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紅い決別


遠くまで響いた一発の銃声。

土方は、ゆっくりと倒れた。

違う。
ゆっくりに、見えただけだ。

後ろに、
何の力も入れずに、

ドサりと、倒れた。

「…っ、…、」

それを眼に入れて、
頭の中で再生された頃、

「ぁっ、…っ、」

私の眼から、涙が溢れた。

流れはしない。
ただ視界が溺れるだけ。

手は震えて、
そのまま銃を落とした。

「お疲れさまでした。」

背後から声を掛けられる。

私の眼は、
未だ土方から放せない。

仰向けになるその身体。
脇腹からは、じわりじわりと血が流れ始めて来た。

「あとは我々が片づけておきますので。」

そう言って私を通り過ぎる。
土方に触れようとしたその手を、

「っやめて!」

私は止めていた。
悲壮な声が異様だったのだろう。

「どうされましたか。」

彼は驚いた様子でこちらに振り返った。

「…私が…、私がやるから。」

土方を見たまま、足を進める。

「私が、…片づけるから。」
「…ですが、」
「戻って報告、して。」

私はそこで初めて仲間を眼に入れる。

「高杉さまに、報告して。」

彼を映す眼には、
幸運にも溢れそうな涙はなかった。

「彼らのことも、早く手当てして。」

散らばって倒れている仲間を見る。

「これ以上、…失わないように。…早く。」

"お願い…"

彼は私に微笑んで頷いた。

少し悲しそうに、
この夜が始まる前のように。

「…かしこまりました。」

まだ立っている仲間に声を掛け、倒れている者を担いで行く。

「…。」

立ち去る様子を見ながら、
私はこれでようやく終わるのだと思った。

最後の一人が、振り返る。

ずっと、
彼らをまとめるように動いていた彼だ。

「…あなたのお戻り、お待ちしてます。」

「私は、」と彼は続けた。

「私はあなたに言わなければいけないことがあります。」

言わなければ、いけないこと…?

「謝らなければいけないことが、あります。」
「…なに…?」

私の問いに、彼は顔を振る。

「お戻りになってから、お伝えします。だから、」

肩に掛けた仲間を担ぎ直して、

「どうか、必ずお戻りください。」

小さく頭を下げた。

そのまま、
彼は茂みを越えて、夜に消える。

「…謝ること、か…。」

彼が私に謝ること。
そんなことをされた記憶はない。

「いいよ…。許すよ。」

いなくなった背中に、私は呟く。

「私に謝ることなら、許すよ。」

私のことなら、気にしないで。
謝る必要だってない。

むしろ私が、
あなた達に謝らなければいけないぐらいなのに。

「…。」

私は、土方を見る。
土方は変わらず眼を瞑ったまま。

その傍に屈み、胸を見る。
上下に呼吸する様子は見て取れない。

「…。」

私は土方の腰に挿したまま使わなかった刀を見た。

するとそれは、

「っ…これ…、」

私の刀だった。

『落ちてたんです。』
『落ちてた?』
『は、はい…。こ、ここに…。』

土方に渡したままだった、刀。

「持って…来てくれたの…?」

私のじゃないって、言ったのに。

「…だから、使わなかったの…?」

私に返すために、折れた刀で挑み続けたの?

「…、っ…馬鹿じゃないの…っ?」

使えばいい、
汚せばいい。

あの時、
私のじゃないって言ったんだから捨てたって良かった刀なのに。

「馬鹿だよっ…、土方っ、」

こんな私のために、
土方が向けてくれる優しさが苦しい。

「っ、馬鹿だっ…、っ、」

土方を想うと、

苦しい。


「…っ…ェよ、」


私の漏らす息の他に、小さな声が響いた。

瞑りかけていた眼を開く。

「土方…、…?」

その眼が、
薄く開いて。

「…ばか、ばか、…って、…煩ェよ、バカ…。」

僅かに口を歪ませて笑みを見せた。

「…っ、…良かった…、」
「…おまえ、…銃も、使えんの、…かよ。」

土方の声に、私は小刻みに何度も頷いた。


「死なねェ、ように、撃ったのは…お前、だろ…?」


"何泣いてんだよ"
伸ばそうとした土方の手を、私は支えるように握った。

そう。

私は、
土方を撃っていなかった。

土方の腰にある刀…私の刀の"頭"を狙って撃った。

それでも衝撃は十分。
土方はまるで撃たれたように倒れた。

"頭"が平面になっていたことと、
土方が動かなかったことが幸いだった。

もし刀の仕様が他の物だったり、土方が動いていれば傷を増やしていたはず。

…また子さんに教えてもらった扱い方が活きた。

「…血は…?」

私は土方の腰の刀を抜き取り、脇腹を見る。

「弾の…傷は、ねェ、よ。」

土方の言う通り、傷はない。

砂利に染み出た血は、
倒れた時の衝撃で背中の傷から溢れたもののようだった。

「本当に、っ…良かった…、」

土方を守れた。
仲間も守れた。

「良く、ねェよ、ッ、早く手当て、しねェと、…やべェし!」

確かに失血が酷い。
それでもこれだけ喋られるのだから、見た目よりも中身は酷くないのかもしれない。

「ああー…まじ、やべェんじゃ、ねェ…?」
"眠く、…なってきた、し"

土方は目を瞑る。
私はその顔を見ながら「大丈夫だよ、」と声を掛けた。

「血を流し過ぎたせいで、眠いだけだよ。」
「冷静、か、…テメェは…。」
"もっと…、心配、しろよ…"

目を瞑りながら話す土方に、私は小さく溜め息をついた。

もちろん、
少しの安著の溜め息。

「ねぇ…土方、」

…あのね、

「次に目が覚めたら、…言いたいことがあるの。」

私の気持ち、
伝えたいんだ。

「土方、聞いてる?」
「…ん、…聞いて、る…、」

土方に貰った優しさを、
土方に貰った愛おしさを、

「はやく、…起きる、から…。」
「うん…、」

今度は私が、


「待ってる。」


たくさん伝えるよ。

「おやすみ、…土方。」

穏やかに上下する胸を見て、私は握っていた手を離した。

すぐに救急を呼ぼう。
その後は真選組にも連絡をして…。

そう考えた時、


「おやすみ、紅涙。」


ドンッと背中を誰かに押されたような衝撃。

聞き覚えのある声。

確か、
この声は…、

振り返ろうとした時、
カッと燃えるように腹部が痛くなった。

目をやれば、
紅く濡れた切先が胃の辺りから突き出している。


「…なに、…、」


何これ?

口に出そうとした時、
その切先は身体の中をギギギと音を立てて抜けて行った。

「ッ!ゴホッ…!ッ!」

途端に溢れ出る血。

痛みが頭に響く。
身体に響く。

鳴りやまぬ痛みで意識が遠のく中、


「…用無しだ、紅涙。」


背後で、
高杉さまはいつもと変わらぬ声で私に言った。


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