32
樹海
「ぐっ!」
土方のくぐもった声が挙がる。
「…ッ痛ェ。」
弾は当たっていない。
土方は抜いた刀で弾いたが、
私との距離が近かったのもあり、想像以上の力が加わったようだ。
「来る。」
私の声が土方を動かす前に、
既にその背後に仲間の影が掛かっていた。
---ヒュッ…
「くっ…、」
息をつく間もなく、振り下ろされる刀を防ぐ。
右に避けても、
左に避けても、
四方を固められている彼に逃げ場はない。
「土方…、」
その様子を見ていた私に、一人の仲間が近寄って来た。
「お怪我はありませんか?」
「…遅くなってごめん。」
「いえ。ここから先は、予定通りに我々が追いつめます。」
"あなたは高みの見物でも"
私が頷いた時、
刀と刀のぶつかる音が耳に響いた。
目をやれば、
土方の刃が仲間を斬っている。
その隙に、
違う仲間は土方に斬りかかる。
「…。」
守りたい人、
守りたい仲間が血を流すこの状況で、
「私、…、」
私だけが何もしていない。
元はと言えば、
ここに居る人は全て私が巻き込んだ。
なのに私だけが、何もしていない。
「…。」
砂埃を上げる場所に足を向けようとした時、
「なりません。」
腕を引っ張られ、止められる。
「あなたは奥に。」
「でも…私が」
「高杉様からの命令です。」
え…?
「…これは私の判断で遂行しろって…、」
「ええ。…しかし我々はあなたを過剰に動かせるなと命を受けております。」
"留めは必ずあなたにさせるようにとも"
…なんだ。
結局全部、高杉さまの手の上なんだ。
彼らが持ってきた策も、高杉さまの息が掛かっているに違いない。
それなら…、
「…他には?」
「はい…?」
「他に私に言ってないことはないの?」
私が聞いた策の裏で、
何かを計画されているかもしれない。
あの人が楽しむための、何かが。
「いいえ、ございません。」
"疑いがあれば我々の命をあなたの自由に"
顔色変えずに言う彼に、
薄く溜め息を吐いて「分かったわ」と返事をした。
「それでは、奥へ。」
私は指された場所で腰を下ろす。
それを見届けた仲間が満足そうに笑みを浮かべて戻った時、
「ぐあっ!」
別の仲間の一人が倒れた。
続いて数人斬られ、土方も血を流す。
動き回るせいもあってか、
砂利の上には誰のものか分からぬ血が点々と色をつけていた。
「あの時とは…違う…。」
この場所にあった血溜まり。
これだけの人数が斬り合いをしているのに、溜まりはない。
やはり尋常じゃなかったことは明確。
「…斬り合いすら、出来なかったの…?」
一方的に、とは思っていたが、
突きえぐるような斬り方じゃないと、あれだけ早く血溜まりを作れない。
「…っ…、」
目の前に甦る記憶が耳鳴りを呼ぶ。
咽るような吐き気に襲われて、私は無理矢理に唾液を呑み込んだ。
…その時、
今までとは違う土方の声が響いた。
「くっ、」
後退した身体。
手の甲から出血が酷い。
指に力が入らなくなるかもしれない。
その傷をつけた一人が、血のついた刀を振って笑った。
「さすがにお疲れですか。」
土方はそれを鼻で笑い、「紅涙、」と私を呼んだ。
「てめぇの厄介事、片づけんの…ちょっと時間掛かりそうだわ。」
彼らを見たままそう言って、振り払うように血を拭う。
「土方…、」
「悪ィな、待ってろよ。」
刀を握り直した時、仲間の一人が「笑止」と言った。
「時間など掛かりません。」
"時期に終わりますよ"
「それに」と感情のない声は風のように流れる。
「あの方は、あなたを待っていない。」
「煩ェよ。」
「あなたはここで、一人寂しく死ぬんですよ。」
「ハッ。知った風な口利くんじゃねェ。」
ペッと吐き捨てたものは、血が混じっている。
「俺が死ぬわけねェだろうが。」
土方は、何も変わらない。
傷を作っても、
血を流しても、
圧倒的に勝てないこの状況でも。
「…土方…、」
彼は、
私に見せた彼のまま。
自分が片づけてやると言ったそのまま。
しなければいけないことを、している。
「…、」
分かっていた。
想像できていた。
いくら土方の腕が良くても、こうなることは分かっていた。
分かっていたのに、
「私、は…、」
期待していた。
土方が生きられる時間を。
可能性のある時間を。
「…。」
私は彼のように、
しなければいけないこと、できるのだろうか。
そしてその先にある、
「…、」
黒く染まりゆくその未来を、
「…、…土方…。」
私は本当に、
受け入れられるのだろうか。
結末を予想せず、
思いの通りに動く世界は、こんなにも恐い。
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