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Huit


「変態野郎が。」

土方さんのその顔は無表情で、
水気を払う坂田氏を見下げている。

「やりやがったなコノヤロォ!」

ペショペショ頭の坂田氏が、それを睨み付けた。

だけど、

「悪かったな、紅涙。」

土方さんは坂田氏を全く気にすることもなく、上着を脱いだ。

そしてそれを私に差し出す。

「お前まで濡れちまった。」
"俺の着とけ"

手渡された服を受け取る。

「あ、ありがとうございます。」

その受け取る自分の手が、
僅かに震えていたことに驚いた。

すぐに手を引っ込めて、
土方さんの上着を抱き込んだ。

「おいおい、上着欲しいのは俺の方なんですけど?!」

「寒っ」と言った坂田氏が、私の腕にしがみつく。
すかさず土方さんがグラスを手に取った。

「なんだ、まだ水が足りねェのかテメェは。」

土方さんは側にいたお嬢に「氷入りの水」と頼む。
それを見た坂田氏が慌てて離れた。

「ばっ、ちょっとフラついただけだろーがバカッ!」

土方さんは「あっそ」と軽く返事をして、入れてもらったグラスを残念そうに見ている。

その時、「あら」と声がした。

「賑やかだと思ったら、紅涙ちゃんじゃないの。」
「あっ、お妙さん!」

お妙さんはニコりとして「いらっしゃい」と笑む。

その笑顔のまま、
土方さんの側にいたお嬢に「あそこにドンちゃん4本追加ね」と言った。

"あそこ"はもちろん"近藤さん"のところ。

いいなぁ…、
私もドンちゃん飲みたい。
ペリニヨンさんと肩組みたい。

「あら、銀さん。雨でも降ってたんですか?」
「違ェよ!コイツがっ」
「まぁいいわ、とりあえず出入口で何だし座ってってね、紅涙ちゃん。」
「オイィィ聞いときながら無視?!」

「じゃぁね」とお妙さんは近藤さんの席に戻った。
坂田氏はお妙さんの背中に文句を言いつつ、お嬢にタオルを頼んでいた。

「どうしますか?土方さん。」
「どうするって何が?」
「い、いや、お妙さんが"座ってってね"って言ってくれてたんで…その…ちょっと飲んだりなんか…」
「しねェよ。」

う…。
やっぱり。

「そうですよね、車で来ちゃったし… 。」

近藤さんも大丈夫そうだし、
ここは帰るしかないか。

「ンなあからさまに、しょげんなよ。酒なら帰って付き合ってやるから。」

土方さんと静かにお酒。
ここで呑むよりずっといいかも。

私が「それで我慢します」と悪態付けば、
土方さんは「何様だテメェ」と笑った。

お嬢は最後の最後まで土方さんを引き止めたが叶わず、私に「フンッ」と吐きつけて店へ帰って行った。

す、
すごい顔された。

「…。」
「何突っ立ってんだ、早く乗れ。」
「…はぁい。」

ムカムカする気持ちを深呼吸で捨て、ようやく車に乗り込んだ。


「チッ、匂い付けやがった。」

エンジンを掛けた土方さんが、自分の腕をクンクンと匂う。

私も鼻を鳴らす。
あ。これ、今流行りの香水だ。

「ほんとですね。車の中にも充満してる。」
「帰ったらファブんなきゃな。」


そう言って、
発進しようとした時。


「大串君、それ俺にも貸せよ。」
"地味に高ェんだよね、アレ"


私も土方さんも、
その声にビクりと身体を揺らした。

そして、
二人同時に後部座席を見た。

「テメェッ何乗ってやがんだ!」
「なっ何やってんですか坂田氏!」

動揺する私たちとは真逆に、
坂田氏は時折「ヒック」と喉を鳴らして淡々と喋った。

「だってお前ら帰ンだろ?ならついでに俺も送ってもらおうと思って。」

坂田氏はニィと私に笑んだ。

「タクシーじゃねーんだよバカ野郎ォォ!」
「同じようなもんだろーが、形が。」
「誰がシャーシの話してんだよ!」

駄目だ、
この二人に終わりが見えない。
放っておけば…この夫婦漫才、
きっと一生終わらない気がする。

私は土方さんに耳打ちした。

「土方さん、送ってってあげましょう?」
「あァ?!何言って」
「送らないと降りませんよ、この酔っ払い。」

こうしてる間にも、
坂田氏は「何してんだァ?」と前に顔を突き出してくる。

土方さんはたいそう面倒臭い顔をして「今日だけだからな」と言った。

「坂田氏、良かったですね!」
「おゥ助かったぜ!これも紅涙ちゃんのお陰だな。」

私の座る助手席に、ガバッと両手が生えた。

正確には坂田氏の手が両側から伸び、シートごと抱き込むようになった。

「ヒィィ!!」
「万事屋ァ!!」
「へいへ〜い。」

これから暫く、
坂田氏本人曰く"イイ感じの酔い"により、煩いほど賑やかな車内となった。


そしてこの時はまだ、
実は坂田氏がドンペリを持っているなど知る由もなく、

帰り着いた万事屋の前で、

「ちょっと付き合わねェ?」
"コレで"

などと見せつけられた上、

「ぜひ付き合わせてください。」

と、
あっさり車を降りることになるとは思ってもいなかった。


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