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魔法の靴


紅涙は、とんでもねェ女だった。

俺が想像していたよりも、
何倍も深い組織に属していたようだった。

あれだけの技量を持ち合わせたやつらなら、そこらにある攘夷ではない。

思いつくのは、ただ一つ。

だが、

『…、…生きて。』

この夜は、
俺だけの知る夜。

『出逢いから、…やり直そうよ。』

俺と紅涙の夜。

だから、
この夜は…終わり。

これ以上も、この先も、何もない。

一日が終わるのと同じ。
過去になり、忘れる日。

『次に目が覚めたら、…言いたいことがあるの。』

明けた俺達の空は、
きっと輝いている。

「…、…紅涙…、」

早く、
逢いたい。

逢いてェよ…、紅涙。


「…あ!ふっ副長?!」

薄らと目の前に何かが映る。
覗きこむようにしていた山崎の顔が驚いたように動いた。

「局長ー!目が覚めましたよ!!」
「何?!ほっ本当か?!」

わーわーと騒ぐ声をどこか遠くに聞きながら、周りを見渡した。

質素な部屋。
白くて硬いシーツ。
自分に繋がる管。
壁に掛けられた俺の隊服。

「トシ!」
「近藤さん…、俺は…、」

身体を起こそうとすると全身に電流のような痛みが走る。

「ッ、」
「まだ起きるな、傷が酷かったんだから当然だ。」

近藤さんは俺の肩を押して寝かしつけた。
また身体が沈んだ寝心地がいいとは言えないベッド。

「副長、丸一日眠ってたんですよ?」

そう言われて見た窓はカーテンが閉まっていて。
僅かに見えた隙間から、夜だということだけが分かった。

「俺は、…誰に運ばれたんだ?」

ここは紛れもなく、病院。

「山崎だ。」

名前を呼ばれた山崎は返事をして横に立った。

「匿名の通報があったんです。"人が血を流して倒れている"って。」

通報したやつはそれだけを言うと電話を切ったらしい。

「女性なんですが…、駆け付けた時には誰もいなくて。」

女性の通報。

そう聞いて、
まず頭に浮かんだのは紅涙だった。

だが誰もいなかったというのが気になる。
あいつは真選組に隠れる必要もないはずなのに。

ここへ連れて来た時のことを気にしていたのか?

いや、
その前に。

連絡先も知らない紅涙にどうやって会えばいい?

あいつからの連絡なんて待てない。
目が覚めたんだ、すぐにでも俺から会いに行きたい。

「トシ、お前は誰とやりあったんだ?」

近藤さんが山崎の横から顔を出す。

「これだけの傷なんだ、相手は一人じゃなかったのか?」
「そうなんですよね。…でも血は副長のところにしかなかったんですよね。」

山崎が言った言葉に、俺は眉をしかめた。

俺のところにしか血がない?

あれだけ斬ったし、
あれだけ汚れた砂利のはずなのに?

どこかで…、
どこかであった話と同じだ。

確か…。

「おいトシ、聞いてるのか?」
「あ、あァ。」
「でどうなんだ、相手はすぐにでも挙げられそうか?」

近藤さんと山崎の視線が集まる。
俺はそれに顔を振った。

「…必要ない。」

その言葉に「なんだって?」と近藤さんは顔をしかめた。

「これは…俺の問題だ。」
「トシの問題?どういうことだ。」

はあと溜め息をついて、
俺はあたかも自身に呆れたような顔をして「…"女"だ」と言った。

「…ただの、"女"の取り合い。」
「おおお女ァ?!」
「えェェェ?!局長ならまだしも副長が女の取り合いィィ?!」

それほど遠い嘘ではない。
そのまま近藤さんを見て「アンタも」と続けた。

「アンタもあっただろ?そんなこと。」
「たっ確かに俺もお妙さんの時に決闘をしたが…。」
「あの時とは全然怪我の度合いが違いますよ!」
「あれは相手が万事屋だったからだろ?あいつ手ェ抜いてたんだよ、手抜き。」

俺は「とにかく、」と言いながら、身体を起こす。

腕に刺さる管を抜き、
傍にあった服を手に取り上着を羽織る。
ベルトは引き抜いて、止血するよう縛った。

「会ってくる。その女に。」
「おいおいトシ!だからまだ起きるのは」
「問題ねェよ。」

ビシビシと身体を駆け抜ける痛みに歯を食いしばる。

「副長!何か用事があるなら俺達が行きますから!」
「…用事なんてねェ。」

引き留めるように手を出した山崎を払いのける。


「ただ、…逢いてェんだよ。」


身体を引きずってまで歩く俺は、さぞ滑稽な姿だろう。

笑いたければ笑えばいい。
失望するなら、すればいい。

それでも、

「すぐにでも…逢わねェと…、」

今、
俺が少しでも足を止めてしまえば、


「もう、逢えなくなっちまいそうだから…。」


紅涙には、
二度と出逢えない気がする。

「副長…、」

山崎の声は、諦めた声だ。

「悪いな。…すぐに戻るさ。」

引き戸に手を掛けた時、「トシ、」と近藤さんの声が俺を止めた。

「本当に、…面倒な話じゃないんだな?」

その声は、真面目だ。
思わず笑ってしまいそうなほど、真面目だ。

「俺達は必要のない話なんだな…?」

真面目に、
俺を心配する声だ。

「…お前を、信じていいんだな?」

『…信じてるよ、土方サン。』

「…ああ。」

信じてくれ。

その言葉をくれる限り、
俺は誰も裏切ったりはしない。

「…、…行ってくる。」

スッと開いた引き戸は、小さな音を立てて閉まった。


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