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無常


「冷静になってください!」

その声で、一気に視界が開ける。
ゆっくりと俺の脳は動き、

「山崎…、」

俺の腕を必死に掴む山崎を見た。

「…ふ、副長ぉ…、」

山崎の顔がゆるゆると緩む。

その時、
ひんやりとした足元に気付いた。

「外…、」

裸足。
手にはクシャクシャに握り潰されている紙。

…ああ、そうか。
あの写真を見て、俺は飛び出してきたのか。

「すまねェ…、悪かった…。」

"副長"の肩書きに背を向けた個人行動に、笑うことすら出来ない。

「いや〜止められて良かったです。」

山崎はへらっと笑う。
その顔に違和感を感じる。

「…?山崎、それどうした?」

頭をガシガシと掻いていた山崎が手を止める。

「口、切れてるぞ。」

その唇が切れて、腫れあがっていた。

「え…。あ、あぁコレはその、」

一瞬、
山崎は驚いた顔をして。

「いえいえ、どうもしてないです。」

何事もなかったように、笑って顔を横に振った。

「あァ?どうもしてねーことねェだろ。」
「いいんですって。」

山崎は笑う。

「そんなことよりも、とりあえず履き物!」

そう言って、家を指差す。
俺はそれに頷いて、飛び出してきた場所へと戻る。

その中はさっきとは違い、人で溢れていた。

「早いな。」

山崎が呼んだのだろう。
控えさせていた隊士が、家にいた男共を捕えていた。

加えて、地元の警ら隊も入ってきていた。

「…悪かったな。」

段取りも何もかもを無くしてしまった自分の行動を悔やむ。

山崎は「結果オーライですよ」と言う。

…いい部下を持ったもんだ。
これは山崎の手柄。

連行されていく男を見ていれば「それはそうと、」と山崎が言った。

「その写真のって、紅涙さん…だったんですか?」
「…あァ、」

写真の女。
あれは紛れもなく…、

『土方さん、』

「紅涙だ。」
「でも…どうして大坂に…。」

握り締めていた写真。

俺はそれを見て、
キツくよった皺を伸ばすこともなく懐に仕舞った。

「他人のそら似とかじゃ」
「違う。」

うっと山崎が声を詰まらせる。

あれは紅涙だ。
間違いねェ。

姿形はもちろん、
あの着物も紅涙のもの。

何より、

「…髪飾り。」

証拠もあった。

「側に落ちてた髪飾りがあっただろ。」

山崎は「あぁ!」と頷く。

「これですよね。」
"証拠物品に取ってますが"

手に乗った簪。

光を反射して、
輝いているようにすら見える。

なのに。
その飾りには、千切れた跡がある。

「それ、…あの夜に紅涙が付けてた。」
「あの夜?」

二人で初めて行った、
花火の夜。

江戸で最後だと思っていた、

綺麗で、切ない夜。


『…嬉しい、です。』
"良かった"


よく覚えている。

顔を赤くしていた紅涙。
いつもより熱っぽい手を繋いだこと。

髪も浴衣も、
一喜一憂するその顔も、

僅かな仕草さえも。

よく、覚えている。

「紅涙の、簪だ。」

まさかこんな形で、
これを目にするとは思わなかった。

「…。」
「副長…、」

山崎の手に乗った簪を手に取ることも出来ず、

「紅涙っ…、」

今すぐに駆け出したい気持ちを噛み殺す。

「だけど本当に…どうして大坂に…、」

山崎はその髪飾りを握りしめて言う。

確かに。
確かに紅涙が大坂へ来るとは思ってなかった。

俺の一方的な別れ方なら未だしも、
追い掛けられるような別れでもなかった。

「…大坂に来た理由は、分からねェ…。」

待っていると言った紅涙が、大坂に来た理由。


相手は鬼兵隊だと伝えていた。

あいつのことだ。
自分の都合で動いたとは思えない。

「山崎、」
「はい。」

他に理由があるとしても、
他に理由がないとしても。


「俺は、あいつのとこへ行きたい。」


懐に仕舞った写真を想う。

あの写真は、
二度と思い出したくないほどの衝撃だった。

胸を掻き毟りたくなった。

布団の上に散らばった髪。
着崩れた着物。

「これは…俺の個人行動だ。」

紅涙が絡んでいる。
万斉が絡んでいる。
鬼兵隊が絡んでいる。

全てが偶然だとしても、


「俺は、…あいつのところへ行きたい。」


すべきことを、
他に思いつかない。

「ここから先の尻拭いをさせるつもりはねェ。」

山崎が「副長…」と漏らす。

「その場所にいるヤツらぐらい、潰してくる。」

袖口から、煙草を取り出す。

「その時は、紅涙を…よろしく頼む。」


今はただ、
紅涙を助けることだけを考えて。


「…手間のかかる上司で、悪かった。」


俺は山崎に片手を上げて、その場に背を向けた。


真選組。
仲間。
信頼。

ここまで積み上げてきたモノ。

投げだすつもりなんてなかった。

中途半端なまま、
終わるつもりなんてなかった。

それでも、俺には。

「紅涙…、」

お前しか、
もう考えられないから。

「今、迎えに行く。」

愛しい君へ。

風が、吹く。


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