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ホタルの光


どういうわけか私に巻き付いた腕。

その腕から、
僅かにトシの温もりが伝わる。

「ト、トシ、運転しなきゃっ、」

耳に自分の心音が聞こえて来そうなほど私の頭の中は騒がしかったけど、
私は誤魔化すようにトシの腕をポンポンと叩いた。

トシは、

「端に寄せた。」

そう言って、私のシートベルトを外した。

「なっ、何…、」
「…。」

縛り付けられていた物がなくなると、必然的に身体の向きが自由になる。

私はトシと対面するような形になった。

「紅涙、」
「は、はい?」

うぅ…、
この近さとこの沈黙はキツイ…。

意識するなという方が無理だ。

何だか只ならぬ空気に、
目もどこか泳がせ気味だった時、


「心配した。」


トシは一言、そう言った。

高くもなく、低くもなく、
悪く言えば感情もなく、

それは単純に真っ直ぐで。

「トシ…、」

私は何も言葉が出なかった。

「遅ェ時間からの合コンだっつーし、お前どっか抜けてるとこあるし。」
「うっ…、そ、それは…、」
「男が欲しいとか言ってっけど、経験多いわけでもねェからフラフラついて行くかもしれないし。」
「なっ?!それはないよ!ついて行くなんて」
「お前が行かなくても、無理矢理つれて行かれるかもしれねェ。」
「うぅっ…、」

ますます否定できなくなってきた。

「べ、勉強します…。」

私は苦笑して目線を下げた。
するとトシは「違う」と言った。

「勉強すんな。」
「へ。」
「別にンなこと勉強する必要なんてねェ。」

トシは黙って私を見る。
私もトシを見て、"間違った返事だったか"と考えていた。

はぁとトシは溜め息をつき、

「お前は鈍い。」

頭をシートに凭れさせた。
トンと揺れて、その振動でトシの髪が流れる。

「に、鈍い…?」
「あァ、鈍い。」

それ、
今日だけで何回言われただろ…。

私って…、
よほど鈍いのね…。

遠い目をしていれば、トシは「まァいい」と眠そうに目を閉じた。


「トシ、眠い?」
「ん、問題ない。」

いやいや、
だいぶ眠そうだけど。

「ごめんね、早く帰ろ?」
「いや…、」
「私が運転できればいいんだけど…。」
「紅涙…、」
「何?」

トシは目を閉じたまま、ゆっくりと口を動かす。


「俺、紅涙が好きなんだけど。」


まるでそれは、
寝言のようにすら思える光景で。

私はやっぱり、

「…へ…?」

間抜けな声で返事をすることしか出来なかった。

「…、ぇ…えーっと…、」
「聞いてンのか?」
「きっ聞いてるよ。」

まだトシは目を瞑ったまま。
それで気付いた。

あーこれは。
これはあのスカートの時と同じだ。

「じょ、冗談にはもう引っかからないからね!」

冗談というやつだ。
私は「そこまで馬鹿じゃないっつーの!」と言って、自分のシートベルトに手を掛けた。

そうしたら、

「っ、」

首を思いっきり引き寄せられて。


「冗談じゃねェ。」

トシが、
私の目の前にいて。


「あの時も、今も。冗談なんかじゃない。」


眠そうだったはずのトシの眼は、いつものように鋭い。

暗いせいで、
その瞳に光が何度も反射してる。

「どれだけ遅くても、お前が呼べば行ってやる。」

あぁ、耳が焼ける。
こんなことってあるだろうか。

「ト、トシ…、」
「何だ?」
「それ…、ほ、ほんとに…ほんと?」
「あァ。」
「学校で会ったら、"馬鹿じゃねェの?"とか言わない?」
「ブッ。言わねェよ。」

…どうしよう、
どうしようどうしようどうしよう!

「どうしよう…っ、」
「何が?」
「すごい…っ嬉しい…!」

私がどこか安心したように笑えば、トシは目を丸くした。

やんわりと撫でるようにトシの手が頭に乗り、


「俺も、嬉しい。」


また眠そうな眼になって、微笑んだ。

なんだ、
合コンなんて行く必要なかったじゃん!

いや、違うな。

行ったからこそ、今があるんだ。

ふふ、と二人で笑った後、
ゆっくりと距離が近くなって。

「紅涙…、」
「トシ…、」

目を閉じた時、

---ヴーッヴーッ

すごいタイミングで携帯が鳴った。
このバイブは電話だ。

「あ、携帯鳴ってる。ちょっと待ってトシ。」
「放っとけ。」
「だけど、っん、」

チュッと唇が当たって。

少しだけ離れて、
見つ合って笑った。

トシが「もう一回」と言ったのにまた笑って、目を瞑れば、

---ヴッヴッ、ヴッヴッ

「…携帯が…。」
「あァ?!誰だよこんな時間に!」

さすがに立て続けにあると急ぎの用事だろう。

私は怒るトシに苦笑して、携帯を探した。

カバンから取り出して、
携帯を開く。

ディスプレイには、
やはり着信1件と新着メール1件。

誰かな…。

幹事の子かも。
そうだ、
先に帰っちゃったわけだし、こっちから連絡しとかないと…。

そんなことを思いながら、まずは着信の方から確認した。

「…。」
「…紅涙?」

さり気無く、携帯をトシから見えにくいようにした。

「…何でもないよ。」

単調な声で、私はトシに返事をする。
だが頭の中は、恐ろしいほど慌ただしくなっていた。

ちょ、ちょっと待って。
何で…、何で?!

私、メモリ登録した記憶ない!!
その前に交換した記憶すらない!!

しかし紛れもなく、
ディスプレイには「晋助」と映し出されていた。

もしかして…、
もしかしてメールも…?

変な勘だけは冴えていて、新着メールを確認すれば案の定の晋助君。

読まないといけないのに、
私は動揺したせいで、ただ文面を目で追うだけだった。

「…。」
「おい、紅涙。」
「…、ナンデモナイヨ。」
「分かり易過ぎるぐれェ挙動不審だろうがっ!」

とうとう隠すのに限界を超えた動揺は、呆気なくトシにバレて。

「貸せ!」

強引に携帯をひったくられた。

「あっ、」

マズい気がする、
と思ったのも束の間。

「誰だァ?これは。」

トシの顔が徐々に引き攣る。

「…きょ、今日合コンで知り合った…子…。」
「随分と仲良くしてたんだなァお前。」
「え?!」

私にグイッと向けられたディスプレイ。
暗い車内で携帯の光が異様に明るい。

目を細めるようにして、晋助君からのメールを読んだ。


"お疲れ。
時間なくて何も出来なかったが、お前と居るのは楽しかった。

次は簡単には帰さねェから、覚悟しとけ。

絶対ェ落としてやる。"


「…。」
「…何だよ、これ。」
「な、何と申されましても…、私にもさっぱり…、」

何てメールを送ってくるんだ、この男はぁぁぁ!!

それもこのタイミングで?!
生まれつきの極悪じゃん!!

「何だ、この"時間なくて何も出来なかった"ってのはよォ。」
「ごっ誤解よ、トシ!何をするつもりも」
「お前、まさか向こうにもイイ顔してんのかァ?!」
「ち、違うってば!!」
「モテ期になんかさせるかコノヤロー!!」

トシは勢いのまま晋助君のメモリを消して、私に「二度と連絡取るな!」と言った。

とは言え、
向こうは私の番号もアドレスも知ってるわけだから、こっちが消しても意味ないんだけど。

とは言えず、
私は素直に「はい」と敬礼した。

ようやく家へと動いた車での帰路。

「トシ、」
「あァん?」
「あの、さ、その…、」

トシは前を向いたまま。
私はその横顔を控えめに見ながら、息を少し多めに吸った。

「好きっ、だよ。」

また目を丸くしたトシは、こちらを見る。

だって、
私からまだ言ってなかったから。

私も好きなんだよって、伝えたいもん。

ハンドルすら離してしまいそうなトシを見て、
私が「まっ前見て!」と言うと、「お、おぅ」とすぐにハンドルを握り直した。

「ばっ馬鹿野郎!そう言うのは…、た、対面して言え!」

トシの表情は分からないけど、
こちらから見える耳が真っ赤になっていた。

あぁぁ…、
今すごい幸せ。

まさかこんな風になると思ってなかった。

…あ、そうだ。

「トシ、」
「ん?」
「お願いが…、あるんだけど。」
「何だ?」

私はこちらを見れないトシの横顔に、ニコリと笑んだ。

「合コン、行かないでね。」

こうなった以上は行っちゃダメだよね。
世間一般的にはダメだよね。

ってか、ダメだ!
行ってほしくないし!!

「…。」
「ね?トシ。」
「…。」

信号で止まった時、
トシがそれはそれはジットリとした目で私を見て、


「それとこれとは話が別だろ。」


ハンと鼻で笑って言った。

え、

「えぇぇぇぇ?!何で?!何で別?!」
「あァ?!心配しねェでもお前みたいに不埒な関係作らねェよ!それにお前だって言ってただろーが、頭数変わるから急には断れねェって!」
「そっそうだけど!理由を言ったら分かってくれるんじゃ」
「明日だから無理。」
「明日ぁぁぁ?!」

なんでそんな急なのよ!

ってか行くの?!
え、行くの、合コン?!

こんな私とは真逆に、トシは「プ」と小さい笑いを漏らした。


「笑える話じゃないでしょ?!」
「いや、だってよ。これって全く同じじゃねェか?」
"お前の時と"

言われれば、確かに同じだ。
私がトシになって、トシが私になってる。

でも!

「状況が違うじゃん!だってもうトシは私とっ…、」
「"私と"?」
「わ、私と…、」

なんだ、なんだ。
この言わせようとする嫌な企みは。

変に恥ずかしいじゃんか!

「私と…、っ、付き合って、るんだから…!」

投げつけるように言えば、
トシは満足そうに「そうだな」と笑って頷いた。


「だから俺を信じて待っとけ。」


間違ってるー!!
この人、なんか間違ってるー!!

結局行くんじゃん!

A PartEnd..
2010.6.5


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