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先の扉


土方は、

…。
…土方さんは"一度病院に戻る"と言った。

「心配してるだろーしな。」

そう言って、困ったように笑う。
それでも彼は幸せそうで、私は笑って頷いた。

「おい坂田。」

襖の向こうに声を掛ける。
1秒もしない感覚で、襖はスッと開いた。

「あ、"はじめまして"マヨ方君。」
「…聞いてただろ、テメェ。」
「まァそれはご想像にお任せします。」

ニマニマとする坂田さんに、
土方さんは照れくさそうに鼻を鳴らして、「俺は帰るから」と言った。

「紅涙はまだ動かせねェから、もうしばらく頼んだぞ。」
「りょーかい。」

伸びをする坂田さんの横で、土方さんがこちらを見た。

「顔出せるだけ来るから。」
「は、はい。」
「ちょっと?その話に俺の都合は関係ねーわけ?」
「ねーな。」
「いやここ俺ン家だから!」

文句を言う坂田さんを背景に、土方さんは「じゃあな」と小さく笑った。

見送るように坂田さんが後ろを歩いて、私の視界から完全に消えた。


「なあ、…土方。」

玄関先で、
大きくはない声が聞こえる。
深夜のせいで、いつもより空気は些細な音も伝わせた。

「あァ?」
「俺が前に言ったこと、覚えてるか?」
「前?」

靴を履き終えた足音が聞こえる。

「…"お前らの道は一生交わらない"ってやつ。」

どこか深刻そうな坂田さんの声は、気まずそうな声にも聞こえた。

「あれ、…撤回な。」
「…坂田…。」

二人の声は、まるで子守唄のように心地いい。

少し離れた場所で、
程よく低い声。

私は会話の意味を考えながら、目を瞑った。

「あー。あと、」

坂田さんはほんの少しの沈黙の後、


「…あんがとよ。」


土方さんに、そう言った。

「それはお前の言葉じゃねェだろ。」
「…いや、…まァそうか。…じゃあ代わりだ。」
「誰のだ?」

読めない二人の会話。
意識が溶けて行く中で、それを真剣に考えるのはあまりにも難しかった。

ただ、
完全に溶ける前、

「…もうお前らには関係ねェ奴だよ。」

坂田さんの自嘲するような声に、
なぜか私の中の小さな重しが、ひとつ消えた気がした。


それから、五日後。
傷はまだあるものの、痛みが消えた私は、

「紅涙、準備できたか?」
「はい、今ちょうど。」

土方さんの迎えで、万事屋を去ることになった。

「で?土方君。」
「なんだ。」
「報酬の方はいつぐらいかな?現金手渡しでお願いしたいんだけど。」

手を揉む坂田さんに、
土方さんは「あー、」と思い出したように声を挙げる。

「二ヶ月後だ。」
「…え。…悪い悪い、よく聞こえなかったわ。」
「勘定方に掛け合った結果、二ヶ月後の振込みになった。」

坂田さんは絵に描いたように止まった。

「ちょ…ちょっと待てよ!二ヶ月後って何だテメェ!」
"てかその前に、勘定方って何だよ!自腹じゃねーのかよ!"

ハッと意識が戻ったように、坂田さんは捲し立てた。

土方さんは極めて冷静に「仕方ねェだろ」と言う。

「俺の傷の件もあるから、何も知らねー隊士らには真選組から落ちてねェ方が不自然なんだよ。」
"紅涙のことは事件に巻き込まれたって処理されたしな"

坂田さんは口を開けたまま。
そしてまたハッと意識が戻ったように「嫌な予感がする…」と言った。

「勘定方からの振込みってことは…、まさか金額は…?!」

土方さんは「そうだった」と胸ポケットに手を差し入れた。

「振込み予定書。」

三つ折りにされた一枚の紙を手渡した。
坂田さんはそれをすぐに広げようとする。

その行動を見届けるわけでもなく、
土方さんは私に「行くか」と声を掛けた。

ガサガサと破れてしまいそうな勢いで紙を開く坂田さんに、私は「また来ます」と頭を下げた。

「階段、平気か?」
「もう痛みはないから。」

心配そうにする土方さんに、私は苦笑する。

一段目の階段に足を踏み出した時、
「ちょっと待てコラァァ!」と坂田さんが飛びだしてきた。

「この金額はどういうつもりだコラァァ!」

書面を突き付ける坂田さんに、土方さんは溜め息を見せた。

「それでも頑張った方だ。」
「どこが?!これのどこが?!」

私は土方さんに「安いんですか?」と聞く。
土方さんは「普通だ」と肩をすくめた。

「はァ?!こんなの紅涙ちゃんの手術代ぐらいにしかっ」
「すっすみません…。」
「え?!いやっ紅涙ちゃんが悪いわけじゃ…、」
「でも私、…坂田さんにはお世話になったので…。」

そうだ、
これは私がお世話になった金額の話なのだ。

土方さんに任せる話じゃない。

「私、働いて少しずつ返していきます。」
"すみませんでした、坂田さん"

頭を下げれば、
横では土方さんが「あーあ」と言って私の頭を撫でた。

「坂田、お前最低だな。」
「うっ、」
「ちっ違います、私が疎かったせいで坂田さんは…。」
「あーあ、マジでねェわ。」
「ぐっ、」
「本当に感謝してます、坂田さん。お世話になりました。」

再び頭を下げた時、「わァったよ!」と坂田さんが声を挙げた。

「分かった分かった、もういい!」
「え?」
「これで十分だから!紅涙ちゃんは何も気にすんな。な?」

グシャグシャと頭を掻いて、坂田さんは笑った。

「でもっ、」
「紅涙、坂田の気持ちだ。黙って貰ってやれ。」
「お前が言うんじゃねェよ!」

はああと肩で盛大な息を吐いた後、「あ!」と坂田さんが言った。

「そうだった、…はい、紅涙ちゃん。」

坂田さんは懐から、
綺麗に折り畳まれた紙を取り出して私に向ける。

「…これは?」
「俺も中身は知らねェ。だけどお前を運んだヤツが置いてった。」

"お前を運んだヤツ"。
また子さんのことだ。

「あと、伝言。」
「…はい。」
「伝言@ー。それはお前の報酬らしい。」
「報酬…、」

その言葉で、走馬灯のようにあの夜までの時間が見えた。

「どうして…、報酬なんて…。」

私は、失敗したのだ。
裏切ったのだ。

なのに報酬なんて、…貰えるはずがない。

「紅涙…?大丈夫か?」

土方さんが顔を覗き込む。
怪訝な顔で、私の手にある紙を見た。

「…俺が先に」
「土方、やめとけ。」
「…。」

土方さんの言葉を、坂田さんが揉み消す。

「伝言Aー。それを知る権利が、お前にはあるそうだ。」

私は手に持った紙を見て、その意味を考えていた。

当然のことだ。
私が仲間を失った日のことが書かれているはずだから。

だけど、
…どうにもそれだけじゃない気がする。

何かが、引っかかる。

「伝言B−。これで最後だ。」

坂田さんはすうっと息を吸ったけど、静かに吐いた。

そして、
言った言葉は、


「"ごめんなさい、…さようなら"。」


私の耳には、
また子さんの声で聞こえた。


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