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空を走る


土方さんが居なくなって、
しばらく。

涙が止まっても、
私は立ち上がることなんて出来なくて。

土手に座り込んだままでいた。

真っ暗な夜から、
青黒い空へ色を変える空。

「…、」

座りすぎて肌蹴た浴衣。
きっとボロボロの顔。

「…こんな格好じゃ、…土方さんに怒られる…。」

『危ねェっつってんだろーが!』

「もう…怒ってもくれない…。」

行ってしまうと…、

二度と、
会えない。

土方さんが戻ってきても、

『お前の前に、現れたりしねェから。』

もう、会えない。

「…土方さん…。」

いっぱい考えたって、言ってた。
私たちのこと、考えたって。

「…辛いこと、土方さんが全部持っていくんですね。」

仲間のことを思って、
私のことを想って。

「優しすぎるよ…っ。」

一番辛い思いをしてるのは、土方さんで。

「ぅっ…っ、」

思えば思うほど、
考えれば考えるほど、

あの人のことが、愛おしくて仕方ない。


「紅涙さん?」


その声に顔を上げると、

「紅涙さんじゃねーですかィ。」

土手の上から沖田さんが見ていた。

「沖田さん…、」

土方さんの部下ということもあり、沖田さんとは顔馴染み。

「随分と綺麗にしてるんで、人違いだったらどうしようかと思いやしたぜィ。」

私はそれに乾いた声で笑った。
沖田さんは緩い坂を下り、こちらに足を進める。

「どうしたんですかィ、こんな時間まで。」

その返答に悩んだけど、

「…散歩、かな。」

曖昧に笑んだ。
きっと目も腫れてるだろうから、顔は川の方へ向けたまま。

気分悪いだろうな、沖田さん。
こんな態度じゃ…。

そう思いながら、
ただ静かに流れる川を見ていれば、

「そりゃァいい。」

明るい声がした。
思わず私は顔を向けると、

「丁度俺も散歩中でさァ。」

にっこりと笑って沖田さんが言った

何も聞かないつもりなんだ。

君も、
優しいんだね。

私が「…そっか」と返事をすれば、
「そうでさァ」と沖田さんは草むらに寝転んだ。

「紅涙さん、」
「ん?」
「今、何時か分かりやすかィ?」

川が流れるだけの場所に、沖田さんの声が響く。

私は自分の手首を見る。

あ、そっか。
今日は浴衣だから時計はしてない。

「待ってね、今携帯出すから。」

そう言って巾着に手を入れた時、


「…は、…でさァ。」


ぼそりと声がした。

「…沖田、さん?」
「俺は、行かないんでさァ。」

沖田さんは"よいしょ"と身体を起こす。

「…どこ…に?」
「大坂。」
「大坂…?」
「明朝に発つ部隊、大坂に行くんでさァ。」

"明朝に発つ部隊"

沖田さん…。

何を…、
何を言いたいんですか…?

「俺は近藤さん組で江戸に待機。」
「…あの、」
「野郎が向こうで一旗揚げるなんてムカついて仕方ねィ。」
「…。」

私が口を閉じれば、
沖田さんの真っ直ぐな眼が向けられる。

「あと一時間。」

…え?

「一時間後、出発でさァ。」
「っ…。」

そんな…。
もう行ってしまう…。

「…。」

行ってしまう前に、もう一度会いたい。

でも…、

会いたくない。
悲しいから。

きっとまた、泣いてしまう。

そのせいで、
きっとまた、彼に辛い思いをさせてしまう。

「行きなせェ、紅涙さん。」
「…っ…、」

私は顔を横に振った。

去り際、
彷徨った土方さんの手は、私に触れずに去った。

あれは、
彼なりの区切りだったように思う。

苦しいのは、
土方さんも同じだった。

そう、思うから。

「行けないよ…。」

顔を振った。

「紅涙さん…、」
「ダメ…だよ。」

言い聞かせるように呟いて、川の方を見た。

その時に気付いた。

土方さんも、
自分の気持ちを隠すために、こうして川の方を見てたんだ。

それなら、
ずっと。

ずっと土方さんは、
楽しくなかったんではないか…。

ここで話した時も、
花火を見ていた時も。

ただ背負うものを考えながら、

ここに、
私の傍に居てくれて。

「…っぅ…、」

もっと、
もっとあなたの辛さを分かってあげていれば。

何か、
変わっていたかもしれない。

「まったく。どっちも手が掛かりますねィ。」

唇を噛み締めた時、沖田さんの溜め息が聞こえた。

「俺は今、散歩じゃありやせん。」
"バリバリ護衛中でさァ"

顔を向ければ、またひとつ溜め息をつく。

「アンタがここに居るのを分かってて来たんでさァ。」
「どういう…こと…?」

視界の半分を覆っていた涙が、ゆらゆら揺れる。

そんな私を見て、
沖田さんは困ったように笑った。


「あの野郎が"見てきてくれ"って。」
"帰ってないかもしれねェから"


ああ…。

あの人は、
どこまで優しいんだろう。


「頭まで下げやがって。あんな面見たら…行くしかねェ。」


沖田さんは唇を噛んで、"胸くそ悪ィ"と言った。

「気になることがあると集中できねーもんですぜ。」

私は唇を噛み締めて細く息をした。

「野郎が発っちまう前に、ちゃんと言ってきなせェ。」

鼻で小さく笑った沖田さんが、"よっこらせ"と立ちあがった。

私に向かって"ほら"と手を出し、


「笑顔で…送り出してやんなせェ。」


その手に引っ張られて立ち上がった。

会いに、行く。

"幸せだった"なんて、
思わせたままにしないために。

「っ…っうん…っ。」

"だった"なんかじゃないよ。

これから、だよ。

まだ私たち、
この先も生きていくんだよ。

「っ、行ってくるっ、」

沖田さんが、隊服の袖で涙を拭いてくれる。

「あァ…行って来な。」

背中をトンと押してくれた。
私は振り返って、

「ありがとう、沖田さん。」

そう言うと、
沖田さんは後ろを向いた。

後ろ手にヒラヒラと手を振りながら、

「貸しは土方さんに返してもらいまさァ。」

その声が、
少し切なく聞こえたのは、
川の風が土手を撫でたせいだと思う。


目指すは屯所。

「…っ…土方さんっ…。」

足元は下駄。
浴衣で狭められた足元。

小幅で走りながら、あなたの名前を呼んだ。

「…っはぁ…はぁ…」

不思議そうな眼で見る新聞屋さんとすれ違う。

確実に刻む空の色が、私の気持ちを急かした。

「まだっ…、まだ行っちゃだめっ、」

『お前は…今、…幸せか?』

「っ…幸せだよ…っ」

幸せだよ、土方さん。

わたし、
あなたがいるから幸せ。

だから…、
だからずっと傍に居て…。

だから…、
だから帰ってきて。

「っ、終わりなんてっ…言わないで…っ」

わたし…
ちゃんとあなたに言うから。

あなたに笑顔で、

行ってらっしゃいって。


言うよ。


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