40


千切れた尾ひれ


「ちょっと待てコラァ!」

"実は起きてたんです"
と言ったカミングアウトに土方は顔を引き攣らせた。

そしてすぐに、
「坂田テメェェ!」と彼の胸倉を掴み上げた。

「いやーそれっぽいじゃん?やっぱ。」
"盛り上がるかなーっと思ってよ"

さらっとそう言った坂田さんに、
てっきり土方は殴りかかるものだと思ったけど、

「…マジで心配したっつーんだよ。」

はあ、とだけ溜め息をついて、掴んでいた手を放した。

「失せろ、坂田。」
「はァ?!ここ俺ん家だから!」
「お前の策に乗ってやるっつってんだよ。」

土方の言葉に、
坂田さんはニンマリとした厭らしい笑みを浮かべて「はいはい」と言う。

「土方、1時間4000円な。」
「何ホテルのつもりだテメェは!」
「延長は30分刻みなんでそのつもりでヨロシク。」

そう言い残すと、
ギャーギャーと抵抗する神楽ちゃんを連れて、隣の部屋の襖を閉めた。

それを見届けた土方は、何度目かの溜め息を溢した。

「…紅涙、」

土方が私を見る。

「傷は痛むか?」
「…もう平気。」
「…そうか…。」

苦しそうに私の腹部にある包帯を見る土方の眼。

…本当に、
どこまでお人よしなんだろう。

彼がそんな顔をする必要なんて欠片もないのに。

全て自分のせいだと思っているかのような顔だ。

「…そっちの傷はどうなの?土方、…さん。」

私のギコちない呼び方に、
土方は呆れたように鼻で笑った。

「"もう平気"だ。」

私と同じように返事をして、「名前、」と続けた。

「俺の名前、知ってるか?」
「…?」

何を今さら…。
私はそんな気持ちを顔に出しながら「知ってる」と口にした。

「そうか。」
「…。」
「…なら、名前で呼べ。」
「え?」
「呼びにくいだろ?土方"さん"なんてよ。」

お見通しだと言った様子で、土方は私に意地悪く笑う。

確かに呼びにくい。

私の素性を知った今、
また前のように敬った"土方さん"として話すのは時間が必要な気がした。

「十四郎…?」

私は彼の名前を口にしてみる。
土方は自分で"呼べ"と言ったくせに、一瞬戸惑ったような顔を見せた。

「…。」
「…。」
「やっぱり土方にしとく。」
「あァ?!ンでだよ!」
「何か気持ち悪いし。」
「はァァ?!」
"俺の名前が気持ち悪いみたいな言い方すんな!"

気に食わなさそうに片眉を上げた土方を笑った。

笑えば傷が痛んで、
無意識に腹部を押さえれば、すぐに土方が心配そうに窺う。

"大袈裟だ"と土方を笑えば、
"当然だろーが"と頭を叩かれた。

土方は、
土方のままだった。

私を知っても、
どれだけ傷を負っても。

土方にとっては、
分からないことだらけのあの夜も、
まるで"いい思い出だ"なんて言いそうな様子だ。

「…、…土方、」

彼が、
彼がここに居て良かった。

失わずに済んで、良かった。

「…、…ありがとう。」
「…紅涙…、」

生きてくれて、ありがとう。

「…ごめんなさい…、」
「…、」

苦しませて、ごめんなさい。

「酷い怪我まで…させてしまって…。」
「バーカ。」
「…?」
「謝る必要なんてねェよ。」

土方は、
ベッドに寝たままの私の頭を軽く叩いた。

「俺は、俺のしたいようにした。その結果がコレなだけだ。」
「…土方…、」

そう言って、
鼻で小さく笑った。


「だからお前が責任を感じる必要なんてねェ。」


起き上れない自分の身体が歯がゆい。

薄く見せる笑みは、
胸を締め付けるのに十分だった。

耐えるように奥歯を噛みしめた時、

「紅涙、」

土方が寝転ぶ私に右手を差し出した。


「…はじめまして、紅涙。」


その手は傷を覆うように、
様々な方向で包帯が巻かれている。

「…ひじ、かた…、」
「俺も、お前とやり直したかったんだ。」

『出逢いから、…やり直そうよ』

「初めから、やり直そう。」

人は。
人はいつか、別れてしまう。

それは単に、
気持ちの問題かもしれない。
もしくは、どうしようもない事情かもしれない。

運よくそれがなかったとしても、

人はいつか、
独りでこの世を去るもの。

その時、
私は寂しいと感じたくはない。


「…俺と、やり直そう。」


歩いてきた道を振り返って、笑いたい。
これから歩く見えない道を見て、笑いたい。

だから、


「…はじめまして。」


こうして今、
出逢うことが出来たから、


「はじめまして、…土方さん。」


ここから始まる私は、
自分に素直に、歩きたいと思う。


「…私、…あなたのことが、好きです。」

『次に目が覚めたら、…言いたいことがあるの』


いつからか隠してた気持ち。
伝えることは出来ないだろうと思っていた気持ち。

「…紅涙…、」

感じるままに、伝えていきたい。
伝えることが出来るうちに、たくさん伝えたい。

「…ンだよ、…先に言うなよ。」
「え?」
「何にも。」

包帯だらけの土方の手が、私の頬を撫でた。


「…俺も、紅涙のことが好きだ。」


黒い、深い瞳。


「俺と、付き合ってくれませんか。」


土方の声は、
この世のものとは思えないほど、恥ずかしくて。

「…よろしく、お願いします。」

しばらくの間、
照れくささに二人で笑った。


- 40 -

*前次#