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済度の手


正直、あの場で姿を現せるとは思っていなかった。

「…あの鍛冶屋に入った時から話せなくなってたし…。」

総悟さんに連れてきてもらった時から、
私は自分の意思を伝えることは出来なくなっていた。

「もしかして、あなたのお陰…?」

いつかに来た、真っ暗な中。
私は道のない道を歩きながら一人呟く。

だけど独り言にはならない。


『約束を守った。』


必ず、声が返ってくるから。

「約束…?」
『忘れたのなら構わない。』

約束…。
…ああ、思い出した。

"そして願わくば、
もう一度だけ、話させて"

土方様が倒れた時、そう言った。

「そっか…、叶えてくれたんだ。」
『皆が、叶えてやりたいと言った。』
「皆…?」

いちいち考えさせる言葉を言う。

こうしている間に、
もう結構な距離を歩いているに違いない。

『お前の中にあった者達。』
「…私に夢を見せた人?」
『夢?』
「ええ、あれは夢よ。とても、いい夢。」
『あれは罰。』
「違うよ…。」

私も、
あの人も。

とても、良い夢を見た。

「…土方様は、どうなったの?」

どれぐらい時間が経ってるんだろう。

「私のことは、やっぱり忘れる…?」

どんな風に、
あの場所から立ちあがったんだろう。

「身体とか…壊してないかな。」
『一度に言うな。』

その声は溜め息をつく。
それに私はふふと笑った。

どうやら話し相手は、一人じゃないようだ。
前に聞いた声と、この声は違う。

土方様の元に居た刀が、集まってきているんだろう。

つまり、
あの人に使われた刀は、みんな彷徨ってないということ。

丁寧に手入れされ、
愛でるように共に走る。

ここにいる刀はみんな、土方様を慕ってる。

『あの場に居たものは、全員眠った。』
「どういうこと?」
『駆け付けた仲間により、目を覚まして帰った。』

三人とも、眠らされてしまったんだ。

近藤さん辺りが来たのかな。
それとも山崎さんかな。

きっと、
仲良く眠ってる三人を見て驚いただろうな…。

『身体は壊していない。元通りだ。』
「そっか。良かった…。」

あんな生活しても、壊れなかった丈夫な身体だもんね。

きっと、
これからも大丈夫…。

『それと、お前のこと。』
「…うん。」
『忘れている。何もかも。』
「…そっか…。」

予想通り、と言えば予想通りかな。

忘れた方が、いいよね。
悲しかったことも、苦しかったことも、全部忘れて。

きっと、
土方様はいつものように過ごして行く…。

「…良かった。」

うん、…良かった。

「辛かったけど…、ちゃんと…離れられて良かった…。」

ここで私は一人だけど、
話し相手はいるようだから。

「いつか、私も慣れるのかな。」

あんなことがあったとすら忘れてしまうほど、
過去の話になるんだろうか。

「…、」

今はまだ、
ただ胸が、苦しいばかりだけど。

「還れて、…良かったよ…。」

心から、
きっとそう思える日が来るよね。

『しばらくは、休め。』
「…休む?」
『休めば、時が解決する。』
「…うん、そうだね。」

だけどこれは、
時に任せて消してしまいたくない気がする。

目を逸らしたいほど悲しいけど、
この悲しさがなくなれば、何も残らない気がするから。

『休め、村麻紗。』
「…。」

声が、暗示のように響く。


『また目覚めの時まで、今はしばしの休息を。』


それは…どういうこと…?
頭に浮かんだ私の声は、口から漏れずに消えた。


真っ暗で、
ふわふわした身体。

軽くて、
…ああ、そうだ。

水の中にいるみたいな感覚。

身体がだるくて仕方なかった。

吸い込まれるように眠りにつき、浅く起きて、また眠る。

そんなことを、
何度か繰り返していた時。


『起きよ、村麻紗。』


私を起こす声がした。

「まだ、眠い…。」
『目覚めの時は来た。』

"目覚め"。

確か、
眠る前にも言っていた言葉。

何だかずっと、
頭に引っかかっていた言葉。

「…ねえ、目覚めって何…?」

私の声には、
必ず誰かが返していたのに。


『我らはそなたに全てを与える。』


初めて、
私の言葉を無視した。

「何?何の話…?」
『お前は私たちの予想以上の輝きを持った。』

まだちゃんと覚めきらない頭で聞く。

「輝きって何?」
『罰の時間を、主は覚えていない。』

罰。
あの時の、話。

『だが、主は傷を残した。』
「どう…いうこと…?」
『今も、傷つき続けている。』

土方様に、傷がある…?

『主の心に、穴が出来た。』
「あ、な…?」
『誰にも埋められぬ。主自身も困惑している。』

心の、穴…。

『だがあの傷は、己でつけたもの。』
『我らは完全に消した。なのに傷が出来た。』

そんな…。
自分で、傷…を?


『忘れたくないとあの瞬間、己で傷つけた。』
『主はそれを忘れた。』


っ…、
どうして…っ…、
どうして…また騒がせるの…。

そんなこと、聞くと…、
また、…っ逢いたくなってしまう…。


『それだけ、そなたの存在は大きかった。』


そう、言ってくれるだけで十分だ。

「ありがと…。」
『だから、我らは決めた。』
「え…?」

声は、いつの間にかさらに増えていて。


『我らの幸せは、主の幸せ。』
『だから我らはそなたに全てを与える。』


どういう…こと…?


『村麻紗…、否。紅涙。』
「っ!」


思わずその名前に身体が震える。
いつもより少し楽しそうな声が言った。


『お前を、人の世界へ送ろう。』


う、そ…。


「そ、んなこと…出来るの…?」
『人を作るのは不可能。故に、人のような存在。』
『そなたの残っている刀身を軸に、以前のような姿を作る。』

耳から入ってくることは、信じられない話ばかり。

『我らの思いは、主の思いと連動する。』
『主の思いが消えれば、そなたの姿も消えることになろう。』

あの人のところに、行ける…。

『寿命はもって主の寿命と等しく。』
『短ければ、明日やもしれぬ。』

いい。
それでも、いい。

『主の幸せは、我らの幸せ。』

私、
また逢える…。

『紅涙、そなたの幸せは?』
「土方様の幸せが、私の幸せ…。」

ああっ…、
本当に…?
これは夢の続きじゃない?

どこかぼうっとしたままの私が答えると、声が揃えて響いた。

『よかろう。』

私の目の前に、
あの時に折れた刀が現れる。

『さあ、行け。』
『お前はもう村麻紗ではない。』

私は折れた村麻紗に触れる。
バチッと朱色の光が走る。


『ここから主と行くお前は、主に与えられた名。』


朱色の光は、私の腕を伝う。

そのまま、
刀身は溶けるようにわたしの身体に入った。


『我らの思いと共に。』
『主が求めるその心と共に。』

「ありがとう、…私…、行ってくる。」

『我らの幸せを。』
『主の幸せを。』
『そなたの幸せを。』


『生きておいで、紅涙。』


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