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袋小路の風


蒼黒い夜。
坂田さんのところへ戻るために動く足。

「…。」

三日間。
その時間の中で、
どうやって土方を殺すか。

そう考え出しては、

「…、」

殺したくない、と言葉が頭を埋める。

それでも私に残っているのは、

あの場所と、
このチャンスだけで。

「…出来る…、」

高杉さまの前で言ったように、
私はまた自分の刀を握りしめて呟いた。


蝶の尾ひれ
― 明澄編 ―


静まり返った街。
坂田さん達を起こしてはいけないと思い、そろそろと玄関を開ける。

だけど、
玄関に入った時、

「…?」

鼻を掠めた匂い。
ぼそぼそと聞こえる男の声。
そして奥の部屋につく明かり。

「起きてる…?」

本当に小さく呟いた私の声。
だけどそれを切欠に、ピタリと声が止んだ。

気に掛けながら靴を脱ごうとすれば、

「っ…、この…、靴…、」

この家には相応しくない黒い靴。
鼻を掠めた匂いで、全てを決定付けた。

「…、…うそ、」

土方が、ここにいる。

「…だ、だめ…。」

目を見る自信がない。
まだどんな顔をして会えばいいのか分からない。

「…、」

入れない。
ここには居れない。

先ほど通ったばかりの玄関に手を掛けた時、

「…あー!!!」

背後で大声がした。
振り返れば、坂田さんが私を指さしている。

「てめっ、どこ行ってたんだよ!」

ドカドカと足音を立てて近寄ってくる。
私が心配になるほど、彼は先ほどから音が大きい。

「さっ坂田さん、静かにした方が…、」
「煩ェよバカ!心配掛けさせんな!」

叱責を受けて、頭を叩かれる。
私はそれを唖然とした様子で受け止めた。

「…ご、ごめんなさい。」

たった一日程度の時間。
それだけしか彼とは接していない。

なのにこんなにも怒って、心配してくれる。

優しい。
…温かい。

また、
大切にしたいものを見つけてしまう。

「ったくよォ、」

坂田さんは頭をガシガシと掻いて、

「やっぱ出て行かねェで正解だったろーが。」

そう言って、
明かりのついている部屋の方を見る。

するとそこから、
ゆるゆると漂う煙と一緒に、

「…あァ。良かった。」

土方が、顔を出した。

「ほんと、…良かったよ。」

呆れたような溜め息と一緒に私の前に立ち、土方は苦笑する。

その光景から目を放したかった。

とても、
見ることは出来なかった。

はずなのに、

「…っ、」

土方から、目が放せない。

痛い。
心臓の少し上。

苦しいぐらいに、痛いのに。

私は、
彼を手に掛けることになる。

一つの命と、数十の命。
鬼兵隊である私が守るべき命は、後者。

それで、いい。
それでいいんだ。

私の想いだけでは、とても選べない。

ただ守るべき命を、
私は守ろう。

奥歯を噛みしめた時、坂田さんが土方に声を掛けた。

「で、土方君。どうすんの?」
"どの辺から聞く?"

それに土方は「いや、」と顔を横に振る。

「聞かねェよ。」

私を見て、
ゆるく息を吐いた。


「そんな泣きそうな顔すんな、紅涙。」


息が、つまった。

私を見る眼も、
私に掛ける声も、

そんなに、
優しくしないでほしい。

あなたを斬るのは、私なんだから。

この手を、
その血で濡らすのに。

「…、」

黙ったままの私の頭を撫でて、土方は「帰るわ」と通り過ぎた。

「え、いいのかよ!」

坂田さんは靴を履くその背中に言う。

「お前散々心配してたくせに、聞かねェの?!」

土方は「うっせェな」と言って立ち上がり、

「いいんだよ、今は。」

私を見て、薄く笑う。

「言えるようになったら言えよ。」

「だから、」と続けて、


「急に居なくなるとかは、無しな。」


軽く私の頭に触れて、「じゃあな」と後ろ手を上げた。

「ああそうだ、」

玄関を閉める直前、

「坂田、こんな時間まで悪かった。」
"割増し、しとくから安心しろ"

そう言って出て行った。
トントンと階段を降りる音が響く。

僅かな時間でそれはなくなって、

静かな夜に戻った頃、

「…気持ち悪ー!」

坂田さんが自分の腕を擦りながら言った。

「何アレ!何ですかアレぇぇ!!」

ひぃぃと叫んで、
坂田さんは土方の出て行った玄関を見る。

「あーやべェわ。これマジで槍とか降るんじゃね?」

ブツブツと言いながら、
私に背を向けて部屋へと足を向ける。

「あ、そうだ。」

坂田さんがこちらに振り返った。

「俺はすげェ聞きてェから。」
「…え?」
「お前が何をしてきたのか。」

私を見る眼が鋭い。
その眼も、高杉さまと居たのなら納得出来る。

「だけど聞く気はねェよ。」
"あいつが聞かねェんだし"

坂田さんは「だがな、」と私に目を細めた。

「俺の知る蝶は、闇にしか飛ばない。」

そ、れは…、

「"あれ"と、お前は違うはずだ。」

それは…、
高杉、さまのこと…?

「お前には似合わない。」

"似合わない"

私は…、
私はあの場所に、居たくて。

あの場所しか、なくて。

似合うように、
相応しくあれるように、

いつしかこの蝶だけが、私を支える証で…。

「切れねェんなら、俺も力貸してやるから。」

…坂田、さん。

「…切らなきゃ…、ダメですか。」


一瞬で大切なものを失った時、
私の手を引いてくれたのは、あの人で。

「切る必要なんて…ないです。」

鬼兵隊が、
受け入れられないのは分かってる。

してることも、反社会的で。

「…紅涙、目ェ覚ませ。」
「…。」

でも、
その部分だけで切れるものじゃない。

少なくとも、私にとっては。

「紅涙。」
「…。」
「…、…ったく、分かった。お前の好きにしろ。」

坂田さんは"はあ"と溜め息を吐いて、また険しい顔をした。

「だがお前のすることはお前の責任だ、分かってんだろーな。」

私は彼に黙って頷く。

「お前が責任取れる範囲でしか動くな。」

…坂田さんは、
何も知らないはず。

私が何をしなければいけないのか。

何ひとつ、
知らないはずなのに。


「誰も巻き込むな。誰にも迷惑掛けるな。」


彼は、
全てを知っているように諭す。

…いや、
これは当たり前のことか。

私が鬼兵隊を抜ける気がないのなら、せめて人道を通せということか。

「…だけどよ、」

坂田さんは少し目線を下げる。


「…あいつは、…巻き込んでやってもいいと思うぜ。」


"あいつ"
土方の、こと。

「分かんだろ?お前のこと、心底」
「巻き込みたくない。」
「紅涙…、」
「巻き込みたく、ないよ。」

一番、土方を巻き込みたくない。

本当は、
彼を、守りたい。

本当は、

彼を、
生かしたい。

…でも、

「巻き込みたくないのに…っ、」

…私は。
私は、鬼兵隊だから。

「私っ…、」
「紅涙…、」

坂田さんは、
その後しばらく私に付き添ってくれた。

何をするわけでもなく、
何を話すわけでもなく。

ただ横に、ずっと居てくれた。


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