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宵の迷い


「女ひとりで危ねェだろーが。」

その男の足は、私へと進む。

どうしよう。
こんなところで捕まるわけにはいかない。

斬った方がいい?

ああ、でも。
顔の割れていない私を見て、鬼兵隊だと気付くことはない。

「よりにもよって、こんなとこで何してんだ?」

時折、ふうと吐く音がする。
風に乗って、煙草の匂いもする。

幸い、
月が雲に隠れているせいで暗く、よく見えない。

「…、」

そう言えば、あの時。
事後処理をしたのは真選組。

もしかしたら、
何か見つけてたりするかもしれない。

知りたい。
あの時のこと。

私の知らない、仲間のこと。

「ん…?お前…、帯刀…?」

じゃりじゃりと近づいてくる。

しまった。
刀、持ってたんだ。

どうする…?
何て誤魔化す…?

「まさかお前の刀じゃ」
「こ、これ、」
「?」

私は顔を僅かに下げたまま、近づく男の方へ刀を差し出した。

もちろん、鞘のまま。

「落ちてたんです。」
「落ちてた?」
「は、はい…。こ、ここに…。」

…仕方ない。
こうでも言わないと、怪しまれる。

「こんなとこに…。ほう。」

疑っているような、
興味深いような。

男は「ここにねェ」と呟く。

確かに、
こんなところに落ちている方が怪しいかもしれない。

ましてや手入れされた刀だ。

「壊滅したかと思ってたが、」

その言葉に、また仲間のことが頭に浮かぶ。

この男、知ってるんだ。
ここで何があったか、知ってる。


「残ってるのかもしれねェな。」


ドクりと鳴る。
俯く私の視界に、男のつま先が映った。

「預かる。」

そう言って、
私の手から相手の手に渡った刀。

ああ、下手をした。
高杉さまに迷惑が掛からないようにしないと。

「それじゃあ私は…、」
「待て。」
「っ、」

足早に背を向けたところ、男の手に捕まった。

「な、なんですか…?」

私は変わらず顔を背ける。

「調書。」
「え…?」
「調書取るから。」
「ちょ、調書…。」
「これ、一応は拾得物だからよ。」

しまった…。

「とりあえず、屯所でいいから来てくれ。」

これを断るわけにはいかない。
さすがに不審すぎる…。

「わ…分かりました…。」

すぐに帰れるかな…。
高杉さま、心配するよね。

…しないか。
それよりも怒るよね。

うまく、乗りきらなきゃ…。

そこでようやく、私は顔を上げた。

眼に、映ったのは。


「…あ、」


男の顔。
男は私に首を傾げて「何だ?」と言う。

「い、いえ…。」

私はまた顔を伏せた。

この男、副長だ。
真選組の副長、土方十四郎だ。

よりにもよって…この男に出会うとは。

「行くぞ。」

渡した刀を片手に、男は背を向ける。

この瞬間に逃げてしまおうか。
そう思いついたと同時に、

「それで?」

声を掛けられた。

勘付いた?!
真選組でも特に鋭い男だと聞く。

私は足を止めて、土方の様子を窺った。

土方は私の方へ向き、

「こんなところで、アンタは何してたんだ?」

そう聞いた。

な、なんだ…。

あ。
でもこれで逃げられなくなった。

「道に…迷ってしまって…、」

咄嗟に出た嘘に後悔した。
これで調書に、住所を"江戸"と書けない。

「外のもんか。」
「…いえ…、あ、はい。」

考え事をしながら返事をすると、素直に答えてしまいそうになる。

「…。」
「…、」

沈黙。
男は私をじっとりと見ている。

「アンタ…、」

う…。
さすがに怪しいよね…。

責められたら何て言い訳をしよう。
次に発せられる土方の言葉を、着物を握りしめて待った。

が。


「…もしかしてアンタ…、記憶障害…?」


記憶、障害…?

「え…?」
「大江戸病院から連絡のあった女って…アンタなのか?」

病院から連絡…?
何の話だろう…。

でもこれ…、使える。

おそらくその女、
病院から脱走でもしたんだろう。

ならば今は少し借りよう。

「そう、なんですか…?」

私は言葉を選んで返事をする。

分かっているような、
分かっていないような。

自身のことを曖昧に返事をする。

土方は「特徴は似てなくもない」と呟きながら、さらに私を見る。

「名前は?」
「な、名前…ですか?」

名前…は自分のを名乗れない。
"病院から連絡のあった女"の名前を私は知らない。

…だけどその女、

「…分かり、ません…、」
「分からない?」
「はい…、名前…分かりません。」

記憶障害なのだ。
堂々と分からなくていい。

なんて便利なものだ。

案の定、
土方は「そうか」と感慨深げに言った。

「まあとりあえず、病院戻るか。」

…。
しまった!

そうだよね、
脱走したんだから病院に戻ることになるよね…。

でもそれじゃあバレる。
それも土方の前でバレることになる。

逃げ切れるかどうか、
もしくは土方に勝てるかどうか。

「…び、病院は…、」

危険すぎる賭けには乗れない。

私だけなら未だしも、
私が捕まれば、高杉さま達にも迷惑を掛ける。

「どうした?」
「病院は…嫌です。」
「そうは言ってもなァ…、」

病院には行けない。
絶対に。

「こ、恐い、です。」

自分の口から言うには辛すぎるほど、弱々しい言葉。

「恐い?」
「はい、…。」

私は口を一度瞑り、小さく開く。

「病院に戻れば…私は…、また思い出せなくなる…、」

記憶障害で、病院から脱走したという女。
意識をしながら、土方を見上げた。

「でも私、身寄りがなくて…。」

土方の眼は鋭い。
だがその眼に怪しみはないように見える。

「お願いします、…病院には…連れて行かないで。」

そう話す自分を客観的に見る自分がいる。

馬鹿じゃないのか?
何でこんなことをしてる?

恥ずかしくなることを誤魔化すように、私はまた口を閉じた。

「…。」
「…。」

断られたら、もう我武者羅に逃げるしかない。

斬る。
斬られても、仕方ない。

どうせなら斬られて、
何も言わないままに死ぬしかない。

「お願い…します、」

土方は眉間に皺を寄せる。
そして心底、面倒そうな溜め息を吐いた。

「…分かった。」
"少しの間だけだからな"

土方はすぐに携帯を取り出し、どこかへ連絡をする。
私はふうと小さく肩を下げ、土方を横目に見た。

話に聞くよりもこの男、甘い。


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