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条件


私の前に、二つの壁が出来た。
一つは近藤局長。

「そっかァ、とっつぁんも忙しいんだな!」

もう一つは、土方副長。

「早く帰って家族に癒してもらえよ。」

私の視界には、二人の背中と黒塗りの車の鼻先だけが見える。

「言われなくてもそうするつもりだ。オジさん今にも疲労で死んじゃいそうだもん。」
「“だもん”とか言ってる内は大丈夫だろ。」
「いやいや、とっつぁんも年だから何が引き金になるか分からんよ。」
「近藤、テメェ俺を年寄り扱いしやがって……」
「えェェ!?だって死んじゃいそうって言ったじゃん!」
「疲労でって言ってんだろォがァァ!」
「ごめんよ、とっつぁん!だから銃をしまってェェ!」

日の落ちた路地に近藤局長の声が響く。

賑やかな空気の中、
土方副長は顔を半分だけこちらに向けた。

「早雨。何やってんだ、早く行け。」
「でも…その人って松平長官ですよね?」

とっつぁんと呼ばれている後部座席の男性は、おそらく警察庁長官の松平片栗虎。

「私、初めてお会いしました。だから一言だけでも挨拶を…」
「そんなもん必要ねェ。帰ってろ。」
「……、」

土方副長は私を屯所に帰したくて仕方がない。
たぶん余計なこと言うのでは、と気を揉んでいるのだろう。

「大丈夫です、挨拶をしたらすぐに帰りますから。」
「いらねェって。だから早く…」
「なァにコソコソ話してんだァ?トシ〜。」
「!」

松平長官の声に、土方副長が目を見開いた。

「べ、つに…なんでもねェよ。」
「なんでもなくねェだろォ?珍しく猫まで抱きやがって。」
“壊滅的に似合わねェ図だなァ、お前”

土方副長が松平長官に向き直る。
その途中、私に『行け』とアゴで促した。

どうしてそこまで会わせたくないんだろう。

「これはとっつぁんが捜してくれって言った猫だ。」
「ああ、チャーミィか。」
「チャーミィ?名前があったのか。」
「俺が付けてやったんだよォ。将ちゃんが『名前あった方が呼びやすい』っていうからな。」
「それわかる!俺も自分の刀をこてっちゃんって呼ぶ方が…」
「そォんな話はどうでもいいんだよ、近藤ォォ。」

低い松平長官の声に、ピリッと空気が張り詰める。

「俺が知りたいのは、お前らが後ろに隠してるもんの話だ。」
「はは。隠してるなんてそんな…」
「そうかァ、違うのかァ。だったら、どけ。」
「それは……。」

近藤局長の眉間にシワが寄る。
土方副長は、聞こえるか聞こえないかの大きさで舌打ちした。

…どういうこと?
私、隠されてたの?

でもなんで…

「…、…わかった。」

近藤局長が頷き、私を見る。

「ちゃんと紹介する。早雨君、前へ。」
「は、はい。」

手で促され、近藤局長と土方副長の間に立った。

「とっつぁん。前に話した、三番隊所属の早雨だよ。」
「はっ、はじめまして、早雨 紅涙です。よろしくお願いします!」
「違うだろォ〜?」

松平長官が顎を擦る。

「そこは警察なんだから敬礼でしょうがァ。」
「っ、す…すみません!」
「いいよォ?オジさん、女の子が大好きだから許しちゃう。」

優しい言葉のわりに、笑顔はない。
本気で言ってるのか冗談で言ってるのかが分からない。

「入隊してしばらく経つけど真選組はどォよ。」
「は、はい。皆さん素晴らしい方ばかりで、勉強の日々です。」
「真面目だねェ〜。くれぐれも別のことまで教えてもらわないようにしなさ〜い。」

…別のこと?
近藤局長も小首を傾げる。

「何のこと?」
「そういうところは鈍いなァ、お前。別っつったら、アッチ系しかねーだろ。なァ?トシ。」
「……俺も分かんねェけど。」
「嘘つけ。お前は頭がキレんだろォが。だから短気なんだろォ?」
「とっつぁんにだけは言われたくねェよ。」

フンと笑う。
松平長官は頬を軽く二度叩いた。

「いいかァ?早雨を入隊させる時に出した条件、忘れんじゃねェぞ。」

え…?

「…わァってるよ。」
「だったら仲良くしすぎるな。」
「してねェ。これは偶然だ。」
「偶然でも似たような場所にそんなもん貼ってたら勘違いするだろォが。」
「いや、とっつぁん。本当にトシは…」

「あっあの、」

「ん〜?どうしたァ、早雨。」
「私を入隊させる時の条件って…何ですか?」

初耳だ。
そんな条件があったなんて。

「なんだァ?お前ら、話してなかったのか。」

近藤局長が頷く。

「言ってないよ。他の隊士にお触れを出さないのに、早雨君にだけ伝えるって何か違うなと思って。」
「バカかお前。本人にも意識させた上で生活してもらわなきゃなんねーだろ。」
「それはそうかもしれないけど…」
「近藤さん、俺が。」

土方副長が近藤局長を手で制する。

「とっつぁん、俺達は言う必要がないって判断した。早雨のためだ。」
「…どの辺が早雨のためだってェ?」
「女だからって隔たりを作りたくねェんだよ。できるだけ他の隊士と平等に扱って…」
「吐き違えんじゃねェェ!」
「「!」」

突然の怒声に、ビクッと肩が揺れる。

「平等っつーのは性別を無視することじゃねェだろォが!」
「とっつぁん…、」
「俺に言わせりゃァお前らの方が、よっぽど不平等だ。」
「……。」

近藤局長と土方副長が苦い顔をして口をつぐむ。
松平長官は溜め息をこぼし、私の名を呼んだ。

「早雨、コイツらは変な気ィ回して言わなかったみてェだがどうする?」
「えっ…」
「条件だよ条件。聞いとくかァ?」
「……、はい。」

私を思って伏せてくれた気持ちは嬉しい。
でも松平長官の言うように、知っていた方が注意できると思うから。

「聞きたいです。」
「ああ気負わなくていいよォ?そんな難しい条件なんて出してないから。」
“コイツらが伏せたせいで、ややこしい話みたいに思えるだけ”

松平長官は肩をすくめ、「まァあれだ」と煙草に火を点けた。

「女が入るんだから、色事問題だけは出すなって話だよ。」
「色事…、」
「愛だの恋だの、色事に発展したら早雨ちゃんを即解雇。それがオジさんの出した条件だ。」

聞いた瞬間、『なんだ、そんなことか』と思った。
だけど、胸がザワついたのも事実で。

「…そう……だったんですね。」

どんな顔をすればいいのか、分からなくなった。

このモヤモヤする気持ちは何だろう。

どうして私…、
少し残念に思うんだろう。

「どォだ〜?早雨。わざわざ伏せる程の条件でもねェだろ。」
「…言うほどの話でもねェってことだよ。」
「トシィ、その減らず口もいい加減にしやがらねェと――」

「その辺にしておいてください、松平公。」

どこからともなく声がする。
近藤局長でも、土方副長でもない。

「帰るのが遅くなると、ご家族の方も心配されますよ。」
「おおそうだな、いけねェいけねェ。」

松平長官が前方を見て話す。
どうやら声の主は助手席にいるらしい。

「そう言やァお前らは早雨と会ったことがあんのか?」
「いえ、これが初対面です。」
「だったら挨拶くらいしとけ。」
「そうですね。では軽く。」

助手席の窓が開く。
そして、

「こんばんは、真選組の皆さん。」

白い隊服を着た片眼鏡の男性が、小さく頭を下げた。

「早雨さん、はじめまして。見廻組局長の佐々木異三郎と申します。」
「は、はじめまして。三番隊所属の早雨 紅涙です。」
「……。」
「?」
「なるほど、よく分かりました。」

佐々木さんが何かに納得する。
やや眠そうにも見える目で、懐から携帯を取り出した。

「早雨さん。」
「は、はい…、」

思えばこの時、
その“何か”に気付いていれば、


「私とメル友になっていただけませんか?」


未来は少し、好転していたのかもしれない。


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