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暁方の闇


それからしばらく。

歯の浮きそうな音は静かな夜に響く。
同じく響くのは、小さくはない男たちの声。

この場へ誰も来ないのを見ると、
やはり周囲に張った仲間が機能しているということだろう。

「はあ、っしつけェ!」

土方も仲間たちも息は上がり、斬り合う間も長くなっている。

「なかなか面倒な方だ。」

薄ら笑みを浮かべる仲間も、初めに比べれば随分と減った。

私が近寄れない今、
彼らが絶命しているのかを確かめる術はない。

もし。

あの命が途絶えてしまっていて。
ここから誰も明日に向かえなかったとしたら。

「…っ。」

私たちは…、
何て無意味なことをしているんだろう。

「…だめだ。考えない。」

そうならないために、今動いてる。

誰も傷つけずに済まない。
犠牲は付き物と思いたくはない。

だけど、
それが現実。

「…今が、現実、…。」

高杉さまが見せた、現実だ。
あの人はいつだって、私に夢を見せない。

『お前は弱い。』

出会った時から"今"を見せた。
それが私にとってどんなに辛くても、必ず幻を見せない。

「…。」

あの人は今、
どうしているんだろう。

どこで私を笑っているんだろう。

「っぐっ!!」

くぐもった土方の声と同時に、カシャンと砂利の上に落ちる音がする。

落ちたのは、刀。

刃を半分に折った、

土方の刀。

「…ッ、」

砕けるように、土方の片膝が折れた。

「そろそろ潮時、でしょうかね。」

仲間の声が、
風に揺れる木々と共に響く。

「しかしあなたの腰にはもう一本ある。」

土方は顔を下げたまま、
ぽたぽたと地面に赤い染みをつくっていく。

「それも使いますか?」
"まだあなたが動けるのなら"

淡々と話す素振りではあるが、彼も傷を負っている。

同じように土方を囲む仲間も、立って構えてはいるが傷が酷い。
人数だって片手で足りる程度だ。

「はあ、はあ、」

満身創痍。

土方は肩で息をして、
血でより黒くした髪を揺らしている。

顔は、まだ上がらない。

手をついて
膝をついて、

ただ荒く息をするだけ。

「…どうやらもう終わりのようですね。」

仲間の一人が私を見た。

「お任せ致します。」

そう言うと、
囲んでいた数人も土方から距離を置く。

土方は動かない。
…もう動けないのかもしれない。

「…、…分かった。」

私は銃を持った。

また子さんに貰った銃弾は三発。
始める相図に一度使ったので、残りはあと二発。

「…。」

あんな土方を、
仕留め損ねるわけがない。

声も出せず、
ただ血を流して存在するだけの土方に。

「…、…。」

私は彼の前まで歩く。

「はあ、っ、はあ、」

肩を揺らして漏らす息は、血が絡んで実に苦しそうだ。

「…、…土方。」

私の声に、
初めてここに気配を感じたかのように反応した。

「…よ、ォ、紅涙、」

ゆっくりと上げる顔。
大きく頭から流れる血が、彼の左目を邪魔している。

「悪、い…、まだ、…時間、掛かる、…、」

口角を上げて言った土方は、

「…ぐ、っ、」

重い身体で折れた刀を拾った。
力を入れれば、吐き出す様にボタボタと血を流す。

「っ、」

私はその光景に、眉を寄せた。
思わず支えに伸ばそうとした手を、何とか止める。

「…土方、もう…いい。」

力強く握るも震える手。

「…もう、…無理だよ…。」

踏み締めるも崩れる足。

「もう、…やめなよ…。」

生きることが、
生きてほしいことが、こんなにも辛いと思わなかった。

傷ついた彼に、
これ以上どう生きてほしいと言えるだろう。

死ななければここを出られないのなら、早く楽にさせてあげたい。

「土方っ…、」

素直にそう思えるほど、彼の姿は痛ましかった。

「…、…バーカ。」

視界が歪み始めた頃、土方は吐き捨てるように笑った。

「諦めんじゃ、ねェッよ…、」

そう言って、
ぐぐっと背中を伸ばした。

土方の影に、まとまった血が落ちる。

「俺、は…、っ、諦め、ねェッ、」

背が、私を越えて。


「だからお前も、ッ…諦めんなよ、」


私は見下げるように目線を向けた。

「な…?」

弱く微笑む土方は、とても儚く見えた。

「土方っ、」

儚くて、
遠く感じた。

「…おい、テメェら、」

土方の視線は、私の背後に向けられる。

「勝手に、ッ終わらせてんじゃ、ねェっ!」

怒声すらも、千切れる言葉。

「来い!」

構えて見せる姿でも、
不安定な二本で支える身体に軸はない。

「…くく、潰しきらないと倒れないのですか。」

仲間の一人が土方に声を掛けた。

「ですがその刀は折れている。」
"どうせなら腰の刀にすればどうです?"

彼が言うように、
土方の構えるその手にある刀は、先ほど折られた刀だ。

「安心してください、それも折ってさしあげますから。」

そう言いながらゆっくりと足を進めた時、

「これは、…使わねェ。」

土方は、唸るように口にした。

「…この刀は、使わねェ。」
「ほう…。」
「お前らはッ、…これで、十分だ。」

握り直した手にある、刀身の折れた刀。
それを見ながら仲間の一人は鼻で笑った。

「構いませんよ、それならそれで。」

私の横まで来た時、
こちらに顔を向けて「申し訳ございません」と言った。

「この男、潰し損ねていたようです。」
"すぐに終わりますので"

刀を抜きながら通り過ぎようとした彼を、

「…待って。」

私は止めた。

「いかがされましたか。」
「…必要ない。」
「はい?」

あの場から一歩でも足を動かせば、土方はきっと倒れてしまう。

「もう放っておいても…死ぬよ。だから、」

踏み込んで、
斬り掛かるなんて出来やしない。

「だから、…。」

これ以上、
無駄な血を流す必要はない。


「…私が、する。」


これ以上、
傷を増やす必要なんてない。

もう土方は、
十分に、自分の信念を貫いた。

次は、


「私が、…終わらせるよ。」


私の番だ。


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