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真意
局長室で泥だらけだった上着を脱いで、
「"辞めた"…?」
私が驚いていると、
隣で話を聞いていた土方さんが「なんだ?」と言った。
「その女中に用事があったのか?」
「あっ…、…いえ…、」
用事、じゃない。
私は死んでないわけだから、今すぐに彼女を問い詰めたり罰したりすることも出来ない。
…するつもりもないが。
「ははは、心配だったんだろう?紅涙君。」
局長の言葉に、私は笑んで頷いた。
彼女の背景を考えると、責めることが出来ない。
それに、
「死んでほしい」と何度も口にするほど憎んでいたのに、彼女の声は震えていた。
怒りで、じゃない。
本当は殺したくなんてなかった、
殺すつもりはなかったんじゃないだろうか。
だから…彼女のことはもういい。
私にはもっと、
考えなければいけないことがあるから。
「それよりもだ、紅涙君。」
笑顔の消えた局長が私を見て、
「そうだな。…お前のことだ、紅涙。」
土方さんも私を見据えた。
し、しまった。
まだ帰らなかった理由を考えていない!
「トシから聞いたぞ。何でも盛大に転んでいたそうじゃないか。」
「何をしたら、音信不通で派手に転ぶことになるんだ?」
な、何もしていなくても転ぶことはあると思いますけど。
「…。」
「なんだ紅涙、言えねーのか?」
「紅涙君、まさか単独行動をしていたわけじゃないよな?」
まるで取り調べのような気分だ。
…ん?だけど今の局長の言葉…使える。
「あっあのぉー…張り込み、です。」
私は急いで指名手配犯リストを頭の中で開いた。
「"張り込み"だァ?」
「は、はい。」
土方さんが片眉を上げて私を見る。
「誰の張り込みかな。」
「あー…はい、えっと…、」
局長は怪しんだ眼で私を見る。
私の頭の中には一人の犯人が思い浮かんだ。
「かっ歌舞伎町で相次いでいる窃盗犯を見かけまして、後をつけていました。」
二ヶ月ほど前から被害が出ている事件だ。
「何で連絡しなかったんだい?」
「少しでも目を放すと見失いそうで…。」
局長から視線を下げて、畳を見た。
二人から同じような溜め息が聞こえた。
「…で、収穫は?」
煙草に火を点けた土方さんが、ふぅと息を漏らす。
私はその声に、静かに顔を振った。
「途中で…その…転んでしまいましたので…盛大に。」
ボソボソと話す私の言葉に、
局長は「ああ、そこで転んだんだー」と妙に納得したような声で言った。
「すみません…、」
"結果、何もなくて…"
頭を下げる。
静かな間が、流れた。
すごく長く感じて、怖いぐらい静かだった。
それを絶ったのは、
低い、土方さんの声だった。
「…もう二度と、するな。」
私は顔を上げて、土方さんを見た。
「いいな、紅涙。」
鋭く見据えた眼は、怒りが含まれている。
「トシの言う通りだよ、紅涙君。そもそも単独行動自体が許されない。」
"これは俺であってもトシであっても、だ"
局長は土方さんより少しだけ柔らかく、私を見た。
「…はい。すみませんでした。」
「それじゃあ後は罰だな。何がいい、紅涙。」
「え?!ばっ罰?!」
「あァん?まさかお前、罰せられないままこの話が終わるとでも思ってたんじゃねーだろうな?」
土方さんは煙草で私を指すようにして言う。
「まァ他の隊士の手前、な。すまないが、しっかり受けてもらうよ紅涙君。」
「近藤さん、詫びる必要なんてねーよ。」
優しい局長を、土方さんが邪魔する。
ここで駄々をこねるほど、私は自分の行動に無責任ではない…つもりだ。
「…ば、罰は選べるんですか…?」
さっき土方さんは"何がいい?"と言った。
「ああ。選ばせてやるよ。」
土方さんは「二択だ」と言って、人差し指を出した。
「一、馬車馬の如く働く。二、馬車馬の如く働く。」
…いやいや。
「選べないじゃないですか!」
「じゃあ決まりだな。」
「ヒィッ…!」
顔を引きつらせれば、
局長に「まあ見せしめ程度だから」と笑って肩を叩かれた。
…それが一番怖い発言なんですけど。
「よし、じゃあ行くぞ。」
「え?!すっ少しぐらい休憩とか…」
「するわけねーだろ。ほら立て。」
そう言って私の腕を引いた土方さんだったけど、
「ああそうか、お前汚れてたんだな」
上から下まで服を見て、溜め息をついた。
「あっ忘れてました!」
「仕方ねェ、先に風呂入ってこい。」
「はーい。」
私は「失礼します」と部屋を出る。
時間が早かったため、
有難いことに一番風呂を頂き、ご機嫌で副長室に入った。
「お待たせしましたー。」
土方さんの部屋は既に煙草の匂いで充満している。
うわ、髪に匂いがつくなあ…。
まあ今さらか。
「えっと、何から始めればいいですか?」
私が部屋に入ってから一言も話していない土方さんを見た。
「…。」
「…土方さん?」
あれ…?
なんだろ…機嫌悪い?
「…紅涙、」
土方さんが怖いぐらい真っ直ぐに私を見た。
「…は、はい…?」
音信不通だったことをまた改めて怒られるのかな。
だってそれしか怒られることないし…。
私がこの原因を必死に考えていると、土方さんは「…お前、」と低く口にした。
「お前、…俺に言ってないことないか?」
…え…?
「何の…話ですか?」
「まだ俺に隠してることないか?」
「隠してる…こと?」
「ああ。お前が消えてた間のことで、まだ報告してねェことはないか?」
『早雨 紅涙、お前は7月25日の明朝に死んだ』
隠しきれないかもしれないと思うほど、私の心臓は動揺した。
「そんなの…ありませんよ?」
な、なんで急に…。
誰かから何か聞いたとか?
彼女の話がどこかから漏れたのか…?
「…。」
「…。」
土方さんの眼は、私を窺い見るようなものじゃない。
"お前は俺に隠してる"
そう確信した眼で私の言葉を待つようだった。
「ひ、土方さん…?」
「…ないんだな…?」
その問いに目を逸らすことすら出来ずに、私は何度か小刻みに頷いた。
土方さんは目を細めて、煙草に火を点けた。
「…分かった。」
それは極普通の、
たった一言だったのに、
「…、…はい。」
その時の私に、重く圧し掛かかった。
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