18


夜の終わり


頭が、ついていかない。

「紅涙っ…、」

あそこにあるのは、確かに俺の…。
俺の村麻紗、紅涙だ。

「どう、して…っ、」

吐き気が、こみ上げる。

身体が、
バラバラにされてしまったような感覚。

「そんな…っ…、」

息を浅くする俺に、鍛冶屋は呆れたような声で言う。

「妖刀をここまで使い切るとはすげぇよ、あんた。」

そう言って「だが」と続ける。


「それも、これまでだ。」
"もうこれは死んでる"


"死んでる"…?

「この刀は斬れない。直すことも出来ない。」

お前に、何が分かる。

「村麻紗だって、そんなまま置かれても嬉しかねーだろーよ。」

お前に…何が…っ!

「何が分かるっつーんだよ!!」
「やめなせェ土方さん。」

振りかざした腕を、後ろにいた総悟が止めた。

鍛冶屋の顔色は変わらない。
まるでそういう男を何度も見たという風に俺を見る。

「土方さん、これは紅涙が望んだんでさァ。」

その言葉に、総悟を見る。
総悟は「信じられやせんが、」と溜め息をつく。

「紅涙が、俺に頼んだんでさァ。」
"ちゃんと、全部を説明して"

紅涙が…?

「アンタも聞いてたはずですぜ。」
"紅涙が還りたがってたこと"

『幸せに、なるために…還るんです。』

「アイツだって、…苦しんでたんでさァ。」
「…。」
「テメェだけが苦しんでると…思うんじゃねェ!!」

その直後、ガリッと頬が鳴った。
ぐらりと傾いた身体を立て直せば、視界の端には総悟の握り拳。

口の中には、生ぬるい鉄の味。

「きっと…紅涙はテメェより苦しんでたんだ!」

なんで…。
何でだよ、紅涙…。

「紅涙…っ…、」

俺の幸せは、
お前の幸せと違ったのか…?

一緒だと思っていたのは、俺だけだったのか?

「何でだよ…、紅涙…、」

俺は総悟に背を向けて、折れた刀まで歩く。

「おい副長さん、手が切れちまうから触らねェ方がいい。」

鍛冶屋は手で制すが、
それを無視して折れて落ちた刃を拾う。

もう一方には、鞘のついた小さな刀。

「こんなに…なっちまって…。」

手が切れるなんてわけねェ。

こんなに刃がボロボロなんだ。
もうコイツには、誰も傷つけられやしねェ。

「ごめんな…っ、紅涙…、」

折れた刃をなぞる。
二度と元に戻らない刀。

お前には、
もう逢えないのだと分かる。

「紅涙っ…、」

どうしようもないのだと、分かるのが辛い。

抱えるように折れた二つの刀を持てば、鍛冶屋が一歩近づく。

「…副長さん、もう持たない方がいい。」

放すことなんて、出来ない。
この手から、もう二度と離せない。

それでも、
元のようには戻せないから。

せめて。


「…懐刀に、してくれ。」


この身に、
常に触れておけるように。

俺もお前も、
寂しくないように。

「この長さなら…どうにか出来んだろ。」
「やめておけ。本当にあんたは心を喰われちまってる。」
「黙れ。」
「このままじゃ身を滅ぼすのも」
「黙れっつってんだよ!」

そう声を上げた時、


『土方様、』


紅涙の声が、頭に響いた。

「…紅涙…?」
『もう、いいんですよ土方様…、』

俺とは違い、
紅涙の声は酷く落ち着いている。

「何が…っ何がいいんだよ!勝手に何言ってやがる!」
"姿を見せろ!!"

鍛冶屋は俺の姿を見て、さらに憐れむ顔を強めた。

「姿を…っ見せろよ、っ!」

俺の声が部屋いっぱいに広がった時、


『…、土方さま…、』


刀のすぐ傍。
俺の目の前に、紅涙が立っている。

だが、


「お前…、何で透けてんだよ…、」


紅涙の身体は、
向こうが見えてしまうほど透けていた。

俺の後ろでガタンっと音が鳴る。

「なっ何てことだ…っ!!」

鍛冶屋が紅涙を見て腰を抜かす。
紅涙は困ったように笑い「はじめまして」と言った。

そのままの眼で総悟を見て、「ごめんなさい」とまた苦笑する。

「いや、予定外でしたからねィ。」
"こっちも悪かった"

そう言って、総悟が俺を見る。
紅涙も俺を見て、やんわりと笑った。

『土方様…、』

話す紅涙の顔は、
今までに見たことがないほど綺麗で。

『辛い思い…させて、ごめんなさい…。』

俺の頬に触れた手は、
今までに感じたことがないほど冷たくて。

『長い夢を、見せてしまって…ごめんなさい。』

今までにないほど、俺は絶望していた。

紅涙の声は、
どれも先はないのだと聞こえる。

『私はもう刀の姿に…留まれない。』
"薄いのが、何よりの証拠"

別れしかないと、言っているようで。

『…還ります、土方様…。』
「っ…、」

声を出そうとしても、どうしてか喉に力が入らない。

まるでそれを分かっているように、紅涙は小さく笑った。

『少し遠くに行くだけ、です。』
「…ッ、」

声が、出ない。

『遠くで、ちゃんといます。』

紅涙っ…、

『還るだけ、だから。』

紅涙、紅涙っ…、

『大丈夫、だから。…っ、』

冷たい手が、俺の頬を拭うように触れる。


『泣かないで…っ、土方様…、』


瞬きをした時、それは真っ直ぐに落ちた。

気付くと、溢れてくる。
視界は歪んで、瞬きをすれば落ちる。

その眼から見る紅涙は、俺と同じように泣いていて。

『大好き…っ、土方様っ…大好き…っ』

触れた唇は、ほんの一瞬。
名残り惜しそうに伸びる紅涙の手。

離れる身体。

『…っ、どうか、』

その時の紅涙は、まるであの夢のようで。


『どうかあなたがっ…幸せに、過ごせますように…っ。』


無理矢理に笑ってみせる、


『笑って…過ごせますように…っ。』


紅涙の顔。

『ありがとう、土方様…、』

その姿が、より薄くなる。
不意に伸ばした手は、空しく泳ぐ。

『名前を…、ありがとう…。』

その声を残して、

紅涙は消えた。


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