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紙風船


俺たちはいつも通りの朝を、
迎えるはずだった。

『私が、っ…、言えるうちに…、』

紅涙が、泣くまでは。

『後悔っしたくない…っ、』

「…。」

あいつの言葉は、

『っ、少しでも、多く、っ、』

紛れもなく、

『一緒に、いたいからっ…、』

別れを示唆する言葉だった。
"一緒にいたい"のに、"別れる"という。

それなら"別れなければいけない"ということになる。

誰かに吹きこまれた?
いや、行動範囲からしてその確率は低い。

俺を起こしてまで言おうとした。
あの紅涙が。

「"時間がない"…か…。」

何か切欠があるはずだ。

そんなことを、
言わなければいけなかった切欠が…。

「…。」
「あ、副長おはようございます!」
「…。」
「うわ!どうしたんですか、副長!!」
"マヨネーズ使ってないっすよ?!"

覗きこむ薄い顔を見て、食堂だったことを思い出す。

ここずっと、
部屋に飯を持ちこんでいた。

だが今朝は、
少し考えたくて。

「もしかして副長…、本当は脱マヨネーズとかして顔色悪いんじゃ…、」

山崎は勝手に俺の前に座る。

「無理はよくないっすよ副長!俺持ってきま」
「山崎、」
「はい!」
「失せろ。」
「え?!」

目を向けるのも面倒だ。

「失せろ、お前のテンションうぜェ。」

溜め息をついて言えば、
山崎は顔を引きつらせて席を立つ。

「…はぁ、」

こんなに煩かったのか、食堂は。

耳から入る音が、
身体の中に積っていく気がする。

重い。

眼も、
身体も、
気持ちも。

「…マズ。」

飯も美味く感じられなくて、
俺はほとんど手をつけていない盆を持って、

「原田、これやる。」
「まじっすか?!飯代浮きました!ありがとうございます副長!」

後ろ手を振って食堂を出た。


「…、」

真っ直ぐ部屋に帰るのはまだ整理出来てなくて、

「…煙草買ってくるか。」

見回りも兼ねて、外に出ることにした。

行き交うヤツらが俺を二度見する。
通り過ぎても、
何か話題にしているのが聞こえる。

「うぜぇ…。」

しょっぴいてやりたい気持ちを押さえて、自販機で煙草を買う。

すぐその場で開けて、火を点ける。

「ふぅ…、」

どことなく気持ちが晴れないせいか、気だるい。

「天気も悪ィしな…。」

どんよりとした空を見上げて、煙草を吸う。

「あいつ、どうしてっかな…。」

紅涙は部屋で何をしてるだろう。
また泣いてるかもしれない。

「…、」

あれだけ必死だったんだ。
きっと今も考えてるに決まってる。

「もしかしたら、…、」

黙っていなくなってるかもしれない。

「…。」

そう考えた瞬間、まだ長い煙草を捨てた。


簡単に想像できた。

部屋に誰もいない風景を。
紅涙がいない部屋を。

始めから無かったように。

また、
あいつは消えてしまうかもしれない。

…"消える"…。

「…"消える"…、"時間が…ない"…、」

離れていたものが、繋がってくる。


「あいつ…消えるのか…?」


どこかに行くとか、
離れるとか、

そんな次元の話じゃなく…?

あれだけ泣くのは、
もう二度と…会えないから…?

「…何で…、消えるんだ…?」

だとしたら要因は…?

「…、何が…切欠で…、」

そう呟いた時、
「降ってきちゃったわ!」と慌てる声がして、無意識に空を見た。

「…雨か。」

まずいな、
早く帰んねェと濡れちまう。

そう思って足を進めた。

その時、
不意に眼に飛び込んで来たのは、

「っ…、」

店のガラスに映る俺。

「…。」

その姿は、
あまりにもおかしい。

頭の中にある自分の姿より何倍も痩せていて。

思わず自分の顔を触った。

「…、」

同じように、
ガラスの中の俺も頬を触っている。

『トシ!このままじゃお前は潰れるんだぞ!?』

近藤さんの声が頭に響く。

「…どんだけ疲れてんだよな。」

俺は自分の姿に鼻で笑う。

この姿を見たのは、今が初めてじゃなかった。
市中見回りの時に見た。

ただ、

「こんな顔してたら、またあいつが心配するな。」

そんなことを思った後に、
もう一度見てみれば、想像通りの俺が映っている。

つまりは、幻。
または、錯覚。

「ほらな。」

今だって、
俺は普通だ。

痩せてねェし、
酷く疲れた顔もしていない。

とは言え、
そんな風に見えてしまうほど疲れているのは確かだ。

「…休暇でも取るか。」

紅涙をどこかに連れてやろう。

そうしたら、
きっと色んなことを考えなくて済む。

また、
俺たちは笑って過ごせる。

嫌なことは忘れればいい。
いや、忘れさせてやるよ。

俺が、
お前を守ってやる。

「いつにするかなァ…。」

そんなことを考えながら、
小雨に降られた俺が部屋に戻った時、

「っ!!」

部屋の奥にある窓から空を見上げる紅涙が居て。

俺は咄嗟に、


「行くな!!」


紅涙の手を掴んでいた。

「土方様…?」

不思議そうに首を傾げて、

「外に行かれてたんですね、濡れちゃってますよ?」

やんわりと笑って、俺の肩から水滴をはたく。

「…、」

どうして、

「…どうされましたか?」

どうして俺は今、
紅涙がどこかに行くと思ったんだ…?

「なァ…紅涙、…、」

それはあまりにも鮮明に浮かんだ。

だから、


「お前…、消えたり…しねェよな…?」


眼を背けることは、出来なかった。


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