B3


破鏡に映る月


「紅涙っ!」
「っぁ、」

私を呼び続ける土方さんに、返事をしたくても上手く喉が震えない。

痛みは強いわけじゃない。
じくじくと痺れるような感覚に似ている。

もう、すぐそこまで言葉は来ているのに、私は土方さんに何も伝えられない。

どうして私は、ちゃんと声を出せないの?
どうしてコウ君もルカ君も、そんな顔をしてるの?

色んな疑問が頭に浮かんだけど、
それらしい箇所に目を向けられなかった。

だって…、


「紅涙っ、紅涙っ!」


あまりにも土方さんが、

悲しく私を呼ぶから。

「ねえ…コウ、」
「なんだ。」
「……歪み、始めてる…。」
「そうか…。俺のせいで…何人もの"道"が変わったのか…。」

静かな夜に、
まるでここだけ雑に上塗りされたよう。

土方さんの声や、
コウ君、ルカ君の声がする中に、

---カシャン…

とても小さな音が鳴った。
他の音に掻き消えて、
聞こえないはずなのに、不思議と私は聞こえた。

その音から私の頭に浮かんだのは、刀。

だけど私たちの持つものよりも軽い。
軽くて…、
そう…、…小さい。

「紅涙、おいっ紅涙!俺を見ろ!」
「ひじ、っ、…たさ…っ、」

"大丈夫ですよ、大袈裟ですね"
そう言って頬を撫でてあげたかったのに、出来なかった。

手を伸ばせば、
身体が裂けてしまうんじゃないかと思うほどの激痛が走った。

「ぃッ…っ、」

奥歯を食いしばって何とか痛みに耐える。
だけど一度動き出した痛覚は、どんどん鮮明になった。

背中。
背中が痛い。
どんな風に痛いのか探れないほどに痛い。
頭の中が真っ赤で、"痛い"という言葉で埋まっていた。

「紅涙!しっかりしろ!」
「っッ、」
「目ェ開けろっ紅涙!」
"くそっ…血が止まらねェ!"

声はちゃんと聞こえてる。
なのに痛みを感じることにいっぱいで。

やっぱり…上手く返事は出来なかった。

「わた、し…っ…、」
「喋んなっ、っ、何も言わなくていいっ!」
"救急車はまだかよ!"

いつの間にか、
耳に届くのは自分の呼吸する音でいっぱいだった。

痛みが体温すらも奪っていくようで、
私は傷に響かないように、そろりと土方さんの指に触れた。

「紅涙っ…、」

心配と不安の入り交じった顔で私を覗き込む。
私は今できる全力の笑みを浮かべた。

"土方さんの手、あたたかいですね"

それを声に乗せられないから、
ただ私はそっと触れた指から伝わってくれればいいと願った。

「っどうしてっ…どうしてお前がっ…!」

土方さんは悔しそうに顔を歪ませる。
だけどすぐ、
何かを無理に呑み込むように眉をぐっと寄せた。

そしてしっかりと力強く、私を見る。


「お前を…っ、死なせねェ!」


土方さんは口元に笑みを浮かべ、
いつかのような人を小馬鹿にするように鼻で笑った。

「まだ…、やらなきゃならねェことが山程残ってんだぞ。」

やらなきゃならないこと…?

私の疑問が伝わったかのように、
土方さんは「例えばだな、」と続けた。

「締切り直前の書類作成とか…会議資料の準備とか。」

もう…
確かに大切なことですけど、
それは土方さん一人でもどうにかなるでしょう?

「それにほら…俺と、…総悟のゴタゴタとか、お前がいなかったら被害が広がるぞ?」

ああそれはありますね。
山崎さんが仲裁に入ると、
いつも彼まで巻き込まれて収拾がつかなくなる。

「あと…な、」

土方さんは目を細めた。
少し切なそうに眉が寄って、


「 ジジイの墓参り、…お前がいないと行けねェから。」


私は、
夜の僅かな光りすらも集める彼の眼を見た。


「約束、したんだ。次は俺と紅涙と…三人で行くって。」


私の手を掴む方と反対の手で、優しく髪を撫でてくれて。


「俺たちの子ども、見せに行かねーと。…な?」


どこまでも愛おしく想った。

あのお墓参りの時、
土方さんは、そんな約束をしてたんだ。

ふふ…そっか。
土方さんと私の子か。
どんな風に育ってくれるのかな。

やっぱり土方さんは、
"鬼の副長"を活かして、厳しいお父さんになるのかな。

「紅涙…、もうすぐ救急車がくるからな。」

私も…見たかったな。
土方さんのように、男前に育つ男の子とか、
土方さんに似た、きっと綺麗な女の子とか。

「ひじかた…さん、」
「紅涙…?少し話せるようになったのか?」
「わたし、は、」
「ん?なんだ?」

土方さん…、

あなたの約束、
叶えてあげられなくて…ごめんなさい。

「待ってます、から。」

息を呑む土方さんの顔を通り過ぎて、
私は頼りない手で、月に照らされた黒い空を指差した。


「あの場所で…待ってる。」


途端に、
ふっと身体の力が抜けた。
瞼もいつの間にか閉じていて、

「紅涙?!紅涙っ!」

悲壮な土方さんの声が響き続ける。

「返事しろっ…っ目ェ開けろ!紅涙!」

唇も瞼も、手も指先も。
もう何ひとつ動かない。

「…逝くなっ…っ!逝くな紅涙!」

不思議と私は、
何か温かいものに包まれたような錯覚に陥りながら、


「俺を置いてっ逝かないでくれ…っ!!」


穏やかに…、


「紅涙ーっっ!!」


意識を、手放した。


- 36 -

*前次#