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水蒸気


彼に背を向けて、私は暗い道を歩いた。
土方は、追って来なかった。

ちゃんと、
追って来なかった。

「…ごめんなさい、」

離れる距離に、小さく呟く。
"帰るな"と言って掴まれた手の温もりが、今もまだ熱い。

「…ごめんなさい、…、…ありがとう。」

彼に、触れ過ぎた。

身体とかそんな話じゃなく、

言葉が、
気持ちが、
私自身が、

彼に、触れ過ぎてしまった。

でもきっと、
そのお陰で私は今、歩けている。

「…ありがとう。」

だから、
これは後悔じゃない。
反省だ。

私は、鬼兵隊なのだから。


明かりや民家から随分と離れた場所。

「…紅涙?!」

私を見つけたまた子さんが小走りに駆け寄って来た。

「あんたどこ行ってたの!?」
「…ごめん。」

わき腹に両手を立てて、
また子さんは変わらず私に声を挙げる。

月明かりにほんのり照らされたまた子さんは、

「ほんと馬鹿じゃないの?!」
"連絡ひとつ寄こさずに!"

声とは違って、少し悲しそうな顔をしていた。

その奥から、


「よく来たな、紅涙。」


煙管を片手に、高杉さまがゆっくりと現れた。

その傍には河上さんもいる。
武市さんは周囲の警戒に回っているのか、ここにはいない。

それにしても、
今日は随分と鬼兵隊士の人数が多い。

それだけ重要な取引だったということか。

「…高杉さま…、」

表情はいつもと変わりない様子。

だが、
その眼の奥は凍りついたように冷たく感じる。

「お前に任せた取引相手が来ねェんだが、何か知ってるか?」

疑念の言葉とは裏腹に、
口元には薄っすらと笑みすら窺える。

ああ、
この人は知ってるんだ。

全てを知っていて、私を見ているんだ。

空に浮かぶ、
あの月のように。

「…高杉さま、報告が…あります。」

報告することは、土方以外のことだと決めていた。

だから私は掻い摘んで話す。

"張り込み当夜、
呉服屋へ真選組が乗り込み、そのまま乱戦。

抵抗した取引相手は死亡。
だから取引が出来なくなった"

私一人が喋るその姿に、高杉さまの視線が刺さる。

睨みつけられているわけではないのに、斬りつけられているように痛む。

「…そうか。」

一通り話した後、
高杉さまは自分の吐きだした煙を見ながらそう言った。

「…なァ紅涙、」

変わらない調子で、
視線をゆらりと私に向ける。

「それなら、なぜお前はすぐに報告へ来なかった?」

背筋が、凍る。
逸らしそうになった目を、何とか留めた。

「それは…、…。」

それでも、
言葉は見つからない。

僅かに吹く風の音すら聞こえるほど、

「…。」
「…、」

静かな沈黙が、
より空気を張りつめさせる。

早く。
早く何か言わなければ。

何か口にしようと、
何度も喉元を音が通り過ぎようとする。

なのに、その先で声にならない。

「…ククク、」

沈黙は、
高杉さまの笑い声で破れた。

「同じだ。」

そう言って、
なおも笑う高杉さまに、また子さんが声を掛けた。

「晋助様?」
「類は類を呼ぶ。」
「どういうことっすか?」

私の疑問と同じ物を、また子さんが聞く。
だけど高杉さまはそれに返答せず、

「それなら、」

私を見て、口を歪ませて笑んだ。


「それならお前は何を守ろうとしてんだろーなァ?」


ぞくりとする声。
眼は完全に私を責めている。

"殺される"

頭の中に浮かんだ時、

「晋助様!!」

また子さんの責めるような声に掻き消された。

「ダメッスよ!」
「…。」
「この子には…必要のないことッス!」

彼女が心から慕う彼に、
こんな風に声を挙げたのは初めて見た。

そこまでして私に伏せたこと。

入隊以前のことは、
聞けば私に教えてくれていただけに、隠された今の話が気になる。

私には、
"何"が必要ないんだろう。

「…クク、また子。お前も酷なやつだ。」

高杉さまにそう言われたまた子さんは、苦しそうに唇を噛んだ。

至極楽しそうな表情で煙管に口をつけ、「まァいい」と高杉さまは言った。

「紅涙、お前にチャンスをやろう。」
「"チャンス"…?」
「そう、最後のチャンスだ。」
"ここへ戻るためのな"

高杉さまが指した場所は、彼の足元。
許してくれるとは思ってなかった。

だけど、
僅かながら期待はしてた。

"責められても、また同じ場所に戻れる"

そこでまた頑張ろうって。

だけど今の彼の言葉で、
私はやはり許されない者なんだと分かった。

高杉さまは「万斉」と呼び、彼から小さな紙を受け取る。

その紙は伏せたまま「期限は」と言った。

「期限は五日…いや、三日だ。」
"三日間の内に完遂しろ"

三日間…。

「もちろん今日でもいい。三日以内に出来ればそれで合格だ。」

三日間で、私がすること。
何だろう。
代わりの取引者を連れてくるとか?

「それが終わるまでは、銀時のところを使え。」

"銀時"…?
まさか、坂田さん…?

「…どうして…、」
「なんだ?」
「どうして私が坂田さんのところに居たことを…?」

高杉さまは当然と言った様子で、「ああ」と頷く。

「あいつは昔のツレだ。」
"以前に言わなかったか?"

…あ。
"江戸の万事屋"

初めて坂田さんと会った時、
ちらりと思い出したことはこのことだったのか。

それなら…
それならまさか、土方のことも…?

「…高杉さま、」
「どうした。」
「坂田さんと…お会いしたんですか?」

どちらとも取れそうな言葉。

"何を聞いたのか"
そう彼に言えればいいが、怪しい質問になる。

「いや。生憎、俺のことが嫌いらしくてな。」

クッと口元を歪めて笑い、

「お前が心配することなんてねェさ。」

どちらとも取れる言葉を私に投げた。
高杉さまは坂田さんと会っていない。

でも…
その言葉の意味は…?

「ンなことより話の続きだ。」

思い出したように、高杉さまは笑むを含ませた。

「お前が三日間でする仕事。」
「はい。」

必ず、完遂しなければ。

また戻るために。
やっと見つけた、私の居場所。

血生臭くても、
彼らとの時間は楽しかったから。

私は必ず、
完遂しなければいけない。

「お前の仕事は、」

高杉さまは、
喉を鳴らして笑った。


「真選組を、消せ。」


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