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石の上


「はァ〜?いや意味分かんねェんですけど。」

新しいとは言えない家屋の二階。
眠そうな銀髪の男が、頭をガシガシと掻いて言う。

「朝っぱらから来て"女を見てくれ"だァ?」

土方に付いて来て、辿り着いた場所。
外には"万事屋 銀ちゃん"と書かれている。

「俺が匿うわけにはいかねェんだよ。」
「だからって何でここなんだよ!」

私は土方の行動が分からなくて。
しばらく唖然として、やり取りを見ていた。

「テメェでどうにか出来ねーんなら、女になんか構うんじゃねェよ!」

銀髪の男は、
土方に向かって「仮にも副長だろ!」と吐き捨てた。

それを黙って聞いていた土方が、

「副長としてじゃねェ。」
"ってか、仮じゃねェし"

朝にそぐわぬ声で響かせる。


「この件に真選組は関係ねェよ。」


ちらりと私を見た。
そこでようやく、私は声を上げた。

「ちょっちょっと待って!」
「「あァ?」」

銀髪と土方の顔がこちらに向く。

「私、匿ってもらう必要ありませんから。」

土方は何を考えているんだ。

私のこと、
何も知らないくせに"匿う"?

匿ってほしいと言ってないし、
帰る場所がないとも言ってない。

私はただ…、

「も、戻りますから…。」

ただ…、
顔を合わせられないだけで。

帰りたくないだけで。
帰らなきゃいけないわけで。

「…だから、…気に掛けてもらう必要はありません。」

私は土方を見る。
土方は細い目で私を捉え、銀髪の方を見た。

「なァ坂田。」
「…、振るなマヨ方君。」
「お前にこれはどう見える?」
「俺に振るなっつってんだろ!」

銀髪は大層困った様子で「あー」とか「でもなァ」と唸った。

「俺んとこはもうスゲェお子ちゃま飼ってるわけよ。」
「それがどうした。」
「え、坂田…さん。お子さんいらっしゃるんですか?」

私が目を見張れば、
銀髪の坂田さんは「だァー面倒臭ェ!」と眉間を押さえた。

「それは追々話すわ。えーっと…、」

"スゲェお子ちゃま"…?
何やら深刻な環境なのかな…。
奥さんはいないってことだよね…。

私が色々と想像していると、坂田さんは私に向かって小さく小首を傾げていた。

何のことか分からなくて、
私は彼の顔に「はい?」と同じように小首を傾げた。

「名前。何てーの?」
「あ、はい。紅涙です、早雨 紅涙。」

言い終えると、隣から「へぇ」と聞こえた。

「紅涙っつーんだ、お前。」
「あ、…はい。」

土方が私をまじまじと見ている。

そう言えばそうだ。
私はまだ彼に名乗っていない。

鬼兵隊のことは気に掛かるが、
私の存在は面も名前も割れていない影のようなもの。

何も問題はない、はず。

「ちょっと土方君んん?!」
「ンだよ。」

坂田さんが身を乗り出して「どういうことだよ!」と言った。

「お前、匿いたい女の名前も知らねェの?!」
「…あァ。それどころか、」

土方はするりと細い眼で、


「なーんにも知らねェよ。」


冷めたような、
遠いような。

そんな眼をして、薄く溜め息を吐いた。

「何何?一体どこで出会ったわけ?」
「お前…女子かよ。」
「名前も素性も知らない女を個人的に匿うんだぜ?気にならねェわけねーだろ。」

土方は心底重い溜め息を溢して、「それは今度説明する」と言った。

「安心しろ、坂田。お前にはただ匿う場所を提供してほしいだけだ。」

彼はいつから、
こんなことを考えていたんだろう。

「飯は俺が連れて行くし、金の掛かることは必要ねェよ。」

…え。

「まァそれでもいつもより金は掛かるだろーから、それは報酬として払う。」

…ちょっと、待って。

「手間は掛けさせねェようにするさ。」
「どうしちゃったんだよ、フォロ方君。」
「…お前、せめて呼び名を統一しろよ。」
「この子の何に心酔しちゃってんの?」

し、心酔?!

「さっ坂田さん!」
「ん?」
「私と土方、さんは全然何もないです!」
「えー、何もないとか言われると何かありそうなんですけどー。」
「ないです!それに土方さん!」
「あァん?」
「ほんとに必要ないですから!私はただ土方さんと話しているとここまで来てただけで…」

そこまで言った時、さわりと腰に何かが触れた。

「ひわっ!!」

思わず背筋を伸ばし、その原因に眼をやれば。

「おいおい、帯刀まで許しちゃってんのかァ?」
"エコヒイキー"

私の刀に坂田さんが手を伸ばしていた。
すすっと触れようとしたその手から、私は刀を守るように身を引く。

「だっ駄目です。」
「ちょっと見るだけだって。」
「ダメです!」

それにしても、この男。

速い。
先ほどから気を掴めないのも、わざと…?

もしかして、この男も強い…?

身を引いたことで、
私はやや土方の背面から坂田さんを窺い見る。

「おい、坂田。」

私の前にいた土方が鬱陶しそうに声を出す。
同じだけ鬱陶しそうに、坂田さんも返事をした。

「ンだよ。」
「あんま紅涙で遊ぶな。」

な、名前…。

「何だよ、やっぱ訳ありな子じゃないのー?土方君にとって。」

坂田さんはじっとりした目で見る。
ついでに背面にいた私も見られたので、激しく顔を左右に振って見せた。

「色んな意味で訳ありな女だろ。なァ紅涙。」

土方は私にニタりと笑う。
何を考えているのか分からないけど、ろくなことじゃないはず。

私はその顔からフンと背けた。
ニタりと笑った土方はそのまま鼻で笑い、

「そういうわけだから、頼んだぞ。」

ひらりと手を挙げて、坂田さんに背中を向けた。

「はァ?!ちょっと待てよ!俺はまだ預かるとは」
「心配すんな。報酬は弾んでやるよ。」
「うぐっ…金を出すとは…。テメェは越後屋か!」

ギャーギャーという声は早朝には大きすぎたようで、

「煩いよ!このアホ坂田!」

下から掠れた女の人の声がした。
それを聞いた坂田さんは「やべっ」と口を噤む。

土方は素知らぬ顔でその場を去ろうと階段を降り始める。

「ちょっと土方!?」

…あ、しまった。
心のままに叫んでしまった。

案の定、土方は片眉をしかめて私を見ている。

「私、ほんとに必要な」
「全部。」
「は、はい?」
「全部、お前のこと聞いたら釈放してやるよ。」

しゃ、釈放って…。
これ…、やっぱり聴取…?

顔を引き攣らせた私を見て、土方はくくと笑う。

「じゃァな、紅涙。」
"昼に迎えにくる"

後ろ手に挙げて、今度こそ彼は帰ってしまった。

あ、頭の中…、
整理しなくちゃ…。

私、どうなったの…?
どうすることになったんだっけ…?

もやもやとした頭のまま振り返れば、

「で?」

ニタニタとした顔の坂田さんが私を見ていて、


「どこをどうしたら、あの堅物がああなんの?」


家の中に押し入れられ、
早朝からイチゴ牛乳で詰められることになった。


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