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反発力


あるお昼のこと。
いつもながらに混んでいる屯所の食堂で、

「今日は日替わり定食にしようっと。」

私は食券を買い、トレーを手に長蛇の列へ混じった。
すると最後尾にいた“話したことのない”三番隊の隊士が、

「うっす、早雨。」

かなり気さくに声を掛けてきた。

「えっあ…どうも。」
「なんかお前、挙動不審だな。」
「そ、その…ちょっとビックリしちゃって。」

驚くに決まってる。
なにせ彼は、いわゆる“アンチ早雨派”だ。

私を仲間だと認めていない側の人達だから、今までろくに話したことがない。

「あのさー、お前に聞きてぇんだけど。」
「な、何?」
「オムライスとか好き?」
「…へ?」

オムライス?

「好き…だけど。」
「なら、これ使えよ。」

スッと、『オムライス(大)』と書かれた食券を差し出された。

「なんか俺、急にラーメン食いたくなったから。お前にやる。」
「あ、ありがとう。でも私もう食券を…」
「じゃあな。」
「え!?ちょ、待っ……、…行っちゃった。」

早々と立ち去る隊士は、人混みに消える。

「オムライス…貰っちゃった。」

呆然としつつ、私は食券に目を落とした。


「ほんと、変わったなぁ…。」


実は最近、
こういう“以前と違うこと”に多々遭遇している。

特に、今まで私を避けていた三番隊の隊士達。
話し掛けてきたり、物をくれたりと態度が一変した。

その原因は、先日の『猫の捕獲』。

あの日、
私は松平長官から直々にアドバイスを受けたと広まり、

『早雨が幹部候補になった』とか、
『松平長官がバックに付いた』とか、

すっかり噂話に尾ひれが付いてしまっていた。

ますます陰口を叩かれる原因になりそうなものだけど、そこは松平長官の名。

ちょっかいを出せば将来がない!
と、これまでを改めるキッカケになってくれたらしい。

もちろん全員が全員ではないが。

私としては、
少しでも快適に過ごせるならそれでいい…んだけれど、


「どうしよう…この食券。」

さすがに日替わり定食とオムライスは食べられない。
ましてや、オムライス(大)。

「頼んでから残すのは申し訳ないし……」
「それなら俺が貰ってやりまさァ。」
「!」

振り返ると、真後ろに沖田隊長が並んでいた。

「いいいつの間に…じゃなくて、お疲れ様です!」
「お疲れ。で、くれるんですかィ?それ。」

私の手元を見る。

「そう、ですね…」

貰った物だけど、
使わず捨ててしまうよりは食べてもらった方がいい。

「どうぞ、使ってください。」
「ありがてェや。これで食費が浮きやした。」

そう言って受け取る沖田隊長の手には、既に『親子丼』の食券が握られている。

さすがは男子…。
華奢に見えても大食いなんだ。

「いつも2品食べるんですか?」
「2品?あー、オムライスは俺が食べるわけじゃありやせんぜ。」
「え、じゃぁどうするんです?」
「土方さんにあげまさァ。」
「!!」

沖田隊長ってそんなに優しかったっけ!?

…と思ったけれど、
どうも午前の見回り時に、賭けに負けて昼食を奢ることになったらしい。

「か、賭けって…。」
「まァ奢る気なんて到底ありやせんでしたがねィ。」

沖田隊長くらいだな…、
こんな風に土方副長を扱うのは。

「でもオムライスで大丈夫なんですか?好みとか」
「問題ありやせん。ヤツはマヨネーズがぶっかけられりゃそれでいいんで。」
「確かに、三度の飯よりマヨネーズですもんね。」
「つくづく気持ち悪ィ話でさァ。」

オエッと舌を出して胸元を擦る。
そうこうしている間にも列は進み、配膳場所までやってきた。

「お待ちどうさん!さぁ食券を出しておくれ。」
「今日はこれをお願いします。」
「はいよ!日替わり定食ね。総悟くんは何だい?」
「親子丼で頼みまさァ。あと、これも。」

2枚の食券を差し出す。

「おやまぁ!オムライスも食べるとは珍しいね。」
「いや、そっちはケチャップ抜きのマヨネーズ有りで頼みまさァ。」

うわぁ…
もはやオムライスじゃないじゃん。

「なんだい、副長さんの分だったのかい。」
「ええ。あと先にオムライスを作ってくれやせんか?」
「わかったよ、ちょっと待ってておくれ。」

女中達が手早く調理を始める。
ものの数分で白いオムライスが出来上がった。

「はいお待ち!親子丼と日替わり定食はもうちょっと待ってね。」

女中は再び忙しい調理場へと戻って行く。
それを見送った沖田隊長は、

「さてと。」

出来上がったばかりのオムライスを引き寄せた。

「届けに行くんですか?」
「いや、マヨネーズを足してやろうと思いやして。」

懐から手の平サイズのチューブを取り出す。

「土方さんは普通に作ってもらう程度じゃ満足しねェんでさァ。」
“もっとグロいくらいに載せてやらねーと”

薄ら笑みを浮かべて赤いキャップを開ける。
沖田隊長は躊躇なくマヨネーズをかけ始めた。

オムライスにはかなり残酷だけど、
土方副長を思ってマヨネーズを持参したと思うと微笑ましい。

「優しいんですね、沖田隊長って。」

なんだかんだ言って、土方副長を慕ってるんだな。

「見直しちゃいました。」
「そりゃどう思ってたってことですかィ?」
「え!?そそそれは、その…、」
「冗談でさァ。」

口の端で笑いながら、沖田隊長がチューブを絞りきる。

「よし、完成しやした。」

満足げにオムライスを見下ろすそこには、
卵を覆う程のマヨネーズがトッピングされていた。

「ちょっと足し過ぎたんじゃ…?」
「腐れマヨラには丁度いい量ですぜ。それよりも早く持ちなせェ。」
「何をですか?」
「オムライス。場所は空いてるところで構いやせん。」
「はっはい、わかりました。」

ずっしりと重いトレーを手にして食堂を見回す。
背後では「お待ちどうさん!」と女中の声がした。

「親子丼と日替わり定食だよ。」
「ありがとうごぜぇやす。紅涙、向こうが空きやしたぜ。」

沖田隊長が2つのトレーを持って歩き出す。
その背中に付いて行けば、4人がけのテーブルに辿り着いた。

「オムライスは床にでも置きなせェ。」

親子丼と日替わり定食を隣り合って並べ、座る。

「え、あの…」

この流れって、

「何ですかィ?」
「い、いや、その…ですね…」

もしかしなくても、私もここで食べる感じですか?

「とりあえずそれを置いたらどうですかィ。」
「そ、そうですね。そうします。」

沖田隊長の向かいにトレーを置く。
そこへ「早雨?」と声が掛かった。

「なんでお前がここにいるんだよ。」
「あっお疲れ様です、土方副長。これはその…」
「遅かったじゃねーですかィ。今日の昼飯はオムライスですぜ。」

土方副長が片眉を上げる。

「総悟が用意したのか。」
「当たり前でさァ。と言いたいとこですが、紅涙に食券を譲ってもらいやした。」
「ったく、何させてんだよ。」

ポケットを探り、財布を取り出した。

「悪いな、早雨。いくらだった?」
「え、っいえ!いりません。私も使ってもらって助かったので。」
「どういうことだ?」
「定食を買った後に、他の隊士から食券を譲ってもらったんです。」
“だからお気になさらず、食べてください”

『どうぞ』と手で差せば、土方副長は「そうか」と僅かに微笑む。

「なら、ありがたくいただく。」

財布をしまった。

「と言うか早雨、いつの間に総悟と仲良くなってたんだ?」
「仲良く!?そんな、とんでもないです!偶然一緒になっただけで…」
「ひでェや、紅涙。一緒に食おうって約束したのに。」
「おおお沖田隊長!?何言って…」
「やめとけ、早雨。こんな奴とツルんでも、ろくなこと教わらねェぞ。」

土方副長は日替わり定食のトレーを引き寄せると、オムライスの隣へ移動させた。

「こっちで食え。」
「は、はい。」
「ははーん、土方さん。そうやって俺を踏み台にして紅涙と近付く作戦ですかィ。」
「違ェよバカ!上司としてのアドバイスだ。」
「紅涙、七味を取ってくだせェ。」
「あ、はい。」
「聞けよ!」
「すっすみません!」
「いや早雨じゃなくて、のうのうと親子丼食ってる奴!」

指をさされた沖田隊長が顔を上げる。

「早く食わねーと冷めますぜ。作ってくれた人に失礼でさァ。」
「テメッ…、…はぁ。もういい。」

椅子を引き、腰かけた。

「早雨、お前も座れ。食おうぜ。」
「は、はい…では。」

若干緊張しつつ、席に着く。

何せ隣に副長、向かいには一番隊隊長だ。
心なしか、必要以上に周囲の視線を集めている気がする。

「い…ただきます。」
「俺もいただきます。…へェ。」

土方副長がスプーンでオムライスを掬う。

「ケチャップをマヨネーズに変えるとは、気が利くじゃねェか。」
「そりゃァ上司の飯ですからねィ。」
「お前が言うと不気味な言葉でしかねーな。」

フンと鼻で笑い、
土方副長は大半がマヨネーズのオムライスをひと口食べた。

「おいしいですか?」
「ああ、最高にウマ…、……、…ッブホォ!」

突如、口元を押さえる。

「なっ、こ、っゴホゴホッ!」
「どっどうしたんですか!?」
「こ、れッ…辛ェェェ!!」

オムライスを指さし、水を一気飲みした。

「やはい…!ふひはひはい!!」
「?」

土方副長が若干なみだ目で口元を押さえる。

「あの、辛いってマヨネーズがですか?」
「れったいまよれーるられーよほれ!」
「え?」
「土方さん、さっきから何言ってるか分かりやせんぜ。」

向かいに座る沖田隊長は平然と親子丼を食べた。

「あー、やっぱ食堂の親子丼は旨ェや。」
「ほまへっ、はんはしたはろ!!」
「何ですかィ?全然わかりやせんね。」
「〜〜っ、ほれ寄ほせ!」
「やめてくだせェ。これは俺のでさァ。」
「ほうほ!!」
「ウホウホ?なんだ、近藤さんのモノマネでしたかィ。似てる似てる。」
「ひへーよ!っ、ほうひい!」

土方副長はガバッと音が鳴りそうな勢いで私を見た。

「みるほっへひへふえ!」
「み、みる…?」
「みる!!」

コップを差し出す。

…ああ!水!

「わかりました!」

すぐさま立ち上がり、女中の元へ走る。
たっぷりと氷の入ったボトルを抱えて戻ろうとした直後、

「っと。危ない…、」

隊士とぶつかりそうになった。
振動でボトルの中の氷が揺れる。

「気をつけないと。」

再び足を踏み出した、その時。

「邪魔。」
「え、」

――ドンッ!

横から誰かに突き飛ばされた。

「っ…」

身体がバランスを失う。
頭の中に、


『邪魔。歩くの遅いんだけど。』
『…すみません。』
『特別待遇だから協調性が足りないんじゃねェの?』


いつかのことがフラッシュバックした。

さっきの声…
あの隊士と似てたけど…

確かめる間もなく、重力に引っ張られる。
支えるために手を伸ばせば、

――ガシャンッ!!

抱えていたボトルが床に落ちた。

「なんだなんだ?」
「誰だよヘマしたの。」

幸いにもプラスチック容器で割れずに済む。
けれど、ぶちまけた水と氷、何より派手な音が注目を集めた。

「す、すみません…!」

急いで散らかった氷を掻き集める。
すると頭上で、

「どんくさい奴。ほんと邪魔だな。」

さっきと同じ声がした。

「……、」

胸をザワつかせながら、顔を上げる。
私を見下ろしていたのは、あの隊士だった。

「……やっぱり、」
「何が『やっぱり』だよ。」
「あなた、さっき私のことを押さなかった?」
「はぁ?何それ、スゲー言いがかりなんだけど。」

傍にいた同期の隊士に話を振る。

「おい早雨、コイツが押した証拠はあるのか?」
「声を聞いたの。私を押した人と同じだった。」
「声って…それが証拠だってのかよ。」
「信じらんねー。」

二人は顔を見合わせ、私を見ながら笑った。

「そんな確証もないことでよく自信満々に言えるな。」
「サイテーだね、早雨。」
「っ…、」

悔しい。
絶対にこの隊士なのに…っ、

「これってさー、名誉毀損じゃね?」
「だな。」


くやしい…!


「早雨!」
「大丈夫ですかィ?」
「…土方副長、沖田隊長、」

二人が駆け寄ってくる。
なぜかその姿に涙腺が緩んで、私は慌ててうつむいた。

「物音はお前だったのか。」
「どうりで戻って来るのが遅いはずでさァ。」
「す…みません。ボトルを落としちゃいまして…。」

床を見つめたまま小さく頭を下げる。

「すぐに…片付けますから。」
「いい、女中に任せろ。今総悟が呼びに行った。」
「大丈夫、です。」

氷を掻き集める。
傍では溜め息が聞こえた。

「もういいって言ってんだろ。行くぞ。」
「いえ…、忙しい女中さん達の手を煩わせるわけにはいかないので」
「早雨!」

ビクッと肩が揺れる。
おそらく怒声を聞いて驚いたのは私だけじゃない。

周囲の音が、途端になくなった。

「立て、早雨。」
「……はい。」

目を伏せたまま、立ち上がる。
緩んでいた涙腺は、すっかり治まった。

だけど、

「……、」
「……。」

今度は気まずくて、顔を上げられない。

どうしよう。
このタイミングで謝っても、火に油を注ぐだけになりそうだし…。


「来い。」


え?

聞き返す間もなく、手首を掴まれる。

「あ、の…」
「……。」

土方副長は黙って私を引っ張り、歩き出した。


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