で差した場所は駅前のベンチ。
「来い」と言われて座っても晋助君は手を離さなかった。

「ね、晋助君。座ってるんだし…手、離しても…、」
「お前、逃げそうな気がする。」
「にに逃げないよ!」

初めはそんなこと考えてたけど。

「ほ、ほら、手も暑いし…。」
「…。」

ようやく晋助君は手を離した。
ずっと掴まれていた場所は、晋助君の手の痕が薄らと残っている。

「逃げんなよ。」
「だから逃げないって。」

逃げたら本当にどうにかされてしまいそうな目で晋助君は見る。

そこにピピピと電子音が鳴った。

「…万斉か。」

晋助君は携帯を取り出し、電話に出た。

私には聞こえないけど、
何か向こうから話してるよう。

みんなは楽しんでるのかなぁ。

「…まだだ。」

晋助君が向こうへ答える。

「情意駅の前。」

場所を聞かれたのだろう。
すると晋助君は「煩ェな」と携帯を耳から少し離した。

「万斉、お前の部屋何時までだ?」

晋助君は駅の時計を見上げる。
「あぁ」と返事をしたり、「俺も思うさ」と鼻で笑ったりする。

「せいぜい気をつける。」

それを最後に、晋助君は電話を切った。
私が「万斉君?」と問えば、「あぁ」と言って携帯をしまう。

「あっちはカラオケ中?」
「そうみたいだな。」
「そっか。」

その言葉で会話がなくなった。
シーンとする駅のせいで、より静かな気まずさに思う。

せめて何か話さないと…、なんて思ってたら晋助君が「狂った」と言った。

「予定が狂った。」
「"予定"?何か用事あったの?」
「…。」

晋助君は時計を見上げた。

「お前を万斉の部屋へ連れていくつもりだった。」
「…え?私…を?」

万斉君の部屋?
なんで?

「…。」
「し、晋助君?」

晋助君は私の顔を見て、ふっと鼻で笑った。

「お前、肝心なところで鈍いな。」
「そ、そうかな…。でも万斉君の部屋に行く理由は分かんないなぁ…。」

何か見せられても、
私は幹事の子みたいにバンド好きとかじゃないし…。

って言うか万斉君はカラオケ行ってるし。

「万斉の親は夜居ねェからな。つるむ部屋に使ってんだよ。」
「…それで?」
「まだ分かんねェのか?つるむ連中は今カラオケでいない。そこをお前と俺だけで使う。」
「…ま、まさかそこで良からぬ一夜を!?」
「それ以外に何することあんだよ。」

ひぃぃっ、
本当にそういうこと考えてたんだ!

「でででも私とは今日のさっき知り合ったばかりで」
「そんなもんだろ。」
「そそそそんなもんなの?!」
「だが失敗だ。失敗は初めてだ。」
「えぇぇぇ?!」

驚く私を見て、
晋助君はククッと笑う。

「お前は俺の周りに居ねェタイプだな。」
「そ、そうかもね。」
「だから調子狂っちまった。今日は俺の打率には無効。」
「だ、打率?」
「だが、」

晋助君がグイっと顔を近づける。
私は驚いたせいで、思わず息を止めていた。

「こういうヤツも落とせるようにならねェとな。」
「なっ!?」

長い晋助君の前髪が、私の頬をくすぐる。


「お前、俺に興味ねェのか?」


何という声を出してくるんだ、この男は!

本当に同じ歳?!

私は「ないよ!」と言って自分の耳を塞いだ。

「そんな赤ェ顔して、興味ねェわけか?」
「うっさい!ないってば!!」
「紅涙なら、お前だけにしてやってもいい。」
「どっどういう意味!?」
「お前だけの俺にしてやってもいいっつってんだよ。」

ななな何だこの発言はぁぁ!!

「しっ晋助君?!一体自分を何者だと」

---プップー!!

言葉を遮るようにして車のクラクションが鳴る。
大きすぎる音は、きっと近くのマンションにも届くほど。

「何だ?」
「煩っ…、誰が鳴らして」

「紅涙っ!」

ロータリーで車の中から私を呼ぶのは、

「ト、トシ…?!ぇ…く、車?!」
「…あれがさっきの友達か?"女"の。」

晋助君が鋭い目で私を見る。
私は苦笑して、「じゃぁ帰るね」と立った。

「紅涙、悪かったな今日は。」
「えっ…、」
「恐がらせただろ?」

晋助君…、
なんだ…本当は優しい子なんだ…。

「ぁ、うぅん。こっちこそ…ごめん。晋助君のこと勘違いしてた。」
「お前が謝ることはねーさ。」

晋助君は座ったまま、「忘れもん」と言って私に物を投げた。

何かと思えば、しまったはずの私の携帯。

あれ…?
おかしいな…、いつ落ちたんだろ…。

「気を付けて帰れよ。」
「うん、ありがと!じゃぁね!」
「あァ。…"また"な。」

私は迎えに来てくれた車へと走り寄った。
窓から中を覗き込むと、運転席にトシの姿がある。

ま、まさか!
まさか私を迎えに来るために?!

「トットシ、いくら何でも無免許で運転はっ」
「アホ。無免許なわけねェだろーが。」
"5月に免許取った"

助手席に座ると、トシは手慣れた様子で車を出した。

「し、知らなかった。」
「言ってなかったからな。」
「なっ何で言わなかったの?!隠すなんて」
「言ったらお前らの足に使われるだろーが。」
「あぁ……、…早速ごめん。」

シュンとすれば、トシは「はぁ〜ぁ」と欠伸をする。

「ほんと…ごめんね…。」
「構わねェよ。」
「…都合…、いいよね。電車なくなったから迎えに来てとか。」
「いいって。何か面倒なことになってたんだろ?」
「ん…。」

信号で停まった時、「感想は?」と聞かれた。

「合コンの感想。聞かせろ。」
「うぅ…。」
「いい男は?彼氏は?」
「うぅぅっ…。」

黙りこむ私を見て、トシは鼻で笑ってお茶を飲んだ。

ドリンクホルダーにあったペットボトルのお茶に蓋をして、「お前も飲む?」と差しだされた。

「飲…む。」

こういう小さいことでもドキドキする。

学校とか、
他の子がいる前ならもっと気も紛れるけど、

ここは車で、
私服で、
トシと私しか居ない。

「動くから気をつけろよ。」
「ん。」

蓋を開けて口をつけた。

間接キス。

そんなことを思ってると案の定、

「ブッ!」

段差のせいで車が揺れて、お茶が大量に流れ込んで来た。

「バッカお前言っただろーが!」
「だ、だってぇ…、」
「ティッシュは後ろ!」
「了解!」

助手席から何とか後ろを向いて、思いっきり腕を伸ばす。

後部座席のシートの上にあるから、なかなか取れなくて。

「あとちょっとぉぉ…、」

上半身をほとんど後ろへ向けて、必死に腕を伸ばしていれば車が止まった。

「取れたぁぁ!!」

その停車の振動でティッシュに手が届く。
ふぅと思いつつ助手席へ身体を戻す時、横腹から腕が巻きついた。

「っ?!」

確認しなくても分かる。

トシだ。

「トトト、トシさん?いいい一体何を…」
「…何も、なかったのか?」
「へ?!」

ギュギュっと巻き付いた腕が、あまりにも心地よくて。

後ろに捩じったままの中途半端で間抜な姿勢も、全然苦痛じゃなかった。


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