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Onze


「…やべぇ…。」

台所。
俺は冷蔵庫の前で口を押さえて呟いた。

坂田が包丁を持って「何が?」と振り返った。

「いや、別に…。」
「お前、酔ったんならトイレ行って吐けよ?」
"男の介抱するなんてご免だね"

ハンとそれだけ言い捨てると、坂田は手際よくツマミを用意する。

生憎、
そんなレベルの話じゃねェ。

俺は今、

「何…してんだよ。」

紅涙に何をしたんだ。

坂田はまた、
包丁を持って振り返り、
「ツマミ作ってんだよ、文句あんのかコラァ」と言った。

それに「黙れ」と返して、
先ほどまで居た部屋をこっそりと窺い見る。

「…。」

紅涙はボーっと座っている。
目を擦る仕草も見える。

「アイツ…泣いてるのか?」

まさか。
まさか俺が無責任なことをしたから…。

あの時、俺は。

"身体が勝手に動いていた"
という言葉は都合がいいが、
本当に、考えるよりも先に紅涙に触れていた。

紅涙は、

俺よりも坂田に甘えているようで。
それは等しく、頼っているようにも見えて。

ずっと傍にいる俺が、
お前をこんなに想っているのに、なんて。

「…くそっ、」

独り占めしたい。

子どもみてぇに、
俺の頭はそれだけで一杯だった。

見ないふりをしていた気持ちが、
いつからか開けっ放しになっていた。

それなのに。
誰かを欲することが、久しぶり過ぎて。

自分でも、
どうしていいか、分からない。

「とりあえず…謝る、…か?」

紅涙の気持ちは分かっていたはずだ。

"女"として見られることを好まず、ただ皆と一緒に居たいのだと。

そんなあいつを、
俺は押し倒した。

傷ついた…に違いない。

「謝る…、…、よし。」

そう決心して、
俺が元いた部屋へ戻ろうとした時。


「待てよ。」


坂田が呼び止める。
肩を掴まれて、俺は振り返った。

「…何だ?」
「大串君さ、どう思ってんの?」
「…はァ?」
「トボけんな。紅涙ちゃんのこと、どう思ってんだっつってんだよ。」

さっきのことを見られていたのか?
俺のこと茶化すつもりか?

一瞬で色んなことを想定しながら、
俺は一番"俺らしい"返事を探していた。

「…。」
「黙ってんじゃねェよ。」
「…部下だ。」
「本当にそれだけだろーな?」
「他に…何がある?」

坂田を睨みつけるように見た。

これ以上、
聞いてくれるなと。

坂田は「ふーん」と軽く返事をして、
「なら、」と自分の作ったツマミを持った。


「俺、紅涙ちゃん落とすから。」


…。


「ちゃんと、本気で。」


坂田が、
俺の眼を見た。

その眼に、光が入る。


「大切にする。」


普段のこいつじゃないことは、
ゾッとするほど分かった。

俺は、何も言えなかった。

「ま。お前に言う理由もねェんだけど、一応な。」

坂田はまたいつものようにダラりと歩いていく。

紅涙の方へ向かう背中を見て、『駄目だ』と喉の先まで出た。

だが、

「…そうか。」

俺に、
止める理由がなかった。

確かに坂田は、
喰えない野郎で。

だが、
真の通った男だ。

揺るぎない魂を持ち、己を貫く。

守りたい者は、
命に代えても守り通す。

認めたくないが、
男としてなら、そこら辺を歩くヤツより何倍もいい。

「…。」

紅涙にとって、俺は。

手を出す上司。
良くても、兄程度。

幸せを祈ってやるのは当然。

俺に、
止める言葉はない。

坂田は紅涙の隣に座り、机に皿を置いた。

「紅涙ちゃーん、ツマミ出来た…ってあれ?どうした?」
"酔ったのか?"

紅涙の額に、坂田が手で触れる。
「大丈夫です」と紅涙が笑う。

その紅涙と、俺の目が合ったのに。

「…。」

目を逸らした俺は、
なんて小さいんだと思った。


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