11
無常
「冷静になってください!」
その声で、一気に視界が開ける。
ゆっくりと俺の脳は動き、
「山崎…、」
俺の腕を必死に掴む山崎を見た。
「…ふ、副長ぉ…、」
山崎の顔がゆるゆると緩む。
その時、
ひんやりとした足元に気付いた。
「外…、」
裸足。
手にはクシャクシャに握り潰されている紙。
…ああ、そうか。
あの写真を見て、俺は飛び出してきたのか。
「すまねェ…、悪かった…。」
"副長"の肩書きに背を向けた個人行動に、笑うことすら出来ない。
「いや〜止められて良かったです。」
山崎はへらっと笑う。
その顔に違和感を感じる。
「…?山崎、それどうした?」
頭をガシガシと掻いていた山崎が手を止める。
「口、切れてるぞ。」
その唇が切れて、腫れあがっていた。
「え…。あ、あぁコレはその、」
一瞬、
山崎は驚いた顔をして。
「いえいえ、どうもしてないです。」
何事もなかったように、笑って顔を横に振った。
「あァ?どうもしてねーことねェだろ。」
「いいんですって。」
山崎は笑う。
「そんなことよりも、とりあえず履き物!」
そう言って、家を指差す。
俺はそれに頷いて、飛び出してきた場所へと戻る。
その中はさっきとは違い、人で溢れていた。
「早いな。」
山崎が呼んだのだろう。
控えさせていた隊士が、家にいた男共を捕えていた。
加えて、地元の警ら隊も入ってきていた。
「…悪かったな。」
段取りも何もかもを無くしてしまった自分の行動を悔やむ。
山崎は「結果オーライですよ」と言う。
…いい部下を持ったもんだ。
これは山崎の手柄。
連行されていく男を見ていれば「それはそうと、」と山崎が言った。
「その写真のって、紅涙さん…だったんですか?」
「…あァ、」
写真の女。
あれは紛れもなく…、
『土方さん、』
「紅涙だ。」
「でも…どうして大坂に…。」
握り締めていた写真。
俺はそれを見て、
キツくよった皺を伸ばすこともなく懐に仕舞った。
「他人のそら似とかじゃ」
「違う。」
うっと山崎が声を詰まらせる。
あれは紅涙だ。
間違いねェ。
姿形はもちろん、
あの着物も紅涙のもの。
何より、
「…髪飾り。」
証拠もあった。
「側に落ちてた髪飾りがあっただろ。」
山崎は「あぁ!」と頷く。
「これですよね。」
"証拠物品に取ってますが"
手に乗った簪。
光を反射して、
輝いているようにすら見える。
なのに。
その飾りには、千切れた跡がある。
「それ、…あの夜に紅涙が付けてた。」
「あの夜?」
二人で初めて行った、
花火の夜。
江戸で最後だと思っていた、
綺麗で、切ない夜。
『…嬉しい、です。』
"良かった"
よく覚えている。
顔を赤くしていた紅涙。
いつもより熱っぽい手を繋いだこと。
髪も浴衣も、
一喜一憂するその顔も、
僅かな仕草さえも。
よく、覚えている。
「紅涙の、簪だ。」
まさかこんな形で、
これを目にするとは思わなかった。
「…。」
「副長…、」
山崎の手に乗った簪を手に取ることも出来ず、
「紅涙っ…、」
今すぐに駆け出したい気持ちを噛み殺す。
「だけど本当に…どうして大坂に…、」
山崎はその髪飾りを握りしめて言う。
確かに。
確かに紅涙が大坂へ来るとは思ってなかった。
俺の一方的な別れ方なら未だしも、
追い掛けられるような別れでもなかった。
「…大坂に来た理由は、分からねェ…。」
待っていると言った紅涙が、大坂に来た理由。
相手は鬼兵隊だと伝えていた。
あいつのことだ。
自分の都合で動いたとは思えない。
「山崎、」
「はい。」
他に理由があるとしても、
他に理由がないとしても。
「俺は、あいつのとこへ行きたい。」
懐に仕舞った写真を想う。
あの写真は、
二度と思い出したくないほどの衝撃だった。
胸を掻き毟りたくなった。
布団の上に散らばった髪。
着崩れた着物。
「これは…俺の個人行動だ。」
紅涙が絡んでいる。
万斉が絡んでいる。
鬼兵隊が絡んでいる。
全てが偶然だとしても、
「俺は、…あいつのところへ行きたい。」
すべきことを、
他に思いつかない。
「ここから先の尻拭いをさせるつもりはねェ。」
山崎が「副長…」と漏らす。
「その場所にいるヤツらぐらい、潰してくる。」
袖口から、煙草を取り出す。
「その時は、紅涙を…よろしく頼む。」
今はただ、
紅涙を助けることだけを考えて。
「…手間のかかる上司で、悪かった。」
俺は山崎に片手を上げて、その場に背を向けた。
真選組。
仲間。
信頼。
ここまで積み上げてきたモノ。
投げだすつもりなんてなかった。
中途半端なまま、
終わるつもりなんてなかった。
それでも、俺には。
「紅涙…、」
お前しか、
もう考えられないから。
「今、迎えに行く。」
愛しい君へ。
風が、吹く。
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