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誰の幸福


総悟さんは、二日後にしようと言った。
私はそれに首を振った。

「今夜で、いいです。」

そんなに早く?と驚く総悟さんに、私は微笑む。

「早く、終わらせたいんです。」

日を延ばしてくれたのは、総悟さんの優しさかもしれない。

だけどそれは、
もう必要のない時間。

"早く終わらせたい"

これは、逃げること?

…違う。
違う…よね、きっと。

「それじゃあ、今夜で。」

総悟さんの部屋を出る。
私は軋む廊下を歩きながら、今夜までを考える。

鍛冶屋には当然、刀の姿で行く。
総悟さんが私を持って。

事前に、
鍛冶屋へは夜に伺うことを連絡してくれるそうだ。

それまでに私がすることなんて、特にない。

強いて言えば、

「…着物。」

この服を返すことぐらい。

「うまく…畳めるかな…。」

土方様の部屋へ戻れば、
存在しないはずの煙草の匂いが僅かに香る。

「…今度は…、本当に、お別れですね。」

誰もいない部屋。
私の声は、静かに溶けた。

「また、…前のように忘れるのかな。」

私がいなくなった後、
土方様は私の存在を忘れてしまうのだろうか。

こんな歪な存在は、
誰かの記憶にも残してくれないんだろうか。

「…、それで、いいのかな…。」

彼にとっては、
それがいいのかもしれない。

私が覚えていればいい。

だって私は、
いつだってあなたを見ていれる。

「隣じゃ…なくても、」

そう。
今までのような、
息の掛かる距離じゃなくても。

「…ずっと、見ていられる、から。」

ここからずっと高く、遠く、その先で。

「私は、…寂しくない、よ…。」

一人じゃないもの。

ここで、
あなたがくれたモノがたくさんある。

気持ち、

温もり、


『なァ紅涙…、』


私の、名前。


『急に消えたり…しねェよな…?』


…、


『またあの時みてェに…、俺に黙って…消えるのか?』


騒がないで、思い出。

これで、いいの。

「っ…、」

これしか、ないの。

何もかも、
誰もが幸せになる方法なんて、ないのよ。

だから、
私はあの人を選んだ。

「初めて見つけた、っ、大切な人…っ、」

私の大切な人が幸せになる方を。


『お前の幸せって…何だよ。』


これが、私の幸せ。

「…。」

その時に、気付いた。

「…、…私…、最悪だ…。」

結局、
私は自分の幸せを選んだ?

土方様の幸せだと言って、
本当は私の幸せを叶えるためだった?

「…どう、すれば…、」

どうすれば、正しいんだろう。

「分からない…、」

どうすれば、
私はあの人のためになれるんだろう。

「分からないよ…、」

教えてほしい。

何が正しいのか。
私は、間違っているのか。

「誰かっ…、」

誰か、教えて。

「私にっ、出来ることは…っ、」

『浄化のみなり。』

「っ…。」

頭に響いた声は、
いつかの沼で私を待つ声と同じ。

いつだって、私を本来の姿に戻す声。


『欲深き妖刀。思念は無用。』
"ただ還ることが、主のため"


その声は、すっと空気に伸びる。


『罪は、終える。』


伸びて、消えた。

「…。」

私は瞑りかけていた眼を開く。

ああ、そうか。
今、はっきりと見えた。

私の、意味。
この姿の、意味。

「…これは、私の罰。」

幾度となく、人を殺めた罰。
想いを残し、この世を去った者たちの念。

「こうしてある…"紅涙"の存在は、罰だったのね。」

私が願ったから、
人の形になったんじゃなかったんだ。

土方様の傍に、と願ったからじゃなかった。

誰かを想い、満たされ、
離れなければいけない辛さ。

もがき、悩む苦しさ。

私の身体に染みついた血が、

それを知らしめるために、"紅涙"として存在させたんだ。

そしてそれを体感した今、

「…そっか…、」

私は、終わるんだ。

「本当に…、何もかもが終わるのね…。」

過去も、
今も、これからも。

「…楽しかった、愛おしかった。」

胸に手を当てる。

「だけど苦しかったり、辛かったりもした。」

私の中に渦巻く、
数えきれない血へ。

「幸せなのに、悲しかったりもして。」

あなた方の想いを、
私に見せてくれてありがとう。

「あの人が、…全てだと思えた。」

かけがえのない苦しみを、ありがとう。

「…だからこそ、…、」

忘れられない罰を、ありがとう。

「離れることは…、何よりも痛いのね。」

全てを理解したつもりはない。

それでも、


「人とは、…すてきな存在ね。」


そう、思える。


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