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光の出口


紅涙の腕が、ダラリと落ちた。

「…どういう…ことだよ…っ、」

紅涙が…死んだ…?
紅涙が。

「どうして紅涙がこんな目にっ…!」

あんなに笑っていた紅涙が、
ついさっきまで俺の隣で笑っていた紅涙がっ!

力ない紅涙の身体を抱きしめると、まだ温かい体温を感じる。

なのに息はない。
胸も上下しない。
鼓動も脈も、何も波打たない。

紅涙は確かに、


死んだのだ。


「っく……!」

ギュッと強く抱きしめた時、
視界の端に死神以外の誰かが映った。

「…、」

それは、
呆然と立ち尽くす女。
手には血がこびり付いた小刀を握り締めていた。

すぐに分かった。

「…っ…お前が…紅涙を殺したのか…。」

紅涙を刺したのは、この女だ。

どこの女かも、
どんな事情があるのかも知らねェ。

紅涙を殺したんだ。
それだけで、充分。

「…殺す。」

俺は刀を握った。
紅涙の血に濡れたままだった手が、僅かにぬるりと滑る。

「…っ殺す!」

握り直して、その女に向かって駆け出した。

だが刀を振り上げる俺を塞ぐように、白い死神が現れた。

「土方…、駄目だ。」
「どけ!邪魔だ!」
「俺だって…そうしたいっ…だけど駄目なんだ。」

何のつもりなんだ…!
どうして邪魔をする?!
お前は紅涙のことが好きだったんだろ?!

それならっ…それなら…、

…ああ、
…そうか。


「…どけ。」


しょせん、その程度だったんだろ?
紅涙のことを想っているのは俺だけ。

「土方…、」
「どけっつってんだろォォがァァァ!!」

紅涙のことを愛していたのは、俺だけ。

「コウ、土方の時間…戻す?」
「無理だな。ひとつ命が消えてる、戻せない。…土方。」

黒い死神が俺を呼ぶ。
どこか冷静なその声が、カンに障る。

「お前の行動は俺達にも理解できる。だが、この女は死ぬ予定じゃない。」

"死ぬ予定じゃない"…?
そんなの…っ紅涙もだろ?!

なのに紅涙は死んだ!
この女に殺されたんだ!

「人の命を消すほど"道"を変えることは許されない。」
「ンなの…関係ねェェェ!!」

俺は立ち尽くしたままの女に駆け寄り、刀を振りおろした。

だが刀は、

「…何だよ…っ!なんなんだよ!!」

何も捉えることなく、虚しく風を斬った。

「説明しろッ…!!説明しろよ!!」

頭を抱えるように、自分の髪を掴んだ。
その時に見えた俺の手は、
徐々に色が変色していく血に染まっていて。

それすらも、
紅涙が遠ざかって行くように思えて、

「紅涙…っ…!」

馬鹿みたいに、
その名前を口にすることしか出来なかった。

「こんなの…俺達にも見えなかったんだ。」
「土方…、お前に"見せた"その先は全て変わった。だから俺達が"見える"までタイムラグがある。」

…ずっと、
耳鳴りがしている。

雑音は、
言葉も音程も持たずに、
ただ俺の耳で鳴り響き、頭の中をぐちゃぐちゃにする。

「コウ、とりあえずこの女は"元の場所"へ帰すよ。」
「そうだな。記憶は…そこの男が斬られる前でいいだろ。どうせ明日には兄が死んだことを知る。」

死神の話す声が雑音に混じる。
すぐに区別できないほど、俺の頭に溶けて消えた。

自分の息すらも、
どこか遠くに聞こえる気がする。

「おかしいよ…この女は紅涙を殺したのに、知らずに生きるなんてさ…。」
「ああ…。だが…紅涙はこの女が生きる未来を考えた。だから…これでいいんだ。」
「…やっぱり馬鹿だよ、…人間は。」
「そうだな。馬鹿で…、…愛おしい。」
「"愛おしい"、ね。…まさかコウの口から出るなんてな。」
「うるせーよ、とっととやれ。ミスんなよ。」
「はいはい。じゃあ…、…せめてその身体の片隅で覚えていることを祈ってるよ。さよなら…二度、紅涙を殺した女。」

一瞬、白い光を感じて無意識に目を向けた。
そこには死神の二人だけが立っていた。


「土方、紅涙を弔ってやろう。」


黒い死神が、俺に促すような声を掛ける。

"弔う"

嗚呼…っ、
嗚呼っ紅涙っ!

「俺は…俺は何のためにッ!」
「…お前が悪いんじゃない。」
「ウルセェェェ!」

出口が、見つからない。

「紅涙…、」

俺にはこの夜から、
この時間から抜け出す方法がわからない。

「紅涙…っ…、」

赤黒い床に寝転ぶ紅涙の傍に歩く。
雨も降っていないのに、ここにだけ水溜まりがあった。

「なァ…逝くなよ…っ、」

抱き締めようと抱えても、力なく両腕が下がる。
いつもより何倍も重い身体が、悲しくて仕方なかった。

「ッ…頼むから…!」

失うのはもう十分。
俺を置いて、逝かないで。


「俺をっ…、っ、一人にしないでくれっ…!」


動かない胸に顔を埋めて抱きしめた。

その時だった。


「…望み通りに、してやるよ。」


俺でもなく、
死神達の声でもない。

背後でした、枯れた男の声。


「「土方!」」


死神の声が俺の名を叫ぶ。
振り返る前に、

−−−ザシュッ

背が大きく裂けるような、
カッと皮膚が燃えて、今までにない衝撃を感じた。

「ぐっぁ!」
「土方っ?!っそんなっ!」
「アイツっまだ生きてやがったのか?!」

紅涙を抱きしめていた腕の力が抜ける。
ドサッと小さな音を立てて、紅涙はまた黒い地面に寝転がる。

「ルカっそいつを殺せ!」
「っ…死んでるよ。…コイツ…笑ってやがる。」

なるほど…、
あの男、相当だな。

俺はそれほど恨まれるような生き方だったのか。
…はっ、ざまァねーな。

「っぐっ!」

こみ上げるものを我慢できずに吐き出す。
口を押さえた手には、大量の血がこびり付いていた。

「土方っ!」
「おい土方っ!」

紅涙の上に、俺の血が落ちる。

その頬にポタリと垂れた血を見て、

俺は笑った。


「…良かっ…た、」


お前と、逝ける。


「紅涙…、ッ…、」


ああ…、嬉しい。

ガラにもねェ。
涙が出て来やがった。


「今、…逝く、から…、」


紅涙の頬に手を添わせた。


「待ってろ…、すぐ、逝く、…。」


そっと、
俺は紅涙の頬を撫でたと思う。

確かじゃないのは、
その時にはもう意識を手放していたから。

ただ目を閉じる最期、


『もう寂しくないですね、甘えん坊の土方さん?』


紅涙はそう言って、

悪戯に笑ったんだ。


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