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Cinq


「はぁ、はぁ、」

道場に響くのは私の音だけ。
ただでさえ暑苦しい場が、余計に暑く感じる。

「はぁ、…、」

どれだけ竹刀を振っても、
どれだけ汗を流しても、

「…。」

無心になれるのは、
その時だけで。

「私、…役に立ってるのかな…。」

アッという間に、
元の場所に戻ってきてしまう。

ポトッと床へ落ちた汗を見て、
私はタオルを手に取った。

「…ダメだ。強くなることだけ、考えなきゃ。」

タオルに顔を埋めて、ギュッと顔を押さえつけた。

こうして悩んでしまうのは、
きっと余裕が出てきたからだ。

隊長職になって、
生活にも余裕が出てきたからだ。

「初心に、戻ろう。」

もっと一生懸命になろう。
置いて行かれないようにしなきゃ。

真選組に、
みんなに、

土方さんに。

『…胸、貸すか?』

やばい…。
そう言えば私、
とんでもないボロを出してしまった。

昔は土方さんの前で随分泣いたけど、今更また泣いてしまうことになるとは…。

「は、恥ずかし過ぎる…。」

どんな顔して会おうかな。

無かったことにして普通に…、
いや、
ここはちゃんと謝って…。

「あぁ…どうしよ…。」

実戦の判断は素早いのに、
こういう部分は悶々と考えてしまう。

頭の中で色んなシチュエーションをしながら竹刀を直した時、

---ズズッ

重い木の引き戸が音を立てた。
自分の立てた音じゃない上に、
考え事をしていたせいで、ビクりと身体が小刻みに揺れる。

音の方を見れば、


「よォ。」


土方さんが居た。

「…お、お疲れ様です。」

辛うじて出た言葉にホッとした。
土方さんは「おォ」と相槌を返し、周りを見渡すようにして近づいてくる。

「終わったのか?」
「あ、…はい。」
「そうか。」

私は床に置いていた刀を手にして、腰に差した。

何故か土方さんは、
その私の行動に眉を寄せた。
それはきっと土方さんも無意識なほど、僅かにだけど。

怒られる…?

思わず肩に力を入れた私に、土方さんは不思議そうな顔をした。

「どうした?」
「い、いえ…。」

お互い様子を見るような、
居心地の悪い空気が身体中を纏う。

「…。」
「…。」

あぁ気まずい。
土方さんはどうしてここに来たのかな…。

稽古…?
私が居て、ビックリしたのかな…。

「あの…私終わったんで…どうぞ。」

土方さんに頭を下げて、
足早にすれ違おうとした時に「隊服」と声を掛けられた。

「隊服のまま、稽古してたのか?」

通常、
稽古は稽古着でする。
隊服じゃ通気性が悪いし、動き辛い。

でも私は、
帰ってからその足で来たから隊服のままなわけで。

「はい、…すみません。」
「謝る必要はねェよ。」
「はい…、すみま…あ。」

やば。
この空気のせいで、
また謝るとこだった。

私は今度こそ「失礼します」と足を進めた。

だけど、また。

「待てよ。」

土方さんが止めた。


今度は、
手首も掴まれた。

「土方、さん…?」
「…。」

握り締める私の手を、土方さんは凝視した。

「…紅涙。」
「な、何ですか?」

さっきよりも強く掴まれた手首が、ピクりと揺れた。

土方さんは真っ直ぐに私を見て、「よく聞け」と念を押す。

そして。


「お前が、大切だ。」


一瞬、
鳥肌が立ったかもしれない。

静かな道場に、
土方さんの低い声。

突き刺すような、
土方さんの眼差し。

「今更失うなんて、考えられねェ。」

どうしよう。
鼓動が早くなる。

意識、
しない。
しちゃ…ダメ。

なのに。


「身体だけは、大事にしろ。」
"頼むから"


包み込むように、
土方さんの手が私の手と重なって。

「こんなになるまで、するな。」

そこで初めて気付いた。
自分の手の平から血が出てることに。

「…。」
「…土方…さん、」

私、
何て声を出せばいい?

何を、
言っていい…?

「…あ、の…、」

私の声を皮切りに、
静かに黙っていた土方さんがパッと手を離した。

「…。」
「ひ、土方さん…?」
「…飯。」
「え…?」

今までの鋭い眼差しが嘘のように、土方さんはクルりと私に背中を向けた。

「…飯、呼びに来てやったんだよ。」
「え…ぁ、はい。」
「おばちゃんが、…飯食わねェんだったら仕舞うって言ってたぞ。」

展開の早さに、
呆気に取られている私を、
土方さんはチラリと振り返る。

「食うのか?食わねェのか?」

夕飯…、
そりゃ食べます!

「すぐ行きます!」
「なら行くぞ。」
"俺もまだ食ってねェ"

そう言って、
ついさっきの私のように、
土方さんは足早に道場を出て行った。

「まっ待ってください!」

いっぱい考えたいことはあったけど、
今は土方さんを追い掛けた。


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