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蜃気楼


『…ま、』

…誰だ。

『…たさま…、』

俺を、呼ぶのは。

『…とう、…方様…、』

…紅涙…?

『…ありがとう、土方様…。』

ここは、どこだ。
真っ白で、何も見えない。


『ありがとう、土方様。』


紅涙の声。
どこからともなく、ただ静かに響き続ける。

「紅涙?…いるのか?」

俺の声は、
何の返りもなく、どこかへ消える。

「何だよ…、ここは。」

誰もいない。
俺一人が、ただ突っ立っている。

「夢、か?」

そうだ、こんな変な場所。
現実にあるわけない。

夢。

なら、夢を見る前の俺は何をしていた?


『ありがとう、土方様。…、』


なおも響く紅涙の声。
考えようとしても、その声が邪魔をする。

あまりにも切ない声。
今にも泣いてしまいそうだ。

「紅涙、どこにいる?」

早く、会ってやらないと。

「紅涙!いないのか?!」

声はする。
これも幻聴?

こんなに悲しい声を、
お前は夢の中でまで聞かせるのか?

"夢の中でまで"…?


『ありがとう、土方様。…そして…、』


雲が分かれていくように、真っ白な世界の先が見える。

『…そして…、』

その先には、


『さよなら…、』


無理矢理に笑ってみせる、


『さよなら、土方様…。』


紅涙の、泣き顔だった。

「っ!!」

瞬間、身体が落ちるような感覚に襲われる。

「おおっトシ!!」
「…近藤、さん…?」

嬉しそうに覗き込む近藤さんの顔。

周りを見渡せば、
先ほどとは違う白い病室。

「いや良かった!良かったよトシー!!」

俺の胸で泣くかのように、近藤さんの低い泣き声が腹に響く。

息苦しいと思えば、口には酸素マスク。
腕には同じリズムで流れ続ける点滴。

「俺は…一体…?」

何だ、この重病さは。

酸素マスクに手を掛ければ、「おいおい!」と近藤さんが顔を上げた。

「まだ駄目だろ?!」
「何が?」
「さっきまで意識なかったんだぞ?!もっと慎重に動かねーと!」

そう言って、
近藤さんはまた俺の口に酸素マスクを戻す。

それを俺が止める。

「いや、いらねェって。」
「いらないわけねーだろ!」
「いらねェんだって!むしろ酸素多いくらいで苦しいっつーの!」

何だよ、何で病院?
別にどこも痛くねェし。

「俺、何でここに居るんだ?」
「覚えてないのか?倒れたんだぞ、部屋で。」
「部屋で?」

部屋…。
ああ、そうだ。

確か…あの時、
すげェ苦しくて。

でも息苦しいとかよりも、もっと深くて。


「だが良かったよ、顔色も今じゃ随分いい。」

必死に、何かを繋ぎとめようと。

誰かを、
繋ぎとめようと…。

「やはり妖刀が原因だったんだろうな。」

"妖刀"…。

「トシには申し訳ないが、処分させてもらったぞ。」

妖刀…、

「村麻紗…?」
「ああ、…だがこれもトシのためを思って」
「っ!!」

一瞬で、血が煮える。
カッとなるとはよく言ったものだ。

気がつけば俺の眼には、

「ぐっ、ト、シッ!」

近藤さんの胸倉を掴み上げていた。

「処分…だと?」

紅涙。
紅涙を…、処分…?


『私は…、…還るんです。』


「どこに、やった…、」
「ト、シ…、落ち、着け!」
「どこにやったんだっつってんだよ!!」

掴んだ服を持ち上げるように、締め付けていく。

「言え、近藤さん。」
「トシっ…もうあの刀のことは忘れるんだ!」
「どこにある?!どこに持って行った?!」

ドンと壁を殴りつける。

「っトシ!あまり動くと」
「言えっつってんだろーが!」
「グっ…、さ、さっき…総悟から連絡がっ、」
「どこだ?!」
「鍛冶屋、に…っ」
「っくそ!」

投げつけるようにして近藤さんから手を放した。
げほげほと咽るその姿を横目に、腕の点滴を引き抜く。

傍に掛けてあった着流しを羽織って、俺は部屋を出た。

「おっおいトシ!駄目だ!!」

近藤さんが後ろから声を掛ける。
騒動から看護師も出てくる。

「土方さん?どうされたんです?!」
「煩ェ!」
「戻ってください、土方さん!」
「触んじゃねー!!」

振り解けばキャァと悲鳴が上がる。

俺は全てを振り切って、
たった一つ思いつく鍛冶屋へ向かった。


外は既に暗く、
お陰で、俺の妙な格好もそれほど目立たない。

鍛冶屋。
総悟が鍛冶屋に持って行った…?

「あいつが…何でっ…、」

総悟と紅涙に接点はない。

勝手に総悟が?
紅涙もそれを望んでいたからそのまま?

もう処分し終わったのか?

いや、
だがまだ俺が倒れてから半日。

そうすぐに事は進んでいないはず。

「頼むっ…、間に合ってくれ!」

お前が居なくなるなんて、考えられない。

恐い。
失うのが、恐い。

考えられない。
考えたくねェよ。

「紅涙っ…!」

お前に、俺はもう必要ないのか。

「間に合ってくれっ…、」

焦ったせいか、
それともこれからのことのせいか、息を切らして辿り着いた鍛冶屋。

中からは火の明かり。
それに照らされるように映る人影。

戸を開ける時間すら惜しい。


「紅涙っ!!」


勢いよく開いた空間。
独特の熱気が頬を通り過ぎる。

そこには俺の姿に驚く総悟。

「土方さん…、アンタ…なんでここに…。」

俺を見上げる鍛冶屋。

「来ちまったのかい。」
"呼んだのかねェ妖刀が"

その手には、


「紅涙…っ…、」


真っ二つに刀身を折った、


「紅涙ーっ!!!」


村麻紗があった。


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