15
蒸発
青ざめるとは、このことだ。
「俺はお前を知ってる。早雨紅涙の正体をな。」
どう、して…
どうやって?
…違う、
今は動揺する時じゃない。
この人と私の思っていることが、一致しているとは限らない。
「…何の話をしてるの?」
「ああそう、なるほど。お前は俺がカマをかけてると。」
「そういうわけじゃ…」
「ならハッキリ言ってやるよ。」
隊士が私の耳元でクスッと笑う。
「お前は、依頼を受けて入隊したニセモノの"なんでも屋"だ。」
!!
「なんなら、もっとデカイ声で言ってやるけど?」
「っ、やめて!」
「超必死。…くくっ。」
…そんな。
どこから漏れた?
この周辺で、なんでも屋の仕事はしてない。
私を知ってる人はいないはずなのに。
「まぁそりゃ必死にもなるか。他の隊士に知れたら、ここを追い出されるだろうしな。」
「…っ、」
まだ半年なのに。
まだ、
『俺達は早雨を望んで迎え入れた。その責任はこっちで取る。』
真選組の、役に立ててないのに。
「どうして……」
「どうして?知りたいなら教えてやってもいいよ。もちろん、」
隊士が腕を組む。
「無条件っつーわけにはいかねぇけど。」
「……。」
「とりあえず聞く?早雨の首は、俺が握ってるわけだし。」
「っ…、」
彼は今、いつでも私を真選組から追い出すことが出来る。
それを早めるのも遅くするのも、彼の気持ち次第。
「……、…望みは。」
聞くしかなかった。
「アナタの望みは、何?」
ここにいるためには、聞くしかなかった。
「くくっ、そうこなくちゃ。」
「私のクビを持ち出すということは、条件は進退以外なんでしょうね。」
「ご明察。なに、簡単な仕事さ。」
隊士の口角が僅かに弧を描く。
「来月分の任務予定表と計画書を手に入れろ。」
「…え?」
「副長が作ってる資料だよ。簡単だろ?お前、あの人と親密だし。」
アゴで私の手元をさす。
そこには土方副長から預かった、沖田隊長お手製のからいマヨネーズがあった。
「…誤解を招くような言い方はしないで。」
「誤解?」
『色恋禁止』は私と真選組を結ぶ、命綱の約束。
「アナタの根も葉もない一声で、色んな人に…迷惑がかかる。」
「そんな今更な話すんなよ。半年前からずっと掛けてるくせに。」
「…私が入隊した時からだと言いたいの?」
「そういうこと。」
「……。」
「まぁとにかくさ、」
隊士が首を回す。
「予定表と計画書、頼んだから。」
「……できない。」
「ああ?」
「あれは翌月配布されるまで機密扱いのはずよ。持ち出しは疎か、私が見ることも叶わない。」
「わかってるよ、んなこと。」
つまらなさそうに鼻を鳴らす。
「機密事項だから必要なんだっつーの。」
「何のために?」
「お前には関係ねぇ。」
「…だったら条件は呑まない。」
「へぇ…。それはつまり、全てを手放すってこと?金も信頼も、真選組も全部。」
隊士は私を試すような目で見る。
『お前は必ず条件を呑む』、そんな考えが読み取れた。
「どうなんだよ、早雨。」
「……私は、」
ここにいたい。
依頼のことも含めて、まだ真選組であり続けたい。
「…辞めたくない。」
「くく、結局そうなるんじゃん。」
「勘違いしないで。」
「は?」
「私は辞めたくない。真選組で、あり続けたい。…だから、」
拳を握る。
強い眼差しで、迷いなく彼に言った。
「アナタの条件を呑まない。」
私は、
私を信じてくれた人達を裏切りたくない。
それが"なんでも屋"としての信念であり、
真選組に身を置く者としての、生き方だと思うから。
「何に使うのかは知らないけど、機密書類を持ち出すなんて考えは捨てて。」
「…わかった。」
隊士の顔からスッと表情が消えた。
「だったら、もういいや。」
「わかってくれてありがとう。このことは誰にも言わないから、私も――」
「使えないなら、お前なんて駒いらねぇわ。」
「…コマ?」
何の話?
「駒だよ駒。早雨は俺の駒だったわけ。」
「…話がよくわからないんだけど。」
「ああそっか。お前、全然知らないもんな。」
隊士は腰の刀に手を添え、「俺はさ」と言う。
「お前と同じく、依頼を受けてここにいるんだよ。」
えっ!?
彼の言葉に驚く。
と同時に、辺りを見回した。
「心配しなくても誰もいねぇよ。いたら言うわけねぇし。」
「アナタも…なんでも屋なの?」
「違う。ほっつき歩いてたら、声かけられただけ。金になる仕事をしないか、ってな。」
『金になる仕事』
確かにそうだけど…私はそんな風に頼まれてないな。
「あと、おそらく早雨とは依頼内容も違う。」
“おそらくって言うか、絶対”
厭味に口角を上げる。
「…何が違うの?」
「お前はただ隊士として働くだけなんだろ?」
「…ええ。」
「楽なもんだよな。その分、報酬は早雨の方が少ないわけだけどさ。」
今でも十分だと思って受けているのに、それ以上の額を?
「お前にもう1度、考え直すチャンスをやるよ。」
「…何を。」
「資料を持ち出すかどうか。」
「……。」
「俺に協力するなら、お前の首は触らない。なんなら報酬を分けてやっていいよ?まぁ他の三番隊の奴らに分配した残りになるけど。」
「他の三番隊?」
「みーんな、俺に協力してくれてんだよ。」
両手を軽く広げ、隊士は喉を鳴らして笑った。
「ああでも、2人だけ俺の儲け話を蹴ったな。バカな奴ら。」
2人…
もしかして猫の捕獲で一緒だった、あの二人かな。
「どうする?」
「……、」
彼も依頼を受けた身。
達成するためには協力した方がいい。
その方が、依頼主のためにもなる。
……でも待って。
それなら副長室から持ち出す必要がある?
依頼主は土方副長のはずなのに。
わざわざ持ち出さなくても、土方副長の手にあるのに…
「アナタ…誰から依頼を受けてるの?」
「は?お前と同じ主サマに決まってんじゃん。」
「私は…違う。」
「違わねぇよ。現に俺の依頼条件には、早雨を踏み台にして目的を達成することも含まれてるわけだし。」
「…え?」
私を…踏み台に?
「だからお前は俺の駒なんだよ。初めから、お前が依頼を受けた時から、俺の駒。」
「……、」
頭が、追いつかない。
どこから考えればいいのか、分からない。
依頼人は、私を捨てるつもりで雇った?
依頼人は、機密情報を欲してる?
依頼人は…土方副長じゃない?
「で、やるの?やらないの?」
「…やらない。」
土方副長のためにならないなら、やらない。
「あっそ。」
隊士が腰の刀を握る。
「焦るなって言われたから半年も待ったけど、やっぱ早くに片付けとくべきだったな。」
「何を…?」
「早雨を踏み潰すこと。」
鞘から刀を引き抜いた。
「ちょ、ちょっと待って!何する気!?」
「見て分かんだろ。お前の首を斬るんだよ。」
「え!?」
「お前は俺の条件を呑まなかった。だから首を落とす。辞めさせる程度じゃ済まさねぇよ。変な噂を流されても困るからな。」
「そんなっ、でもここ廊下よ!?すぐに人が来て、アナタも捕まることに…」
「来ねぇよ。万が一来たとしても、早雨から決闘を持ちかけられたって言えば済む話だし。」
「だけど私は刀を持ってないのに…っ」
「はいはい、ご心配どうも。その辺りはこっちで上手くするから。つーわけで、」
隊士は薄ら笑みを浮かべて構える。
「さよならだ、早雨。」
「!」
ヒュッと刃が風を切る。
後退してかわさなければ、彼の刀は確実に私を捉えていた。
「へぇ。こんなヘボい組織でも、居ればそれなりの身体能力が付くんだな。」
「っ、真選組をバカにしないで!」
「くく…っアハハ!なに隊士ぶってんの?ニセモノのくせにさ!」
隊士が刀を力いっぱいに振り下ろす。
それをかわして懐に入ろうとすると、鞘で脇腹を叩きこまれた。
「ぐっ…!」
膝をつく。
頭が真っ白になるくらい痛くて、息が細くなった。
「甘いな。わざと作った隙に飛び込んでくるなんて蚊みたい。」
「っ、」
「痛みで話せないのか?今度はもっと痛いよ、ココが。」
トントンと刀の刃を私の首に触れさせる。
思わず身体が跳ねた。
「くく、こんなのでよく依頼なんて受けたよな。」
「……っ、」
どうする…?
彼の言った通り、どういうわけか誰も来ないし、このままだと本当に斬られる。
何か…何か逃げられる方法……、
そうだ!
「…ねぇ、」
「ああ?」
「アナタ、からい物は好き?」
「…は?」
私は手に持っていた小さなチューブを開け、彼の顔めがけて思いきり握った。
「っテメッ何しやが…ィッッテェェェェ!!!」
目も鼻も口も、マヨネーズまみれ。
隊士は鞘を落とし、顔に付いたものを必死に落とした。
「殺すッ!絶対殺してやるからな早雨ッッ!!」
「っ、」
すごい殺気…
でも少しは目くらましになったはず!
私は急いで駆け出した。
けれど廊下に落ちたマヨネーズで足が滑り、
「キャァッ!」
あろうことか、背中を向けて再び膝をつく。
「バカが!死ねぇぇ!!」
「っっ!」
振り向く間もなかった。
ただ背中に鳥肌が立って、身体だけが何かを感じていた。
刃が風を切る音。
隊士の荒い息遣い。
全てが一瞬のうちに凝縮されて、
「ぐアァァッ!」
一瞬のうちに、拡散した。
「…え?」
叫び声を挙げたのは、私じゃない。
私じゃないなら……
「早雨。」
「……、」
ゆっくりと顔を上げる。
土方副長と目が合った。
「怪我はないか。」
「…、…は、い。」
どうしてここに…?
隣には沖田隊長もいる。
「俺のマヨネーズがあんな使われ方をするとは思ってやせんでしたぜ。」
「…すみ、ません、」
「褒めてるんでさァ。」
「はい…」
頭が回らない。
私、どうなったの…?
ぼんやりしたまま振り返る。
そこには僅かに引きずられたような血の跡が延び、
「斉藤…隊長……?」
「……。」
血が途切れた先に、斉藤隊長は立っていた。
隊服が少し赤く汚れている。
「もしかして…、斉藤隊長が彼を……」
「早雨、」
背後からポンと肩に手を載せられる。
「お前、風呂入って来い。」
「…え?」
「背中、汚れちまってるから。」
「……、…わかりました。」
何で汚れてるのかは、聞かなくても分かった。
頭を下げ、
浴場へ向かおうとした足を、ふと止める。
「あの…助けていただいて、ありがとうございました。」
「なァに一般市民みてェなこと言ってやがんでさァ。」
「すみません…。でも、いつから…見てくれてたんですか?」
「そりゃァ――」
「総悟。」
土方副長が声で制する。
私に向ける目は、鋭くも優しくも見えて、よく分からなかった。
ただ、
「この件については、風呂上がって来てからだ。あとで局長室に来い。」
「……はい。」
終わった。
単純に、そう思った。
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