11


朝焼


「…。」

原因の分からない晴れない気持ち。
自分の中を探ってみても、

『もっとマシな女だと思ったがな』

最後の土方の言葉が響く。

関係ない。
そんなこと。

この気持ちは、あの刀を手放したせい。
大事な刀を、手放したせい。

「あっ!紅涙っす!!」

ふうと吐き出した時、前から駆け出してきた声。

「また子さん。」
「遅すぎッスよ!」

そう言うと、
彼女は「この馬鹿女!」と私の頭を殴った。

グーで。

「痛っ!何するんですか!!」
「何の連絡もなく遅過ぎだっつーの!」

また殴られそうな剣幕で彼女は言って、

「晋助様も晋助様ッスよ!」
"捜しに行かなくていいなんて!"

苛立った様子で言う。

「高杉さま…怒ってる?」
「そりゃもう!…って言いたいとこっすけど、普通ッスよ。」

不貞腐れたように言って、「とりあえず」と私の腕を引く。

「晋助様に報告ッスよ。」
"不良娘が帰りましたーって"

また子さんは面倒そうに私を引っ張ったけど、その足取りは軽くて。

「ふふ、」
「何笑ってるッスか。」
「寂しかったですか?」
「はァ?!」
「寂しかったですよね、また子さん。」

また殴られそうな気配になったけど、彼女はフンとわざとらしく言うだけだった。


仮住まいのこの平屋。
今回の拠点にと借りた場所。

江戸では何度も仕事をしているけど、もちろんいつも違う場所。

今回は取引が重なっているらしく、ここにしばらく滞在することになっている。

一番奥の、何度か襖を開けた先。

「晋助様ー、紅涙が帰ったッスよー。」

また子さんが緊張感のない声を掛ける。
中からは「入れ」と声がして襖を開けると、嗅ぎ慣れた煙管の匂いがした。

「久しいな、紅涙。」

高杉さまは片手に煙管を持ち、片目で私をするりと見る。

口元は笑みがあるような、分かりにくい表情。

「…遅くなり、申し訳ございません。」

私が頭を下げれば、
「必要ない」と頭の上から声がする。

「俺は気が済んだら戻って来いっつったんだ。」

低くもなく、高くもなく。

「たとえお前が何年戻って来なくても、謝る必要なんてねェさ。」

何にも変わらない高杉さまがそう言う。

私は声が出なかった。
変わりのように、また子さんが「キィィ!!」と叫んだ。

「こんな不良娘に勿体ない言葉ッスよ、晋助様!!」

確かに、そうだ。
その言葉は信頼そのものだ。

私を、
信頼してくれている。

ここに戻る者として、
ここにいる同志として。

ちゃんと、認めてくれている。

初めて、そう思った。

「…あ、ありがとう、ございます。」

やっぱりここは、私の場所だ。
私の、大切な場所だ。

「礼よりも、紅涙。」
「はい。」

高杉さまは鉢でカンッと煙管を鳴らす。

「気は済んだのか?」

細められた眼。

それは私の過去のこと。
昔の、仲間のこと。

「どうなんだ?復讐の意思は強くなったのか?」

高杉さまは煙管に口をつけて、遊ぶように煙を吐く。

「…。」
「紅涙…、」

私の横で、
また子さんが不安そうに声を出す。

その声があまりにも素直で、私は彼女に「大丈夫」と苦笑した。

「復讐は、…今でもしたいと思っています。」

口にすれば、仲間の顔が浮かぶ。
…だけど、

「仲間を殺したヤツを、…許すことなんて出来ない。」

だけど、
あんなに側にあった仲間の顔も、私の中でだいぶ薄れてしまってきている。

これは、
彼らを忘れてるわけじゃない。

そう思いたいのに、
確実に私はどんどん思い出せなくなってきている。

「なのに、…復讐という言葉は昔よりも強く浮かばなかったんです。」

高杉さまは「ほう」と興味深そうに私を見た。

「復讐は、したい。」
「…。」
「だけどそれをしても私は…何も得ない。」

分かってた。

殺したいほど憎いから、殺す。
殺せば気持ちも晴れる。

晴れるかもしれない。

きっと、そうだ。
それしかない。

そう思ってきた心の裏の、変わりようのない現実。

「…私が復讐を果たしても、みんなは…帰ってこないって…、」

ようやく、
私は見ることが出来た。

「気持ちを晴らすためだけなんて…意味が、ないって気付いたんです。」

仲間は、殺された。
大切な人を、奪われた。

憎い。
憎くて、仕方ない。
だから殺す。

果たした後、私に何が残る?
次に私が生きる理由はすぐに見つかる?

殺したいのは欲望でしかない。
ただの憂さ晴らしでしかない。

こんな風に思う私を、
もしあの頃の自分が見れば、それこそ殺したい存在だろう。

それに。
その欲望は、私にとって必要な時間だった。

ここまで生きてきた道しるべになった。

「ならお前は復讐をやめたのか。」
「…やめたわけではありません。」

ただ一方的に殺すというのではなく、

「何があったのか…知りたいんです。」

あの夜を知って、足りないものを埋めたい。


「どうして殺されたのか知って、…それが理不尽なものなら…」


口を閉ざした私に、高杉さまは言葉を待つように見据える。


「…理不尽なものなら…、」
「…。」
「…殺しちゃうかもしれませんね。」


苦笑して言えば、
「結局じゃん!」とまた子さんが声を挙げた。

「あ、また子さん。」
「何その感じ!忘れてたっぽい言い方ッスよね?!」

ケタケタと笑っていれば、高杉さまに「紅涙、」と呼ばれる。

「お前、喰える女になったな。」
「え?」
「晋助様!今の聞き捨てならないッスよ!!このまた子を喰わずしてこんな小娘を」
「連れて行け、紅涙。」
「え、あ、はい!」
「ちょっまだ話は終わってないッス!」
「行きますよ、また子さん。」

私は彼女の背中を押して、高杉さまに背を向けた。

「紅涙、」
「はい?」

襖を閉める時、声が掛かる。

その眼は、私を捕えている。
先ほどよりも、少し鋭く。

「刀はどうした。」

あっ…。

「刀は…、」
「…。」

失くしたって言うのも…。
だけど本当のことはとても言えない。

「…仲間のところに、…置いてきました。」
"成長の証に、って"

咄嗟の嘘は、恐ろしく舌が回った。

心の底で仲間に謝りながら、高杉さまの眼を申し訳なさそうに見る。

「…すみません!高杉さまから頂いたものだったのに…。」

とても目を合わせていられなくて、私は頭を下げた。

「すぐに造ってもらってきます。」

頭を上げて、
逃げるように襖を閉めようとした時、「待て」と引きとめられる。

「それを持って行け。」
「え…?」

顎で差したのは、高杉さまの刀。

「でもこれは…、」
「それは最近使ってねェから丁度いい。」
"お前が持ってろ"

私はその刀を恐る恐る手に取る。

重さは私にも程よく、
以前のもののように扱える気さえする。

だけど高杉さまにはこの前のものも貰っている。

「本当に…いいんですか?」
「構やしねェ。」
"使ってねェって言っただろ"

私は「ありがとうございます!」と早速腰に差す。

「お前の馴染むように、鍛冶屋で叩いてもらってから使えよ。」

それに元気よく「はい!」と答えて襖を閉めれば、

「まーた貰ったッスか、この泥棒猫めェェ!!」

また子さんの嫉妬に、
しばらく付き合わされる羽目になった。


- 11 -

*前次#