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背負うモノ


"俺は明朝…江戸を発つ"

頭の中は、空っぽだった。
その言葉は何度も響くのに、何も浮かばない。

「…。」

暗闇を取り戻す空と同時に、私たちの身体は離れた。

そしてようやく分かった。

土方さんは、いなくなる。

それだけじゃない。
ただの出張じゃない。

「っ…、」

ぜんぶ繋がった。

急に呼びだしたことも、
柄にない言葉も、
花火大会に来たことも、

ずっと、
どこか影を背負っていたことも。

「…土方、さん…、」

私の前から、いなくなるから。

だから、
そんなこと、したんだ。

「嘘…ですよね…?」

ガヤガヤと、
花火を見に来ていた人たちが帰って行く。

楽しそうに。
名残を噛み締めながら。

「冗談なんでしょ?」

くすくすと笑ってみせた私の声は、雑踏に消えるはずなのに。

「…いや、違う。」

耳に焼きつく。
土方さんは私を見て苦しそうに眉を寄せた。

「鬼兵隊のアジトが挙がってな。」

私の方へ手を伸ばす。
頬に触れて、髪を手に取る。

「とは言え、江戸には何度か高杉の目撃もある。」
"こっちを手薄にするわけにもいかねェ"

私たちの元には、
星の明かりが戻ってきていて。

人も、
いつの間にか疎らになっていた。

「だから俺が行く。」
"こっちは近藤さんがいる"

私の頭は、


「殲滅部隊として、先導する。」


土方さんが話すことを、
それを理解することを、

まるで拒んでいるようで。

「…、」

ただ、黙り込んでいた。

するりと土方さんの手が私から離れて。
袖の中から出した煙草に火を点けた。

その口から吐かれる煙は、

「…すまねェ。」

遠慮がちな言葉と一緒に、
細く、
ゆるりと上った。

「土方…さん…?」

私の目に映るこの人は、
隣にいるはずなのに、すごく遠くに感じて。

「難しいんだな、…誰かを想うと。」
"うまく出来やしねェ"

引き連れる煙と一緒に、
私の知らないどこかへ行ってしまいそうで。

「…こんな形になって…すまない。」

儚いのに、

綺麗で。


「…、…ごめんな。」


全てを投げだせそうなほど、

悲しかった。

「どう…して…?」

掠れた私の声は、
悲しいと言っていた。

「どうして土方さんが行かなきゃいけないんですか…。」

どうしようもないことを口にして。

「江戸には…真選組には近藤さんが必要だから俺が」
「分かってる!分かってるよ…。だけど…だけど…」

本当に言わなきゃいけないことは言えなくて。

「何でっ…土方さんなんですか…っ。」

あなたを困らせることしか出来ない。

「紅涙…、」

どうして…。

「っ…どうして…あなたが…っ。」
「…俺が行けば、少しでも犠牲を減らすことが出来る。」

土方さんの声は、静かな夜に響く。


「お前みたいな想いを、誰かにさせなくていい。」


私なら悲しませていいんですか?

そんなことすら浮かんだけど、

「どうせ悲しいんなら、」

私が想像なんて出来ないほどに、


「俺たちだけにしてやりてェんだ。」


土方さんは、
全てを背負っていた。


「…ごめんな、紅涙。」


土方さん…、


「お前を、…巻き込んじまって…ごめん。」


そんな言い方…、しないでよ。


俯いた時、
浴衣にポツリと染みが出来た。

胸の苦しさが込み上げて、息をするのすら苦しい。

「…今日まで、この話をお前に出来なかった。」

俯いた私の目には、
しつこいほど涙が引っ付いて。

「期間も無期限、どうなるかも分かりゃしねェ。」
"今回ばっかりはな"

浴衣に染みを増やした。

「いろいろ考えたんだ、お前とのこと。」

土方さんは煙草の火を消して、

「やっぱり…お前は置いていけない。」

真っ暗になった川の方を見る。
私はその言葉に顔を上げた。

「それじゃあっ、」
「別れよう。」

土方さんの目が私を捕える。

「待っててくれなんて、言えねェから。」

私を捕える目に、
もう私は映っていない。


「お前は、…これからいい人見つけろ。」


私を映す、光がない。


「"もし俺が戻ってきたら"なんて考えるな。」


どうすれば、いいの…?

この人を、
どうすれば取り戻せるんだろう。


「お前の前に、現れたりしねェから。」


これが全て夢ならば…
これが全て私の夢ならば、

どれほど良かったのだろう。


「ここで、終わりにしよう。」


土方さんの顔は、どこか優しくて。

私の涙は、
次から次へと溢れた。

土方さんの手が、
俯く私の視界に入ったけど、

「…、」

躊躇するように指が動き、ゆっくり視界から消えた。

ガサッと草が踏まれて、
立ち上がる土方さんの足先が見えた。

「…じゃあ、な。」

その声に顔を上げた時、
私の目には彼の後姿が映った。

「っ……っ…」

呼び止めることすら出来なかった。

「ぅ…っ……」

込み上げる苦しみが視界を揺らす。

彼の背中は、
いつの間にか消えていた。

「っ…ひじっ…か…たさ…っ」

咽かえる喉。

搾り出した声は、
私の耳にすら届かないないほど小さかった。


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