5


やくそく


「はぁっ…はぁっ…」

屯所の前。
辿り着いた私の耳には、
自分の息の荒さよりも、大きな声を捉えていた。

「相手は高杉率いる鬼兵隊だ!」

近藤さんの声。

「何があってもおかしくない、心して望んでくれ!!」
「「オォォォォォ!!!」」

それに被せる隊士たちの声。

門番はいないようで、
私は敷地へそろりと足を踏み入れる。

建物の中から声が聞こえて、
私はすっかりすり減った下駄を脱いで入る。

どんどん声が近づく。

「お前らがいない分、江戸は俺が責任を持って守る!」

覗きこんだ部屋は、広間のようで。

「安心して、大坂で手柄を立てて来てくれ!」

人の隙間から僅かに見える一番前では、近藤さんが声を張り上げている。

整列した隊士は、既に身支度を整えていて。
これが終われば出発だというのは、十分にその雰囲気で気付いた。

コホンと、
近藤さんのわざとらしい咳払いが響く。

「えーではここで大坂の部隊を仕切るトシから一言。」
「あァ?!…俺はいいって。」
「そう言うなって!皆も期待しているぞ!」
「「副長〜!!!」」

その声に反応して、私はより近くへ足を進めた。

近藤さんにせがまれて、
気乗りしない土方さんが立ち上がる。

「…まーアレだ。全員で帰ってくるぞ。」
「「副長〜っ!!!」」
「いちいち煩ェよ、お前ら。」
「死ね副長ー!!」
「あァ?!誰だ今言ったやつ!!」

緊迫していた空気が、ほんの僅かに薄らいで。

「…とっとと行って、とっとと帰ってくるぞ。」

土方さんが腰の刀に触れた。


「守りてェもんのために、俺たちがいる。」


先ほどまでの隊士の声は、
これだけの人数がいるのに嘘のように静かで。


「それを守れるんなら、どれだけ泣かせたっていい。」


私の息遣いまで、聞こえてしまいそうで。


「貰ったもんは、あまりにもデカ過ぎて返せやしねーけど、」


土方さんは刀から目を放し、
誰を見るわけでもなく、ただ真っ直ぐに前を見据える。


「俺はそのためなら、鬼になる。」


水面に波紋が出来るように、心が震えた。

「土方…さん…っ、」

小さな声で呟いて。
私の声は、猛る隊士の声に消える。

苦しくて、
口に手を当てて、
その場にしゃがみ込んだ。

「それでは大坂へ行く者は前へ!」

掛け声のように掛かったその言葉に、隊士が動き出す。

座りこんでいた私を、
一番後ろにいた隊士が気付いてギョッとした。

「あ、あんたどこから」
「黙ってな。」
「おっ沖田隊長?!」

その声に、振り返る。
振り返れば、沖田さんが立っていた。

「沖田さん…、」

顎で前の方を差し、

「行っちまいやすぜ。」

立ち上がらせるために、
私へ差し出してくれた手は、

「もう必要ありやせんかね。」

沖田さんは苦笑して、自分のポケットに直した。

私はそれに頷いて、

「っ…ぅっ…言ってきますっ…」

目を拭いた。
私と同じように沖田さんは頷いて、

「言ってきなせェ。」

笑ってくれた。
私はまた、沖田さんの元から走り出す。

ザワめく隊士を掻き分けて、

表へ出て行こうとする土方さんの背中を追いかけた。


「っ、すみません、」
「おい気をつけろよ…、お、女?!」

ガヤガヤとする隊士に、何度もぶつかる。

前へ集まる隊士とは別に、
私がいることで騒がしくなり始めた広間。

「誰だこれ。」
「あんたどこから」

畳の上で転んで、
立ち上がろうとする背中に色んな声がぶつかる。

今はそれに答える余裕もなくて、

「すみません、」

立ち上がり、ただ謝って、
土方さんがいた場所に目を向けた。

だけどそこには、

「っ!」

もう彼の姿はなくて。

「土方…さん…?」

一瞬頭が真っ白になった。

「土方さん…、…どこ…?」

何も、
聞こえなくなっていく。

騒がしいはずなのに。

どうしよう、
どうしよう。

もう、いない。

逢えない。

「っ…、」

言ってない。
言わなきゃ。

だってまだ私、

「…どこ、っ土方さん!」

あなたに、何も言ってない。

"気をつけて"も、
"行ってらっしゃい"も。

「私…私っ…」

これからも、
"あなたと幸せでいたい"って。


「どけ!」


よく知る声が、隊士の中から聞こえる。

掻き分けるように、
その人は私の前に息を切らせて現れた。

「紅涙!!」
「っ、土方さ…っ!」

何度目か分からない彼の名前は、

「お前っ…何で来たんだっ!」

強く、抱き締められて途切れた。

ざわめく周囲。

なのに、
目を瞑れば何も気にならなかった。

嗅ぎなれた煙草の匂い。
見慣れた真っ黒で綺麗な髪。

痛くて優しいあなたの腕。

「紅涙、俺は」
「待って、ください。」

今は、
今は私が話さなければいけない。

「…土方さん、」

あなたの声、
たくさん聞きたい。

だけど、

私、
あなたにちゃんと伝えたいの。

「わたし…、」

抱き締めたまま、彼の耳元で話す。

「私…、待ってますから。」
「…っ。」

背中の隊服をギュッと握り締めて。

「絶対…待ってますから。」
「…紅涙…。」

何が、あっても。

「だから…だから帰ってきて…。」
「…、…あぁ。」

私にはあなたしか居ないの。

「…、幸せです。」
「…?」

彼の腕から離れて、
息が掛かりそうなほど近い距離で、土方さんと目が合う。

「今、私…幸せです。」
「紅涙…、」

今までも、
これからも。

「土方さんが居れば、幸せです。」
「っ…、」

あなたさえ、居ればいいから。


「行ってらっしゃい、土方さん。」


情けない顔で笑えば、また抱き締められた。

「…行ってくる、紅涙。」
「…はい…、」

離れて、また目を合わせて。

"お気をつけて"
そう言おうと思ったのに。

あなたの顔を見ると、胸が苦しくて。

「お気を…っつけ…てっ…」

声に、ならなかった。

「っ…ごめんっなさい…っ」
「…紅涙、」

名前を呼ばれて顔を上げる。
土方さんの指が、私の涙を掬った。

「ありがとう、紅涙。」

彼の瞳は、
日の光を受けたように輝いて見えて。

「行ってきます。」

その言葉は甘く、重い。

彼の指が髪を掬って、
惹き付けられるようにキスをした。

瞼を閉じれば、また涙が流れた。

「お気をつけて。」

やっと言えたその言葉は、

彼の背中に言った。


日は昇り、

彼らは大坂へ。


あなたの居ないこの江戸で、

私はいつまでも。
あなたの帰りを待ち続ける。


『ただいま、紅涙。』


その言葉を、聞くために。


A part END


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2011.8.15
(2008.08.16)
*せつな*


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