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砂糖と塩


病院の非常口。
一か所だけ鍵の掛かっていない扉を知っていた。

「…こんなとこで役に立つとはな。」

真選組にある、
三年に一度の超身体検査。
その時に、総悟が胃カメラから逃げるために脱走しようとした際に使った場所だ。

「馬鹿なやつだ、結局しなきゃなんねェのに。」

痛いのも怖いのも、
人にするのは好きなくせに、自分にされるのは嫌。

ここの病院はまだ小型胃カメラはなくて、ずるずるとあの長いものを突っ込まれる。

「…ぅぷ、気持ち悪…。」

確かにあれは辛い。
思い出しながら込み上げた時、チカッと眩しい光が目に入った。

俺を見て、
指をさすシルエットが見える。

「あー。」

その根源にいるやつは棒読みで声を出し、

「うわーすっげェ偶然じゃねーの?」

ダラしない立ち姿の男が徐々に見えてくる。

その姿は、

「坂田…?」

原付に乗った坂田だった。
そいつは俺の姿を見て「おいおい」と口にする。

「てかお前、何その格好。」
"下半身だけ病人なわけ?"

…なんだよコイツ。
何しに来たんだ?

「煩ェよ、ンなとこでお前は何してんだ。」
"とうとう糖尿にでもなったか?"

原付の横を「俺は忙しいんだよ」と通り過ぎた。


「まァ待てって。」


そう言った坂田は、ぐるりとこちらに原付の方向を変える。

「だから眩しいっつってんだろ!」
「お前ほんとに怪我人か?元気過ぎんだろ。」

俺が足を進めても、
坂田は原付に跨り、同じようについて来る。

「ついて来んな!」
「お前さ、どこに行く気?」
「あァ?!」
「今どこ目指してるわけ?」
「…。」

…それは…。

「…お前には…、関係ねェ。」

連絡先も、
何か鍵になるものも、

俺と紅涙の間には、何もない。

歩いていれば見つかる、
…そんな偶然あるわけないことだって分かっている。

あてはない。
ジッとしているよりマシ。

「…。」

ただそれだけで歩く俺を、
坂田は見透かしたような沈黙を突き付ける。

「…、…お前んとこにも、」
「…。」
「お前のとこにも…聞きに行くつもりだった。」

俺と紅涙を繋ぐものは何もない。

だけど唯一、
共有する存在がこの男だ。

「…紅涙のこと、」

…それに、

「紅涙のこと…何か…知らねェか?」

悔しいが、
紅涙と坂田には、俺とは違う接点がありそうだった。

「何でもいいから…教えてくれ。」

紅涙が帰って来ないと騒いだ夜。

こいつは、
紅涙のことを"昔の自分に似ている"と言った。

だがそれだけじゃないのは明白。

坂田は、
確かに紅涙の何かを見ていた。

「…頼む。」

頭を下げた時、
自分の無様は格好が目に入った。

自嘲するように鼻で笑って、俺は目を閉じる。

少しの沈黙の後、
「はあ」とわざとらしい溜め息が聞こえた。

「まー報酬次第だな。」
「いくらでも出す。」
「…おいおい。」
「頼む、教えてくれ。」
「…。」

坂田のいつもの眼は、ゆっくりと光を宿した。

「…うち。」
「"うち"…?」
「紅涙ちゃんは、俺のとこにいる。」

…なに…?

「っ本当か?!」

紅涙がいる。
紅涙に逢える。

興奮が湧き上がったと同時に踏み込んだ足は、激痛を与えた。

それでも、
そんな痛みもすぐに後回しに出来るほど、俺の頭の中は紅涙で占めていた。

「嘘じゃねーんだろォな?!」
「嘘じゃねーよ。ってか声デケェよ!」

身を乗り出す俺に、
坂田は「落ち着け!」と俺の足を蹴った。

「ぐあっ!」

さすがに逸らすことが出来ない痛みに、屈みこむ。

そんな頭の上から、坂田は「土方、」と呼んだ。


「…居所は分かったんだ、とりあえずお前は病院に戻れ。」


…何を馬鹿なことを。

「逢うに決まってんだろーが。」

俺は立ち上がって坂田を睨む。
そんな俺を坂田は煩わしそうに眉を寄せた。

「ンな無理な身体で会ってどうするつもりなんだ。」
「どうもしねェ。ただ逢いてェだけだ。」
「なら今日じゃなくてもいいだろーが。」

何なんだこいつは。
どうしてそこまでして帰そうとする?

こいつが俺を心配しての言葉なんて吐くわけがねェ。

「…まさかお前…、」

まさか。

「嘘ついたのか…?!」
「はァ?!」
「本当は紅涙居ねェんだろ!テメェ…っ!」

握り締めて振りかざそうとすれば、右半身に激痛が走る。

「ぐっ、」
「あーあ。お前さ、自分の身体に鈍感すぎねェ?」

息をつめながら痛みに耐える。
ジンジンと響く痛みの波を感じていれば、坂田はまた溜め息を吐いた。

今度は、重い溜め息。
先ほどとは違う、溜め息。

「…傷だ。」

坂田の声は、
俺の頭で理解が出来なかった。

すぐに続けて、


「傷が、酷ェんだよ。」


重ねるように、俺の頭に流し込んだ。

「"傷"…?」

何の話だ?
俺の傷の話…?

「紅涙ちゃんだ。彼女の傷、酷ェんだよ。」

傷って…なんだ…?
あいつは怪我なんて…していなかったはずだろ…?

「おい…坂田…、」
「ん?」
「その傷はどこにあるんだ…?」

俺の言葉に、
坂田はハッとしたような顔をして、

「…そうか、本当だったんだな。」

独り言のように呟いた。
そしてまた俺を見て、「土方、」といつもより低い声で呼んだ。


「紅涙ちゃんは、昏睡状態だ。」


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