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35℃


恐ろしいお昼ご飯を見た私は、必死に夜ご飯の場所を考えた。

午後六時。

「で?考えたのか、晩飯。」

昼間同様、
迎えにきた土方の横を歩きながら私は「う、はい」と生返事をした。

と言うのも。

「なんだよ、その返事。」
「あ、あんまり…候補がなくて…。」

思いつかないのだ。

食べたいものも、
行きたい場所も、

考えなければいけないと思うほど出てこない。

「えっと、…。」
「お前…、めちゃくちゃ高ェとこ言うんじゃねーよな?」

土方は顔を引き攣らせて私を見る。
私はそれに苦笑いをして「えっと、」ともう一度口にした。

「ふ、ファミレス!…です。」

思いのほか力強く出てしまったその言葉。
数秒の沈黙の後、土方は笑った。

「ガキかよ!」
「だ、だって思いつかなくて…!」

坂田さんに聞いても、
スナックとか居酒屋ばかりで、

神楽ちゃんに聞いても、
牛丼屋とか食べ放題とかばかりで、

新八君に至っては、
手作りが一番いいですよ!とか言うし。

彼らのことに一々反論していると、
面倒そうに三人が声を揃えて言ったのは"ファミレスでいいんじゃね?"だったわけで。

「ンな悩むなら昼のとこでいいだろーに。」
「ダメです!あそこだけは断固反対です!」

土方は不満そうな目を向けて、またククと小さく笑った。

「いいぜ、ファミレスな。」
"安上がりな女だな"

笑いを引きずりながら言うもんだから、

「徐々に値段を上げていくんです!」

そう言ってやった。

その言葉に、
土方は一瞬黙ったけど、

「…ゆっくり上げろよ?」
"いきなりとかビビるから"

声に僅かな笑みを残して、土方は私に笑った。


そうして済んだ夜ご飯。

「…。」
「ンだよ、その顔。」
「土方…さん、どこに言ってもあの感じなんですね…。」

気持ちの悪いものを見ないようにと別の場所を選んだのに。

「これのことか?」

そう言って胸ポケットから取り出した淡白いチューブ。

「もっもう結構です!」
"仕舞ってください!"

私はすぐさま目を逸らして手で払う。
それを見た土方は「失礼なやつ!」と言って胸ポケットへ仕舞った。

深呼吸をするように見上げた空。

薄く黄色い月は、
私たちを見下げるように浮かんでいる。

「…あ。」

忘れてた。

「どうした?」

取引、今夜だ。

「い、いえ…別に。」

高杉さま、
きっと取引場所に来る。

…もう、悩む時間もない。

「…、」

私は…、
…しなければいけないことをしよう。

それしかないんだ。

どうせ、
彼らから逃げられるわけもない。

どうしてかな。
こんな簡単に決められるなら、もっと早く行けたはずなのに。

今は、
高杉さまに会える。

恐いし、
状況は何も変わってないけど、

この夜の先にあることだと思うと、歩ける気がする。

「…。」
「紅涙?」
「…あの、」

私は足を止めて、土方を見る。

「今日は、ここまででいいです。」
"寄りたいところがあるんで"

まだ万事屋には距離がある。
土方は送ってくれるつもりで歩いていた身体を私に向けた。

「どこだ?」
「べっ別にいいじゃないですか。」
「…。」

そうか、聞き返されるよね。

行く決意しただけで、
ここの逃げ方まで考えてなかったな。

私は怪しむ土方の目に「コンビニです」と言った。

だが土方は、

「なら俺も行く。」

などと言う。

「えぇ?!」
「…なんだよ、悪ィのかよ。」
「…いいえ。」

言ったからには仕方ない。
私と土方は、近くのコンビニまで行くことにした。

こうしている間にも、刻々と取引の時間は迫る。

店内の時計を見れば、
あと半刻もすれば予定時刻だった。

「…。」

どくどくと心臓が鳴る。

緊張、してる。
高杉さまと会うことに。

どんな風に迎えられるのか、
どんな言葉を掛けられるのか、

想像したくないのに、
頭が勝手に色んな情景を見せる。

「お前のは?」
「あ、はい。」

声を掛けられて、私は飲み物を差し出す。
土方はそれと一緒に煙草の会計を済ませた。

店外に出たところで、土方は立ち止まる。

「一本吸わせろ。」

コンビニのガラスの前で、
土方は買ったばかりの煙草の封を開けた。

私はそれを見て、「じゃあ」と声を掛けた。

「じゃあ私は先に帰りますね。」
"失礼します"

土方の顔も見ず、
そそくさと私は彼に背中を向けた。

だが、


「何を急いでんだ?」


やはりと言うべきか、土方は私の足を止める。

「い、急いでなんて…。」
「お前、ずっと時計気にしてただろ。」
「みっ見てない。」
「いや見てた。ファミレスの帰りから、お前は急いでる。」

…ほんと、よく見てるなあ。

何も、
言い返す言葉が見つからない。

この人のように頭も早く動かないし、言い逃れることが出来るとも思えない。

いっそ、
"私は鬼兵隊の一員なんです"って言ったらどうするんだろう。

捕まえる?
そりゃそうだよね。

言えないし、
言うつもりもない。

…だけど、

「…もう、」
「あァ?」

だけど、
もう戻れないな。

「…もう、…関わらないでください。」

だって私は…、

「…何言ってんだよ。」

行かなければ、いけないから。

「どこからそう言う話にな」
「警察に行かなければいけないんなら、行きます。」
「紅涙…、」
「だけど…、今夜は、自由にしてください。」

私の行く場所に、
彼を巻き込むわけにはいかない。

それは高杉さまや鬼兵隊のためでもあり、土方のためでもある。

そして何より、
…私のためだ。

「…ンなこと聞いて、俺が自由にするとでも思ってんのか?」

土方の声が低くなる。
静かに落ち着き、波のように追いつめる。

「そうしてくれると、…思ってます。」
「…。」

ほんのさっきまでの、
あの時間があった関係には、

もう戻れない。

気持ちの悪いご飯も、
ファミレスよりも高いご飯も、

毎日会って、
毎日眉間の皺を見るはずだった土方にも、

もう、会えない。

「…正直、あなたには…本当に困りました。」
「あァ?」
「面倒見がいいと言えばそれまでですが、やり過ぎですよ。でも、…。」

もう少し、

「でも…、…今思うと、…、」
「…。」

もう少し、
こんな時間が続けば良かった。

もう少し、
私たちが普通なら良かった。

「…ちょっと、楽しかった…かな。」

間違いは、
出会いから。

あの夜の、出逢いから。

「紅涙、…言え。」
「…。」
「お前一人で抱えるな。」

伝えることが、全てじゃない。

「これが…あなたのため。」
「…紅涙…?」

伝えることが、幸せじゃない。


「これが、私のため。」


言わない方がいいことだってある。

偽ってでも、
嘘をついていても。

「こんな形しか…、思い浮かばないんです。」

それだけ私たちの道は、違う。

「…帰さねェ。」
「土方さん、」
「絶対、帰さねェ。」

だからせめて。

これ以上、
大切なものを、

「…あなたにこんなことを言うとは思ってなかったけど、」

温もりを、失わないために。


「信じてますから、土方さんのこと。」


私は、
自分から捨てることを、

選んだ。


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