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樹海


「ぐっ!」

土方のくぐもった声が挙がる。

「…ッ痛ェ。」

弾は当たっていない。

土方は抜いた刀で弾いたが、
私との距離が近かったのもあり、想像以上の力が加わったようだ。

「来る。」

私の声が土方を動かす前に、
既にその背後に仲間の影が掛かっていた。

---ヒュッ…

「くっ…、」

息をつく間もなく、振り下ろされる刀を防ぐ。

右に避けても、
左に避けても、

四方を固められている彼に逃げ場はない。

「土方…、」

その様子を見ていた私に、一人の仲間が近寄って来た。

「お怪我はありませんか?」
「…遅くなってごめん。」
「いえ。ここから先は、予定通りに我々が追いつめます。」
"あなたは高みの見物でも"

私が頷いた時、
刀と刀のぶつかる音が耳に響いた。

目をやれば、
土方の刃が仲間を斬っている。

その隙に、
違う仲間は土方に斬りかかる。

「…。」

守りたい人、
守りたい仲間が血を流すこの状況で、

「私、…、」

私だけが何もしていない。

元はと言えば、
ここに居る人は全て私が巻き込んだ。

なのに私だけが、何もしていない。

「…。」

砂埃を上げる場所に足を向けようとした時、

「なりません。」

腕を引っ張られ、止められる。

「あなたは奥に。」
「でも…私が」
「高杉様からの命令です。」

え…?

「…これは私の判断で遂行しろって…、」
「ええ。…しかし我々はあなたを過剰に動かせるなと命を受けております。」

"留めは必ずあなたにさせるようにとも"

…なんだ。
結局全部、高杉さまの手の上なんだ。

彼らが持ってきた策も、高杉さまの息が掛かっているに違いない。

それなら…、

「…他には?」
「はい…?」
「他に私に言ってないことはないの?」

私が聞いた策の裏で、
何かを計画されているかもしれない。

あの人が楽しむための、何かが。

「いいえ、ございません。」
"疑いがあれば我々の命をあなたの自由に"

顔色変えずに言う彼に、
薄く溜め息を吐いて「分かったわ」と返事をした。

「それでは、奥へ。」

私は指された場所で腰を下ろす。
それを見届けた仲間が満足そうに笑みを浮かべて戻った時、

「ぐあっ!」

別の仲間の一人が倒れた。
続いて数人斬られ、土方も血を流す。

動き回るせいもあってか、
砂利の上には誰のものか分からぬ血が点々と色をつけていた。

「あの時とは…違う…。」

この場所にあった血溜まり。
これだけの人数が斬り合いをしているのに、溜まりはない。

やはり尋常じゃなかったことは明確。

「…斬り合いすら、出来なかったの…?」

一方的に、とは思っていたが、
突きえぐるような斬り方じゃないと、あれだけ早く血溜まりを作れない。

「…っ…、」

目の前に甦る記憶が耳鳴りを呼ぶ。
咽るような吐き気に襲われて、私は無理矢理に唾液を呑み込んだ。

…その時、
今までとは違う土方の声が響いた。

「くっ、」

後退した身体。
手の甲から出血が酷い。
指に力が入らなくなるかもしれない。

その傷をつけた一人が、血のついた刀を振って笑った。

「さすがにお疲れですか。」

土方はそれを鼻で笑い、「紅涙、」と私を呼んだ。


「てめぇの厄介事、片づけんの…ちょっと時間掛かりそうだわ。」


彼らを見たままそう言って、振り払うように血を拭う。

「土方…、」
「悪ィな、待ってろよ。」

刀を握り直した時、仲間の一人が「笑止」と言った。

「時間など掛かりません。」
"時期に終わりますよ"

「それに」と感情のない声は風のように流れる。

「あの方は、あなたを待っていない。」
「煩ェよ。」
「あなたはここで、一人寂しく死ぬんですよ。」
「ハッ。知った風な口利くんじゃねェ。」

ペッと吐き捨てたものは、血が混じっている。


「俺が死ぬわけねェだろうが。」


土方は、何も変わらない。

傷を作っても、
血を流しても、

圧倒的に勝てないこの状況でも。

「…土方…、」

彼は、
私に見せた彼のまま。

自分が片づけてやると言ったそのまま。
しなければいけないことを、している。

「…、」

分かっていた。
想像できていた。

いくら土方の腕が良くても、こうなることは分かっていた。

分かっていたのに、

「私、は…、」

期待していた。

土方が生きられる時間を。
可能性のある時間を。

「…。」

私は彼のように、
しなければいけないこと、できるのだろうか。

そしてその先にある、

「…、」

黒く染まりゆくその未来を、

「…、…土方…。」

私は本当に、
受け入れられるのだろうか。

結末を予想せず、
思いの通りに動く世界は、こんなにも恐い。


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