21


君は、


『さあ、紅涙。』

遠くに聞こえる声。

『目を開け。もう始まっている。』

私は重い瞼を開ける。

『主とお前の時間は動き出した。』

ぼうっとしたまま、身体を起こす。


『あとは、主の想いのままに。』


無意識に支えた手。
畳を押すようにしてある私の手。

「か、らだ…。」

胸の前で手を握る。
服は、あの時に返さずになったままの着物。

「本当に…戻った…っ。」

みんなのお陰で、ここに戻れた。

嬉しくて、嬉しくて。
ありがとう、と口にしようとした時に気付いた。

「っ、もう…いないの…?」

私の傍に感じていた声達が消えている。

どこにも、いない。

"我らはそなたに全てを与える"

あれは、
そういうことだったの…?

私に、…全てをくれた?
みんなとは似ても似つかない、妖刀の私に…?

「…、違う。」

悲観的になりそうな思考を振り払う。

「土方様の、ためだよね。」

彼らも、私も。

「土方様の、幸せのため。」

元は同じ、想い。

「それが、私たちの幸せ。」

ぎゅっと胸元を握る。
確かに感じる、私の中にある折れた刀。


「生きるよ…、土方様と共に。」


みんなの想いと共に。


「…よし。」

私は立ち上がる。
周りを見渡す。

屯所とは違う、少し豪華な部屋。

「…ここ…、来たことある…。」

きっと今、
私は土方様の傍にいるはず。

あの人の想いなしでは生きられないのだから。

「ここは…えっと…、」

窓の外を見る。
華やかな人が歩く大きな道。

「…確か、ここは土方様と」

思い出したと同時に、すっと襖が開いた。

襖に手を掛けたまま、
その遊女は驚いた様子で私を見ている。

そうだ。
私のことは、皆覚えてないんだ。

「あ…あの…、」

どうしよう、
なんて説明しよう。

勝手に部屋に入ってるなんて…、何て言い訳すれば怪しまれないんだろう!

えっと…、
えっと…。

「…あら…、」

黙りこんだ私と反対に、遊女はにっこりと笑う。

「紅涙ちゃんやないの。」
「えっ…、」

私のこと、覚えてる…?
でも確かに開けた時は違った。

もしかして、
出会えば思い出すようになってる…?

みんな…、
そんなことまで…。

「久しぶりやねえ。」

遊女はおっとりと頬笑む。
胸にこみ上げるものを押さえて、私は「お久しぶりです」と笑った。

「今日は土方はんより先に来はったん?」
"せっかくやし楽しいことしましょか"

その声に首を傾げれば、
遊女は「行きましょ」と私の手を取った。

「え?!」
「いつもより念入りにしましょ。驚きますえ、きっと。」

ぐいぐいと引っ張って部屋から出される。
その背中に「何をですか?!」と悲壮な声を上げると、遊女はくすくすと笑う。

「綺麗に着飾って、お出迎えしてあげえ。」

そう言われて、少しの不安が浮かぶ。

ここに今から、
土方様が来るかどうかは分からない。

「…。」
「どないしはったん?」

私はその小さな不安を振り払うように顔を振る。

「いえ、お願いします!」

大丈夫。
だって、私は土方様の傍にいる。

ここに私が存在する。
それだけで、十分な証拠。

それに。
来ないなら、屯所まで行けばいい。

着飾ってもらった姿のままでも、どんな姿でも。

逢えるんだから。
逢いに、行けばいい。


それからしばらくして。

鏡に映る、
まるで別人のような自分に瞬きをした。

「あらあら!」
「紅涙ちゃん一周して見せてえな。」

重い着物を感じながら、一周りして見せる。

「ええやないのお!」
「あとは旦那はん待ちやねえ。」

まるで自分の事のように喜んでくれる遊女達に「ありがとうございます!」と笑う。

「そういう時は、"おおきに"て言うてみ?」
「ゆっくり、ねっとり、優雅に言うんがコツやよ。」

ゆっくり、
ね…ねっとり?
ゆ、優雅に…?

「…おおきに。」

なんとか口にすると、遊女は「ええわあ」と喜ぶ。

「紅涙ちゃん、うちで働いてみいな。」
「何言うてんの姉はん。あの人の前で言うたら怒られますえ。」

いつもよくしてくれる人たち。

土方様の周りは、
いい人ばかりなんですね。

「噂してたら来はったよ。」

窓から外を見ていた遊女が言う。

「せやけど、もう一人連れてますえ。」

もう一人?

私は控えめに窓から外を見る。
他の遊女も同じようにして見た。

「ああ、あれ近藤さんやねえ。」
「局長はんがうちに来るやなんて珍しいやないの。」

そこには確かに近藤さんがいる。

そしてその横に、
少し険しい顔をする土方様がいた。

「っ…、」

また、こうして見ることが出来るなんて。

「土方様っ…、」

嬉しくて、声が掠れる。
それを聞いていた遊女が「時期に逢えるやないの」と笑った。

「うち、この前に近藤さん介抱したからお相手行くわ。」
「それがええわ。そしたらすぐに旦那はんだけ案内できるよって。」

うんうんと頷きあう遊女は、
私の肩をトンと叩いて「これで万端や」と微笑む。

「ほなら紅涙ちゃんは部屋でお出迎えしたり。」
「驚きはるやろなあ、土方はん。」

"楽しみやわあ"と笑い合う。
手短に出迎えの作法を聞いて、「さぁ早う行き」と背中を押される。

私は数歩進んで、すぐに振り返った。

「あのっ、ありがとうございます!」

頭を下げれば、
前のめりになりそうになる。

慌てて姿勢を戻せば「もう」と苦笑される。

「ええんよ、遠慮なんてせんで。」
「うちらは紅涙ちゃんが来てくれた方が楽しいさかいに。」
「せやけど、旦那はんの前では"おおきに"言うんやで。」

私は「はい!」と返事をして、
先ほどまでいた、いつもの部屋へ戻った。


教えられたお出迎えの作法を思い出す。

「襖の前に座って…、袖はあっちに広げて。」

着物を引っ張って、姿勢を正す。

「開いたら顔はまだ見ずに、"ようお越しやす"で頭を下げる。」

指を揃えてみる。
頭も下げてみたら、先ほどのように前に潰れてしまいそうになる。

「うぅっ…、控えめに…頭下げなきゃ。」

また少し練習していると、遠くから近づく足音。

「…、」

耳を澄ませば、それは確実に近づいてくる。

「…っ…、」

漏れてしまいそうな吐息を呑みこむ。
やがて足音は、部屋の前で止まった。

そしてゆっくりと、

---スッ…

襖が開く。
私は目線を下げたまま、

「ようお越しやす…。」

僅かに、頭を下げた。

「…、」

だけど何も返ってこない。

もしかして…、
人違いだった…?!

そろそろと顔を上げれば、


「…、…紅涙…、なのか…?」


聞きたかった人の声が、身体に染み渡った。


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