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後ろの正面


大勢が注目する視線を抜け、
土方副長は私の手を掴んで食堂を出た。

「あっあの、どちらに…?」
「……。」

黙って歩き続ける背中から、ピリピリとした何かを感じ取る。

これは…相当だ。
かなりキツく叱られる。

「っ…、」

動悸で目眩がした。
半ば引っ張られるように足を動かし、中庭に沿う廊下を歩く。

辿り着いた部屋は、副長室だった。

「入れ。」
「…失礼します。」

手を離され、先に部屋へ入る。
座ることなど出来ず、入り口付近で立ち止まった。

後ろでは障子が閉まり、
土方副長は口を閉ざしたまま私の横を通り過ぎる。

「……。」
「……。」

静寂が息苦しい。
耐えるように畳を見ると、カタンッと軽い音が聞こえた。

「これ、お前の。」
「…?」

顔を上げる。
土方副長が出したものは、

「食えよ。」

お皿に載った、ふた切れのカステラだった。

「これが…私の?」
「嫌いか?」
「いっいえ…、…いただきます。」

よく分からないまま、ひとまず座布団に腰を下ろす。

これが私のカステラ…?
買ってもないし、貰った記憶もない。

そもそも、このタイミングで出す?

あ、お昼ご飯を食べ損ねたからかな。
“長い説教になるから、腹ごしらえしろ!”みたいな。

…さすがにそれはないか。
まぁいいや、くれるなら貰っておこう。

「では…いただきます。」
「おう。」

カステラに添えられている黒文字をつまむ、
そんな時だった。


「あれくらいのミス、なんてことねェからな。」


土方副長が、唐突に言った。

「…え?」
「総悟のミスの方がよっぽど酷いぞ。」
“間違ったとか言って、俺をロケットランチャーで撃ちやがる”

懐を探り、煙草の箱を取り出す。

「だから、あんま気に病むなよ。」

……ああ、
そうか、そういうことか。

「土方副長…、」
「何だ。」
「…、…いえ、」

私を叱るために連れてきたのではなく、
私を励ますために、ここへ連れてきてくれたんですね。

「ありがとうございます…いつも。」

思えば、前にもあったな。

「『いつも』?…何の話だよ。」
「こうやって、土方副長が甘い物と一緒に私を励ましてくれる話ですよ。」

カステラをひと口食べる。
以前と似た優しい甘さに、頬が緩んだ。

「おいしいですね。」
「良かったな。」

土方副長はクスッと笑い、

「俺も…良かったよ。」

煙草を1本取り出しながら呟いた。

「何が良かったんですか?」
「別に。それよりもお前、」

取り出した煙草を咥え、ライターを擦る。

「服は濡れてねェのか?」
「服…?」
「盛大にボトルを落としただろ、食堂で。」
「ああ、言われれば……」

袖口に視線を落とす。

「っあ!」
「なんだ。」
「ぬ、濡れてますっ!」

触ると、しっとりしている。

「うわぁ、気付かなかった…。」
「そこだけか?」
「えっと…」

パタパタと服を触る。

「あ、膝の辺りも少し湿っぽいような気がします。」
「そりゃまァ俺が止めて氷を掻き集めてたからな。」
「す、すみません。」

苦笑しつつ、私は冷たくなった服を手で辿った。

あー、足首の辺りも湿ってる。
じゃあ靴下も?
あれ、それならこの座布団も……

「っ、すみません!」
「なんだ、急に。」
「靴下が濡れていたので座布団まで…っ、拭いてきます!」
「待て。タオルならあるぞ。」

咥え煙草で箪笥を開けた。

「とりあえず脱げよ。」
「え!?」

ぬぬぬ脱ぐ!?

「バカ、何興奮してんだ。靴下だ、靴下。」
「こっ興奮なんてしてませんよ!わわ私だって靴下のことだとっ」
「わかったから、ほら。これで拭け。」

タオルを差し出される。
手にすると、ほんのりと煙の、土方副長の香りがした。

「濡れが酷いようなら、隊服も後で女中に渡せよ。」
「はい。座布団はどうしましょう…。」
「それくらいなら陽に当てときゃ乾く。気にすんな。」

咥えていた煙草を灰皿に叩く。
その唇を見て、不意にオムライスのことを思い出した。

「そう言えば、口は大丈夫ですか?辛くて大変そうでしたけど。」
「あー…そうだな、」

口元を触る。

「もう大丈夫みてェだ。」
「ふふっ、忘れてたんですか。」
「すっかりな。」

吐息で笑い、煙草を吸った。

「それにしても、アレを食った時は唇がどうかなると思ったぞ。」
「辛みの原因は何だったんでしょうね。あとで女中さんに聞かないと。」
「いや、聞くのは総悟だな。」

土方副長が顔を引きつらせる。

「おそらくアイツが知ってる。」
「沖田隊長がどうして?」
「十中八九、後から何かをぶっかけたに違いねェ。」
「後からと言っても…」

思い返してみる。

「ずっと一緒にいましたけど、かけたのはマヨネーズくらいですよ。」
「それ、本当にマヨネーズだったか?」
「えっ…」

問われて初めて不安になった。

私が見たのは確かに赤いキャップのチューブ。
けれど、中身がマヨネーズだったのかと言われると…わからない。

確認したわけじゃないから。


『そんな確証もないことでよく自信満々に言えるな。』
『サイテーだね、早雨。』


「……すみません、」

あれは…正しかったんだ。

「早雨?」
「私…中身までは確認しませんでした。」
“だから、マヨネーズかどうかは分かりません”

確証がなければ真実じゃない。

あの時も、
私に自信はあったけど、耳にした声なんて証拠不十分だ。

それでもあの場で私の発言を聞いた人達は、
一瞬でも、彼に非があると思ってしまうわけで…

『これってさー、名誉毀損じゃね?』
『だな。』

そう言われても、仕方がない。

「…すみませんでした。」
「そんな生真面目に謝るなよ。俺はお前を責めてるわけじゃない。」
「……、」
「悪いのは総悟だろ?」
「…私の行動も、隊士として失格です。」

もし、もっと重大な事件だったらどうなってただろう。

確証のない私の判断が冤罪を生み、
真選組に…警察組織全てに迷惑をかける。

依頼人としての土方副長にまで失望されて…

「お前を選んで正解だったな。」
「っ、え?」
「早雨は真面目だって言ってんだよ。」

吐息と共に煙を吐き出す。

「だが少し考えすぎだな。後悔や反省なんて時間の無駄だろ。」
「……、」
「落ち込むくらいなら、次に生かせ。少なくとも、俺はそうやってここまでやってきた。」

漂う煙に目を細める。

「まァ俺を見習えなんて言うつもりはねェけど、あまり難しく考えるな。」
「土方副長…」
「心配しなくても、お前にはお前の良さがある。だから、」

灰をトンッと落とし、僅かに微笑んだ。


「何があっても、ある程度は俺がフォローしてやるよ。」


…ヤバイ。
土方副長の言葉が胸を打って、痛い。

甘くて…痛い。

「どうした?」
「い、いえ、その…」

「さすがはフォロ方さんでさァ。」

「「!」」

突如、障子の向こうから声が割り込んできた。

「この声って…」
「総悟〜〜ッッ!!」
「失礼しやすぜ。」

言うやいなや、障子が開く。

「二人の食いっぱぐれた昼飯を持ってきやした。」
「テメェよくも堂々と来やがって…っ!」
「お邪魔でしたかィ?ならこれは処分しときまさァ。」
「ばっ、……飯は置いていけ。」
「ありがたみの少ない上司ですねィ。」
「お前に言われたかねェよ!…それよりも総悟。」

土方副長は沖田隊長を睨みながら、煙草を灰皿に押し潰した。

「テメェ、俺に言うことあるだろォが。」
「これの件ですかィ?」

沖田隊長がオムライスの載ったトレーを掲げる。

「そうだよ、それについてだ。」
「先に置かせてもらえやせんか。」
「好きにしろ。」

アゴで机をさす。
沖田隊長は土方副長の前にオムライスを、私には日替わり定食を置いた。

どちらも薄らと湯気が立ち上っている。

「で?話は。」
「冷めた昼飯を温め直してもらいやした。俺に礼を言いなせェ。」
「はァァ!?おまっ、そうじゃねーだろ!辛味の話だ!」
「辛味?…ああ、忘れてやした。」

沖田隊長が胸ポケットから何かを取り出す。

「これをかけねェと、美味しく食えやせんよね。」

それは赤いキャップの小さなチューブ。
食堂で使い切ったはずの、例のあのマヨネーズらしきものだ。

「…そいつの中身は何だ。」
「見てわかりやせんか?アンタの大好きなマヨネーズですぜ。」
「嘘つけ。普通のマヨネーズじゃねェだろ。」
「確かに普通じゃありやせん。何せ、俺特製ですから。」
「お前の?」
「沖田隊長が作ったんですか?」
「そうでさァ。ま、大部分を占めるのは…」

楽しげに口角を歪め、

「『凍傷』って名の、激辛ソースですけどねィ。」

沖田隊長はキャップを開けた。

「と、凍傷…。」
「道理で口の中が焼けるように熱かったわけだ…。」
「またかけ直してやりまさァ。レンジの熱で辛味が飛んじまってるかもしんねーし。」
「そんな気遣いいらねェし!」

勢いよくチューブを奪い取る。

「よくもまァこんな勿体ねェもん作りやがって。マヨネーズに謝れ。」
「それもこれも上司を思ってのことでさァ。」
「どこがだよ!ったく…、早雨。」
「はい?」
「悪いがこれ、処分しといてくれ。」

土方副長が私にマヨネーズを差し出した。

「どんなマヨネーズであれ、俺の手で捨てることなんて出来ねェからよ。」
「ふふ、わかりました。」
「なら俺が処分しときやすぜ。」

沖田隊長が手を伸ばす。

「貸しなせェ、紅涙。」
「えっ、あの…」
「触んな。」

土方副長は私を庇うように腕を伸ばした。

「お前に捨てさせるくらいなら自分で捨てる。」
「それは俺を信用してねェってことですかィ?」
「当たり前だろォが。」
「ひでェ話でさァ。何十年と一緒にやってきたのに。」

やれやれと首を振る。

「というか土方さん。今使うマヨネーズがいるんじゃねェんですかィ?」
「……。」
「どのみち食堂へ行くなら、テメェで捨てた方が感じイイと思いやすぜ。“上司”として。」

沖田隊長が私を見る。
土方副長は少しの沈黙の後、舌打ちして立ち上がった。

「早雨、やっぱり俺が捨ててくる。」
「いいんですか?」
「いい…くねェけど、自分を言い聞かせて捨ててくる。」
「大袈裟な野郎でさァ。」
「なんとでも言え。それだけ俺はマヨネーズを愛してんだよ。」

私の手から小さなチューブを取る。
それをじっと見つめてから顔を上げ、眉間にシワを寄せた。

「これはマヨネーズじゃねェ、これはもうマヨネーズなんかじゃねェ…。」

ブツブツと呟きながら、障子の方へ向かう。
その姿はなんだか子供みたいで、思わず笑い出しそうになった。

「土方副長、」
「ん?」
「私が取ってきますよ、マヨネーズ。」
「早雨…、」
「ついでに、沖田隊長のマヨネーズも処分してきます。」
「……、そうか。悪い、ありがとな。」

土方副長は力なく笑い、マヨネーズを差し出す。
傍で見ていた沖田隊長は「ほんと大袈裟」と呆れ声で言った。



「さてと、どうやって処分しようかな。」

小さなチューブを手に、食堂までの道すがら考える。

たぶんこのままゴミ箱に捨てるよりは流した方がいい。
あれだけの代物だ、
万が一でも拾われて悪用されたりしないように……


「今まで何してたんだよ。」


…?

声に振り返る。
そこには、食堂で私を押した…ように思う隊士が立っていた。

「随分と副長室に長居してたみてぇだな。」
「…さっきのことで、少し話してただけだよ。」
「『さっき』って?」

薄らと笑みを浮かべ、片眉を上げる。
トボけているのは分かったけど、
それでも私は、彼に謝らなければいけなかった。

「食堂でのこと…ごめんなさい。」
「何に謝ってるのか、ちゃんと言えよ。」
「……、」
「言えねぇの?」
「…いえ。」

息を吸って、
お腹の底から沸き起こるものを抑えつけ、

「押したなんて言いがかりをつけて、ごめんなさい。」

私は頭を下げた。

「…ふーん。」

隊士が腕を組む。

「早雨って、思ってたよりもバカだったのか。」
「!?」

バカって…

「どういう意味で言ってるの…?」
「わかんねぇわけ?ほんとバカ。」
「っ、」

抑えつけた感情が膨れ上がる。
隊士は吐き捨てるように鼻で笑った。

「俺はお前の謝罪を受け入れない。」
「…どうして。」
「嫌いだから。」
「!」

なんとなく分かっていても、
面と向かって「嫌い」と告げられるとは思ってなかった。

「邪魔なんだよ、早雨。」

この人は、子供だ。
土方副長とは違って、ただワガママなだけの子供。

「お前、いつまで真選組にいる気だ?」
「……。」
「まさか2年いれると思ってねぇよな。」
「…え?」

2年…?
どうして、2年なんて期間を…。

「くくっ。だからお前はバカだって言ってんだ。」

隊士がこちらに歩み寄る。
耳元に顔を寄せると、そっと囁いた。


「俺はお前を知ってる。早雨紅涙の正体をな。」


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