26
息をするということ
土方とその場所を出た時は丁度お昼だった。
だけど私は「買い物を頼まれてるので」と断った。
土方は特に気にする様子もなく「そうか」と返事をして、
「じゃァまた夜に。」
口元に浅く笑みを浮かばせる。
私は「はい」と返事をして、同じように笑みを作った。
背を向けて、
互いに違う方向へ歩く。
極自然なことなのに、違和感があった。
身体の中が、
ザワついて仕方がない。
私は足を止めて、恐る恐る振り返った。
「…、」
だけどそこには、
ただ行き交う人が目に映るだけ。
「…誰に、…居てほしかったんだろう…。」
自問して、私はまた前を向く。
終わりが、見える。
私の歩くこの道に。
「…。」
仕舞っていた携帯を取り出す。
登録してある番号は、たった一つ。
それがどこに繋がっているのかは、考えなかった。
---プルル…
数回のコールの後、『よォ』と声が聞こえた。
「…遂行日の、報告です。」
私の言葉に、
小さく笑う高杉さまの息が聞こえた。
『いつだ。』
「…今夜、0時です。」
『それはまた急な話だな。』
「申し訳ありません。」
淡々とした自分の口調に驚いた。
単調な声。
起伏のない音。
『で?どこでやるつもりなんだ。』
「…、…あの屋敷を予定しています。」
指定した場所に興味を持ったのか、高杉さまは『ほう』と静かになる。
あの場所は、
私にとって特別な場所。
それを、
こんなことに使うのが興味の種なのかもしれない。
だけど、
"場所"と言われた時、
私はここしか浮かばなかった。
「…問題ありませんか?」
『あそこは隠れ場所も多い。なかなかいい選択だ。』
仲間といた楽しい時間。
想い出ばかりの、永遠。
あの場所は、大切な場所。
『23時、そこに部隊を待機させる。』
「…はい。」
『策があるなら、その時に伝えろ。』
「分かりました。」
そんな場所で、
私は土方を手に掛ける。
大切な場所だからこそ、…なんて言うのは綺麗事だ。
それでも。
彼と終わるのは、
あの場所しかないと思った。
『ああそうだ、紅涙。』
思い出したようには聞こえない声。
『お前に言い忘れてたよ、報酬のこと。』
報酬…?
「何の、話しですか?」
『鬼兵隊にとっても大きな一歩を成すんだ、報酬ぐらい必要だろ?』
きっと彼は今、
口の端を吊り上げて、薄ら笑みを浮かべている。
目の前に居るかのように、高杉さまの顔が見える。
「…ありがとう、ございます。」
『クク、浮かねェ返事だな。』
「そんなことは…、」
『まァ報酬を聞けば、お前の力になるだろーよ。』
勿体ぶる言い方に、
私は「どういうことですか?」と聞いた。
『お前の報酬は"あの日の夜"だ。』
あの日の、夜…?
『お前の知らない時間を教えてやる。』
何のことを言っているのか、頭の中を必死に探す。
『俺たちだけが持っている情報だ。』
それはとても甘美なもののよう。
"あの日の夜"
"私の知らない時間"
…まさか、
まさか、あの夜のこと…?
全てを失った、あの夜?
でも…、
でもどれだけ探しても、
今まで何一つ見つからなかったのに…。
「…、」
『なんだ、まだ分からねェのか。』
"存外、価値がないのか"
クククと笑う声で、
彼を満たしている様子がよく分かる。
『お前が仲間を失った夜の情報が、報酬だ。』
それが報酬だと言われた時、私は手が震えた。
もう見つからないと、
どこかで未完成のまま完結した話。
そんな風に思っていたことが、一瞬で動き出す可能性を秘めた。
『どうだ、紅涙。』
"報酬の価値はあるか?"
私はその質問に、間を空けずに答えた。
「これ以上ない報酬です。」
これほど嬉しいことはあるだろうか。
これほど嬉しかったことは、過去に思い当たらない。
…だけど、
それを私が手にするのは、
『それを得るためにも、必ず結果を残せ。』
全てが、
終わった時なんだ。
「…、…はい、」
私の出来る返事は、一つしかない。
なのにそれを分かっていて、高杉さまはわざと間をつくる。
『ククク…、いい報告を期待してる。』
そう言って切れた電話。
私はそれを耳から離して、どこかぼんやりした頭のまま空を見上げた。
「…よく、晴れてる。」
今日は、
きっと星の綺麗な夜だろう。
「みんな…、見てるのかな。」
みんなの眼から見る私は、どんな風に映っているんだろう。
「ごめん、みんな。…場所、貸してね。」
天井のない空に目を細めた時、ふと思い出した。
「あ。土方に、聞くの忘れちゃった。」
みんなが殺された夜、
どうして真選組が来たのか。
騒ぎを聞きつけて…?
野次馬も居なかったのに…?
それに何より、
救急車じゃなく、彼ら真選組が来たことが気になる。
もしかして真選組は、
なにか別件で駆け付けたのではないのか。
「…夜、聞こうかな。」
ひとり、そう口にして。
「聞けるのかな。」
ひとり、苦笑する。
「…あと、少しだ。」
あと、少し。
この手で彼を斬り、元に戻るまで。
「元に、戻る、…。」
何度も立ち止まる足。
何度も過るわだかまり。
「…私、生きるよ。」
たとえ、
私の生が誰かの上にあるものでも。
「もう、時間はないから。」
留まる時間は、
あまりも少ないから。
- 26 -
*前次#