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淀み空


月の見えない夜。

「先に渡すでござる。」

雨の降る前の、
生温かい風が着物を通り抜けた。

河上さんが受け渡しをする。
高杉さまはその横で見ているだけ。

私は高杉さまの後ろに控え、いつでも動けるようと気を張る。

また子さんと武市さんは、さらなる予防線として後方で見張り。

「それにしても今日はまた変わった場所で取引ですなぁ。」

取引相手は「実に粋狂なことで」と笑う。

その男が言う、この場所。

普段の取引は、
街から離れた場所や倉庫でする。

だがここは、江戸の川辺。
道を挟めば店だって民家だってある。

「真選組が来るやもしれぬと気が気でありませんよ。」

取引相手が「いやあ恐い恐い」と頭を掻く。
その仕草に痺れを切らした高杉さまが腕を組んだ。


「面倒なコトを片づけるのには丁度いい場所だ。」


ただそう言っただけなのに、相手の顔は強張る。
すぐに付き人へ耳打ちをし、取引の物を差し出した。

「こ、これからもよろしくお願いいたします、高杉様。」

物は河上さんが確認して、「確かに」と呟く。

おもむろに、
晋助さまが「紅涙、」と呼んだ。

「また子には貰ったか?」
「え?」
「貰ったのか?」

"貰う"。

ああ、銃。

「はい。」
「ひとつ、撃ってみろ。」
"この取引の成功を祝って"

この眼は、裏。
何かを企んでいる眼。

「…分かりました。」

足に付けたホルダーから銃を取る。

「おお、祝砲ですか。」
「そうだな、…くく。」

高杉さまの笑い声とともに、私は空に一発を撃つ。

そのすぐ後に、
少し離れたところで同じような銃の音がして、

---ギャアアアアアッ

誰かの断末魔が続いた。
その声に顔色を変えたのは、高杉さまの向かいにいる男。

「ま、まさかっ?!」
「お前の言う通り、粛砲だ。」

高杉さまは「終わりだ」と言って背中を向ける。

「ま、待て!まだだ、まだ終わっていない!」
「終わったでござるよ。」

河上さんが、付き人を斬った。

「どっどうしてだ!言われた通りに」
「煩い。」

血に濡れたままの刀で、その男を斬った。

それが、私の目に映る。
その度に、頭の中で甦る。

仲間の、血。

「…。」

慣れない。

「…っ、」

気持ち悪い。

「行くぞ。」

斬ったり、撃ったり。
たくさんするのに。

血溜まりを見ると、何も見えなくなる。

「…。」
「紅涙。」
「っ、は、はい。」

誤魔化しながら立っている。
それを高杉さまは知っている。

足を動かせば、河上さんから「大丈夫でござるか」と声が掛かる。

私はそれに笑って「はい」と返した。

すぐにまた子さん達と合流する。
離れた場所ではサイレンの音。

「早いッスねー真選組。」
「犬は耳がいいもんですからね。」

武市さんが「仕事熱心なことです」と言った。

あの時も、
真選組は早かった。

街を見回りしている彼らに取って、それは当然なのだろうけど。

「…。」
「紅涙、元気ないッスよ。」
「ん…、そんなこと、ないですよ。」

一度引きずり込まれれば、そう簡単に切り替えられなくて。

ふう、と溜め息をついた時、


「解散。」


高杉さまが言った。
それには皆、目を丸くして。

「解散、でござるか?」
「解散ってどういう意味ッスか!」
「解散ですか、それはまた急ですね。」

口々に声を出した。

私は何も言えないまま、高杉さまの顔を見ていれば「喚くな」と言った。


「俺は用事がある。お前らも自由にしろ。」


それはつまり。

「自由時間ってことッスか?!」
「ならば拙者は音楽活動をしに行くとしよう。」
「私は特にないので、先に戻っていましょう。」

また子さん以外は、さっぱりと姿を消した。

「そんな言い方するから驚くッスよ、晋助様!!」
「普通だ。」
「いつもは言わないじゃないッスか!」

そう言うまた子さんに、高杉さまは背を向ける。

「紅涙、気が済んだら戻って来い。」

…、

「…高杉さま、」
「…何だ。」
「ありがとう、ございます。」

あの場所へ行って来いと言ってくれている。

あれから一度も行ってない。
今行くべき場所なのかは分からない。

それでも、
高杉さまが行って来いと言ってくれるなら。

私は、行ってみる。

頭を下げた時、高杉さまが鼻で笑う声がした。

「おい、また子。」
「何スか、晋助様!」
「ついて来るな。」
「あたしの行く場所は晋助様の元だけッスよ!!」

それを背中に聞きながら、私はあの場所に足を向けた。

川から離れて、街中を歩く。
この辺りは民家が多く、人はほとんどいない。

「懐かしいな…。」

通りも、建物も。
何も変わっていない。

何も変わらない場所に、

「…ここは、…少し変わったな…。」

くたびれた建物。
もうそれは廃屋に等しい。

どこからともなく草が生え、背を高くしている。

「…、」

砂利の上を歩き、最期の場所で立ち止まる。
そこにはもう、何も残っていなかった。

「…、みんな…、」

あれだけあった、血も。
あれだけあった、跡も。

「…ただいま、…」

あれだけ流した、涙も。
ここに立てば無意識にでも流れるかと思っていたが、

「私…、歩いてるよ。」

涙は、もう流れなかった。

枯れてしまったわけではない。
悲しくなくなったわけでもない。

それでも、
もうあの出来事は、

「…ちゃんと…、見てくれてる…?」

私の中で確実に、
過去へと遠ざかっているのだ。

「私…、ちゃんと…歩いてる。」

この場所にあった出来事を、どれだけの人が知っているのだろう。

花も供え物も、何もない。

「…花、持ってくればよかったね。」

忘れられたようなこの場所。

「草ぐらい、抜いた方がいいのかな…。」

暗くて見えにくいけど、しゃがみ込んだ。


その時、


「こんな時間に何をしている。」


静かな場所に、声が響いて。

警戒という言葉を忘れていた私の身体は、素直にビクりと揺れた。

「女…?一人か?」

その男はゆっくりと近づいてくる。
目を凝らせば、輪郭が何とか見えた。

黒い服。
いや…隊服…?


蝶の尾ひれ
― 虚構編 ―


あれは、

…真選組だ。


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