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華火


八日後。
約束の花火の日。

「やっと…今日だ。」

これほど時間の遅さを感じたのは初めてだ。

「変じゃ…ないよね。」

この日のために買った浴衣。
この日のために買った簪。
この日のためだけに気合を入れた私。

全身を鏡に映して、「よし」と頷いてみる。

「行ってきまーす!」

待ち合わせの時間より少し早く。
私は家を出た。


行き交う人にも浴衣姿が目立つ。
まさか自分もそれに交ることが出来るなんて。

「…ドキドキする…。」

期待し過ぎた胸が、
高鳴り過ぎて壊れそうだと思った。

落ち合う場所には、
やはりと言うべきか、既に土方さんは居た。

こちらは見ておらず、
少し斜め下を向いて吸う煙草姿は本当に絵になる。

さらりと風に揺れる黒い髪。
すらっと伸びた濃紺の着流し。

周辺には女子が窺うように見ている。

それに気付いているのかいないのか、
土方さんは物思いにふけた様子で煙を吐く。

「こ、声掛けるのに勇気がいる…。」

あの女子の視線を全身に受ける勇気がなくて、私はなかなか近寄れずにいた。

「うぅ…。」

でも行かなきゃ始まらないし。

なんて考えていると、
窺っていた女子の一人が土方さんへ足を踏み出した。

やばい!
と、盗られる!!

「おおおお待たせしました!」

異様なほどにドモりながら、土方さんに走り寄る。

近寄ろうとしていた女子は止まって。
周辺の人たちも私を見る。

く、苦しい!
予想以上の視線だわ…。

「お、遅くなりました。」

ギコちない笑顔になりつつ、土方さんに微笑む。

「お…おォ。」

何だか目を点にしていた土方さんも、同じようにドモる。

「お前…その格好…、」
「え?!」

"格好"?!
何、格好に目が点だったんですか?!

私はすぐさま自分の姿を見てみる。

「へっ変ですか?!」

どこ?!
それとも気合いの空回り?!

まさかあの女子たちの視線はそのせい?!

頭の中がパニックになっていた時、

「いや、変とかじゃ…なくてよ…、」

土方さんの声に顔を上げれば、目を逸らされる。

「その…、何つーか…、」
「なっ何なんですか?!言ってください!直しますから!」

こういうことには遠慮なんてしないでください!
このまま歩く方が恥ずかしいんですから!

顔を背けた土方さんの袖を引っ張る。

するとボソりと、


「…、…悪く、ねェ。」


そう短く言った。

「変なんかじゃ…ねェよ。」

土方さんの耳が赤い。

な、なんだ…。
誉めてくれてたんだ!

もう…、
焦ったじゃないですか。

でも。

「…嬉しい、です。」
"良かった"

頑張って良かった。
へへと笑った時、視界の端に手が映る。

「…行くか。」

土方さんが前を向いたまま、こちらに手を出している。

「はい!」

その手に、重ねた。


暗くなる空。
流れの遅い人混み。
浴衣の華。

全てが夢のようだった。


初めてくる場所じゃないのに、
目に映るものが普段より何倍も輝いて見える。

打ち上がる花火も、
繋がれたままの手の温かさも、
全部が特別で。


「土方さん。」
「ん?」
「綺麗…ですね。」
「あぁ。」

ドーンと大きな音が身体の芯に響く。

真っ暗な空に、
悩むことなく真っ直ぐ昇り、弾ける花火。

後に残す煙は、
ほどよい風が全て連れ去って。

「…本当に…綺麗…。」

綺麗なのに、どこか切なくて。
打ち上がる度に、胸を締め付けた。

「来て良かったな。」
「…はい。…とっても。」

土方さんの声は、暗い空に溶けた。

「土方さんと見れて…良かった…。」

花火がこんなに切なかったのは、

この日が初めてだった。


次から次へと花火が上がって、
終わりが見え始めた頃。

「紅涙…、」

ちらちらと光る花火を見上げている私の横で、

「…、…幸せか?」

唐突に、そう言われた。

「…土方さん?」
「…。」

顔を向ければ、目が合う。

「お前は…今、…幸せか?」

花火の光は、
時間が止まったような私たちを忙しく照らす。

「どう、したんですか…、急に。」

話を逸らすように声を掛ける。

"これは楽しい話じゃない"

頭に浮かんだ。
だから土方さんの問いに返せなかった。

答えれば、
どんどん悪い方へ行きそうで。

「あ、見てくださいよあの花火。一番大きかったんじゃ」
「紅涙、」

逸らした顔も、
土方さんに掴まれた腕で阻まれる。

「…。」
「…。」

逃げ切れない。
どこにも。

やだ。
やだよ。

何話すの?
何を思ってるの?

ゆるく唇を噛んで、少し俯いた。

花火の打ち上がる音がする。

賑やかなはずの周り。
私の耳には音なんて欠片もない。

ちかちかと、
馬鹿みたいに照らす光をただ目に映す。

その沈黙を破ったのは、

「俺は…」

土方さんだった。
私は顔を上げて、彼を見る。

土方さんの眼に、
弾ける花火の光がキラキラと光る。

その中に、私がいる。

「俺は…今、幸せだ。」

土方さんの眼に、私が映ってる。


「お前が居て…幸せだ。」


泣きそうな私が、映ってる。


「…幸せだった。」


抱き締められた。
ぎゅっと音が鳴りそうなほど強く。

痛くて、
苦しくても、
嬉しかった。

嬉しかったのに、切なくて。

何より、
悲しかった。

土方さんの温もりに目を閉じた時、

すっと涙が落ちた。

苦しそうな土方さんの声が、私の耳元で囁やいた。


「俺は明朝…江戸を発つ。」


打ち上がった最後の花火が、
パラパラと音を立てて散った。


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