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だるまさんが転んだ


「あーあ。結局お昼過ぎちゃいましたよ。」

散々、人のせいにし合った私たちも、また暑さのお陰で落ち着いた。

昼下がりということもあり、
大江戸通りは車も多ければ人も多かった。

「まァ市中見回りしながら帰りゃいいだろ。」
「どうせ歩きながら見ちゃいますしね。」
「職業病だな。」
「ですね。」

土方さんは呆れた笑いを漏らして、私は苦笑した。
とは言っても隊服を着ていない二人だ。
私達を知らない人が見れば、
人をジロジロ見て練り歩く、気分の悪い存在に見える。

現に、数人とは怪訝な視線が絡んだ。

「土方さん、」
「んー?」
「あまり真剣にしちゃダメですよ。」
"逆に怪しまれてますから"

土方さんは「構やしねーよ」と言う。

「炙り出しになるかもしんねェしな。」
「そんな上手いこと行くわけな」

「おら道開けろ!どけェェ!」

「…ほらな。」
「タイミング良すぎですね…。」

下品な声が、明るい江戸に響く。
僅かに遠ざかっていく声の主は焦っているようで、人を雑に掻き分けている。

「逃げてますよね、完全に。」
「何しでかしたんだかなァ。」

呑気なことを口にしながらも、足は動かす。
逃げる男に押し退けられた人たちだろう、
時折、「キャッ」と小さな悲鳴が人混みの中で湧いては消えた。

「紅涙、お前はそっちから行け。」
「はい、分かりました。」

私と土方さんは二手に分かれた。
逃げるからには捕まえなければいけない。
なぜ逃げたのか、聞く必要がある。

そんな中、


「ッとうま君!!」


母親らしき人の、叫びに近い声。
そこら中にいる人たちも、その甲高い音にざわついた。

何?
何があったんだろう。

当たり前の疑問がそう頭に浮かんだ直後、


「危ないっ!」


次は男の声。
私は僅かに塊になりつつある人混みの方へ行き、現場を確認した。

そこには、
泣く母親に抱き締められた男の子と、
それを側で微笑ましく見ている若い男性がいた。

私の背後では、様子を見ていたと思わしき人たちが話していた。

「今のは危なかったねー。」
「あの人がいなかったら助からなかっただろうな…。」
「可哀想に、さっきの男に押されたんだろ?」
「ああ。突き飛ばされて車道に転がったんだ。」

…なるほど。
私たちの追っている男が、逃げる時に子どもを押したのか。

「すみません。ちょっとお話聞かせてもらっていいですか?」
"あーあと助けた彼もこちらに来てください"

その子どもは車道に投げ出され、車に曳かれそうになった。
そこを、偶然に助けてもらったというわけか。

ざっと状況を聞き、親子と助けた男性の住所を控えた。

「またご連絡すると思いますが、その時はご協力お願いします。」

彼らを見送り、殴り書いたメモを見た。

つまりこれは、
この助けた彼の寿命が延びたということでもあるのか。

「…どこかで見てるのかな、…死神さん。」

死神っぽくない兄弟を思い出して、小さく笑った。
空を見上げれば、手に取れそうなほどモコモコとした雲が浮いている。

「いい天気だなーほんと。」

じりじりと焼かれる日差しを感じながら目を細めて、

「あ、しまった。さっきのヤツ追いかけないと!」

また人混みに視線を戻した。
その時、


「…あ…れ?」


金色の髪が、スッと動いた。
江戸には金髪なんて数えきれないほどいる。
だけどどうしてか、

「…待って!」

あれは、死神の弟だと思った。

この世界に紛れ込んでるの?
でも関与しちゃいけないって言ってたし…。
さっきの事故を確認するために来てたのかな。

「ねぇ!待ってってば!」

追いかける私をみんなが避ける。
それでも何度かぶつかって、度々謝った。
なのに金色の髪は私と違い、まるで何にも邪魔されないかのようにスルスルと動く。

「っ…あーあ、見失っちゃった。」

結局、よく顔も確認できずに終わった。

…ん?
でも私、なんで追いかけてたんだろう?
別に用事もなかったし…、
話したいことがあったわけでもないし…。

「…変なの。」

自分で自分の行動が理解できない。
ただ野次馬のように、確認したかっただけなのかな。

「おいコラァア紅涙!」

途端に噛み付くような声に、ハッとした。

しまった!
違うの追いかけてた!

「ひ、土方さん…、」
「テメェ…サボってやがったなァァ?!」

語尾には"あァん?!"と、しゃくりあげられるように付け加えられていた。

そんな柄の悪い人の手には、しっかり仕事の証がある。

「わっスゴイですね土方さん!捕まえてたんだ!」
"さすが真選組の副長ですね!"

私が手を叩いて言えば、「ウルセー!」と空いた片手で頭を叩かれた。

「ったく何してたんだお前は。」
「はい!何もしてなかったです!」
「胸張って言うんじゃねーよ!」


それから私たちは、

「ただいま戻りましたー。」

土方さんが捕まえた男と一緒に屯所へ帰った。

「山崎ー、おい山崎ィィー!」
「は、はい副長っお帰りなさいませ!」
「これ、土産。」
「え…何ですか、この男。」
「知らね。そこで暴れてたから捕まえてきた。」
"とりあえず傷害を一件、紅涙が見てる"

土方さんの指がクイッと私をさす。
私は「見たって言うか…」と口ごもった。

「ちょ、ちょっと早雨さん!そのあやふや心配なんですけど!俺の仕事も増えるし!」
「あっいやいや、私は見てませんが被害者等の連絡先は聞いてきましたので。」
「ふう〜良かった。」

山崎さんは汗なんて出ていないのに、額を拭った。
私の隣で土方さんは「なんだ」と言った。

「どうしました、土方さん。」
「してたんじゃねーか、仕事。」

土方さんが、ふっと笑う。
私は「してましたね」と笑った。

「おっ、帰ってたのか二人とも!」

局長の声に振り返れば「おかえり」と言ってくれた。

「遅くなって悪かったな。」
「ただ今、戻りました!」
「どうだい紅涙君。息抜きは出来たのかな?」
「はい!」

私が頷けば、局長は「そうかそうか」と自分のことのように嬉しそうな顔をした。

「少し土産話を頼もうか。」
"墓参りの話も聞きたいしな"

土方さんは「ああ」と優しく頷いて、

「他に土産がねーから、いくらでも話すさ。」

私の頭に手を乗せて、「な?」と微笑んだ。

あったかくて、やわらかくて。
昨日の時間は、まだ思い出にしたくなくて。

「はいっ、いっぱい話します!」

隣で土方さんが呆れるほど、局長にたくさん話した。

あやふやなものじゃない。
五分前に体験したことのように鮮明。

だからこれは、

まだ"思い出"なんかじゃない。


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