18


事の前・終


好きな女には、笑っていてほしい。
幸せであってほしい。

そのためになら――身を引く。

それが、最善の考えだと思っていた。

無理をして、
無茶をして、
泣かせるかもしれないのなら…始めから連れ出さない。

道連れにするべきじゃない。

それが、男として当然の考えだと思っていた。

「テメェなら…ここを出た早雨を幸せに出来るとでも言うのか。」
「それは分かりやせん。出来るかもしれねェし、出来ないかもしれない。」
「ッ、総悟!」

そんな無計画な状態で、“条件”を破るつもりなのか?
お前の言葉1つで、早雨はここを追い出されるんだぞ?
お前の意地のせいで、早雨は…っ、

「早雨は辞めることになるんだぞ!?」
「わかってまさァ。」
「わかってねェよ!」
「わかってる。」

ぴしゃりと言い切り、

「何回も言われなくたって…十分に分かってまさァ。」

総悟は目を伏せた。
肩を揺らして息を吐くと、「…俺は」と顔を上げる。

「俺は、それでも諦めやせん。」
「ッ…」
「でも、紅涙には告りやせん。」
「!…お前、」
「勘違いしないでくだせェ。」

話す総悟の目に、感情が見えない。

「俺は、アンタが紅涙を護るためのシナリオに乗ったわけじゃない。」

淡々とした声は、投げ出したみたいに聞こえる。
でも、

「自分の意思で諦めず、告白しないと決めやした。俺が、紅涙を護るために。」
「総悟…。」

コイツの中には、強く深い、想いがあった。

「そこのところ、勘違いしないでくだせェ。」

おそらく俺や近藤さん、
たとえ、とっつぁんでも揺るがないくらいの気持ち。

それでも総悟は『告白しない』と決めて…

「…そうか。」

いつの間にか、ちゃんと成長してんだな。

「お前が分かってくれて良かったよ。」
「その言い方は腑に落ちやせんね。俺はアンタに従ったわけじゃなくて――」
「わかったわかった。」

やっぱり、まだまだガキだな。
総悟はフンと鼻を鳴らし、顔を背けた。

「……姉上がいたら、愚痴の一つでも言えたのに。」

激辛せんべいに目を落とす。
その表情は幼い頃のままで、

「話なら、姉弟じゃなくても聞いてやれるんだぞ。」

少し、罪悪感に胸が傷んだ。

「長い付き合いなんだ。俺達がいることも忘れんな。」
「…そうですねィ。でもアンタにだけは話しやせん。」
「そうかよ。」

…ほんと可愛くねェ奴。

おもむろに、総悟がせんべい袋を開封する。
1枚を取り出し、かぶりついた。

「うわ、辛ェ…。」
「…ああ。」
「腹立つくらい辛ェ。」
「だろうな。俺も泣きそうなくらい辛かった。」
「それは"泣いたくらい"の間違いじゃありやせんか?旦那が言ってやしたぜ。」
「なっ…泣いてねーよ。」

万事屋の野郎…余計なことまで話しやがって。

「あーマジ辛ェ。姉上はこんなもんをよく食ってたなァ…1枚も食いきれねェや。」
「ガキ。俺は1袋食ったぞ。」
「へぇへぇ。そりゃスゴイでさァねー。」
「なんだその言い方。どうせお前は食えねェだろうよ。」
「食ったら紅涙との仲を取り持ってくれやすかィ?」

『仲を取り持つ』だァ?
コイツ…したたかに狙いやがって。

「持つわけねェだろ。」
「なら、せんべいを食いながら泣いてる土方さんの写メをSNSに載せまさァ。」
「どこからそんな話になったんだよ!…その前に、写真なんてねェだろーが。」
「旦那が持ってやすぜ。いつか使えるかもしれないとか言って。」
「アイツ…!」

消す!速攻消す!
つーか、しょっぴいてやる!!

門を出て行こうとすると、

「俺の不戦勝ってことでいいんですかィ?」

ニヤニヤした声が背中にぶつかった。

総悟の野郎…
本気で賭けるつもりだったのか。

コイツはやると言ったらやる男だからな…。
今無視すれば、絶対に写真流出は止められねェ。
もしかしたらそれ以上の何かをしでかすなんてことも……。

「……わァったよ。」

面倒な話をしちまったもんだ。

「お前が1袋食えたら、とっつぁんに“条件”の撤廃をもう一度だけ説得してやる。」
「『もう一度』?」
「1回やって失敗してんだよ。」
「そうだったんですかィ…。」

総悟が眉を寄せる。

…お?
賭けを諦める気になったか。

「…土方さん、」
「なんだ。」
「一度失敗してるなら、次は違う戦略で頼みますぜ。」
「……。」

全然諦めてねェじゃん。

「聞いてやすか?」
「…聞いてる。ただしお前にも条件がある。」
「条件条件て…何をしろって言うんでさァ。」
「その袋に入ってる12枚、」

俺は激辛せんべいの袋を指さす。

「全てを1分で食えたら、お前の勝ちだ。」
「1分って…1枚が手の平くらいあるんですぜ?最低3分は必要でさァ。」
「こちとらリスクの高いことをしてやろうって言ってんだ。叶えてほしいならお前も踏ん張れ。」
「…仕方ありやせんね。」

やれやれと肩をすくめ、総悟は挑発的に唇を歪ませる。

「わかりやした、受けて立ちやしょう。」
「…お前が食えなかった時は昼飯おごれよ。」
「いくらでも。」

総悟がせんべい袋に手を入れる。
俺は腕時計の秒針を読み、

「始めるぞ。」

馬鹿げた賭け話に乗った。


この結末がどうなったかは、早雨も知っての通り。
まぁアイツが激辛せんべいをなめてたってとこだ。


だが総悟はどこまでも生意気なガキだった。
俺の昼飯をテメェの金で用意しなかったどころか、
仕返しの如く、マヨネーズに激辛ソースを仕込みやがって…っ!

マヨネーズが泣いてるじゃねーか!!

「ついでに、沖田隊長のマヨネーズも処分してきます。」
「……、そうか。悪い、ありがとな。」

俺は可哀想なマヨネーズを早雨に託す。
早雨が部屋を出て行った直後、総悟は「ほんと大袈裟」と言った。

「たかが調味料を捨てるくらい、テメェで行けばいいのに。」
「俺にとっては『たかが』じゃねェっつってんだろ。」

新しい煙草に火を点け、「それに」と総悟を見る。

「今はまだ、お前と早雨を二人きりにするつもりはねェからな。」
「また俺を信じてない発言ですかィ。」
「『今はまだ』、だ。」
「いつならいいんでさァ。」
「さァな。その辺は総悟の態度次第だ。まァ…1ヵ月とか2ヵ月とか?」
「長っ…。過保護にも程がありやすぜ。」
「過保護なわけじゃね――」

ギシッ…

「「!」」

障子の向こうで廊下が軋んだ。
続く足音も、声を掛けてくる様子もない。

「「……。」」

総悟と視線を交わす。
刀に手を伸ばし、一本を手渡した。

屯所内で物騒な話だが、例の密偵かもしれない。
いざという時は、たとえ隊士であっても……消す。

「……。」

そっと二人で障子に近付く。
刀の鞘を強く握り、勢いよく、

開けた。

――バンッ

「誰だ!出て来やが…ッ!?」
「…ありゃ。」

そこにいたのは、

「終兄さんじゃねーですかィ。」

終だった。

「ンだよ、ビックリさせんな。」
「……。」

申し訳なさそうに頭を下げ、紙切れを差し出す。
そこには、走り書きされた一文があった。

『早雨が隊士と接触中ですZ』

…なんだ、このZ。
内容には関係ねェみたいだからいいけど。

「どこですかィ?」
「……、」

指をさす。
総悟はすぐに向おうとしたが、

「待て。」

俺は肩を掴んで引き留めた。

「まだそいつだと決まったわけじゃねェだろ。」
「ちょっと話を聞くだけでさァ。」
「嘘つけ。お前の瞳孔、完全に開いてるぞ。」
「……、」

総悟の肩から力が抜ける。
行かせていたら、本当に斬っていたかもしれない。

「まずは話の内容を探ってからだ。」
「…まどろっこしいですねィ。」
「当たり前だろ。相手は隊士、何よりここは屯所だ。」
“間違いましたじゃ済まされねェんだよ”

何より、他の隊士には知らせてない一件だ。
できるだけ、事を荒らげずに済ませたい。

「いいか、まずは会話を途切れさせないように近付き、内容把握に徹する。」
「そういうことなら山崎を使った方が早いと思いやすが。」
「アイツは別の任務についてる。」
「チッ、使えねェ。」

総悟が口を尖らせる。
そこへ、

「あの〜お取り込み中のところすみません。」

聞き慣れない声がした。
振り返ると、3人の隊士が立っている。

コイツらは確か…三番隊?

「どうした。」
「稽古場で隊士が揉めてるみたいなんすけど、治まらなくて。」
「仲裁してもらえませんか?」

ったく、こんな時に誰だよ。

「わかった。総悟、行ってこい。」
「俺には今から大事な用事がありまさァ。」
「心配すんな。そっちは引き受ける。」
「いやいや、そっちは俺が行きやすんで。」
「お前に言われて来たって、アイツに売っといてやるから。」
「いらねェし。」

「あ、あの〜副長と沖田隊長に来ていただきたいんですけど。」

「「あァ?」」
「なんで二人も行かなきゃなんねェんだよ。」
「いや、そのぉ…結構な人数でやり合ってるもんですから…。」

隊士の眼が泳ぐ。
…これは何かあるな。

「…土方さん、」
「ああ。…終、先に例の隊士の方へ行っててくれ。」

俺は帯刀していない終に、刀を手渡す。
耳打ちするように顔を寄せ、

「向こうの状況次第では粛清も許可する。」

そう告げた。

「悪いな、いつもお前にこんな役させて。」
「……。」

首を振り、終はその場を後にする。

「さてと。」

俺は3人の隊士に向き直った。

「何のために足止めしようとしてるのか、聞かせてもうおうじゃねェか。」
「っ…い、言われてることがよく分かないっす。」
「あーらら。土方さん、コイツらは暗くて痛い部屋に行きてェみたいですぜ。」
「身内を連れて行くのは久しぶりだな。」
「ヒッ…!話します!話しますから!!」

隊士の一人が血相を変える。
隣に立っていた奴は「やめろ!」と声をあげた。

「話しちまったら俺達は何も手に入らなくなるんだぞ!?」
「もう遅ぇよ!こうなったら隊士として身分だけでも守ることが最優先だろ!」
「…賢明な判断だな。」

ま、身分は剥奪するつもりだが。

「生きたいなら包み隠さず話せよ。」

命くらいは、保証してやるか。


そうして俺達は、三番隊に蔓延する儲け話を知った。

『黙って俺に協力してくれたら金をやる』
例の隊士が、入隊直後から持ち掛けたそうだ。

始めは“早雨を仲間外れにしろ”。
次は“早雨を仲間だと認めろ”。

「そして今は、“早雨と俺を二人きりにしろ”と言われて…。」
「二人きり…?」

総悟の顔が険しくなる。

「なんでだよ。」
「わ、わかりません。俺達は、誰にも邪魔されないよう周辺の部屋の前で張り込めって言われただけなので。」
「そうっす。近づこうとした奴は追い払ってくれって。特に、副長と沖田隊長には気を付けろと。」
「……。」

これが終の言っていた『裏切り者』の正体なのか?
密偵どころか、女を落とそうと躍起になってる異常な男ってとこだろ。

この手の奴は、フラれたら手を上げ兼ねない。
危ない野郎に間違いないが…今回ばかりは終の思い違いか。

「総悟、早雨のところへ行くぞ。」
「コイツらはどうするんですかィ?」
「テメェの命が惜しいなら、散らばってるバカ共を集めて広間に待機するだろ。」

俺は三人の隊士を睨み見た。

「言ってる意味、わかるよな?」
「はははいっ!」
「大人しく待ってろよ。後で行く。」
「逃げたら俺が斬ってやりまさァ。」
「「ヒィィッ!!」」

今にも腰を抜かしそうな奴らを横目に、俺と総悟は早雨の元へ向かった。

だが、
既に穏やかな状況ではなかった。

「甘いな。わざと作った隙に飛び込んでくるなんて蚊みたい。」
「っ、」
「痛みで話せないのか?今度はもっと痛いよ、ココが。」

膝をつく早雨の首には刀が当てられている。

「ッ!!」

瞬発的に総悟が踏み込もうとした。
その首根っこを掴む。

「落ち着け。」
「っぐ、」

さっきも似たようなことをしたな…。
コイツが冷静さを欠くなんて、そうあることじゃないが…やはり好きな女だからか。

言いようのない気持ちが湧き上がる。
そこに、隊士の話し声が聞こえた。

「くく、こんなのでよく依頼なんて受けたよな。」
「……っ、」

『依頼』?
どういう意味だ。

「放しやがれ土方コノヤロー。」

俺の手を放そうと、総悟が身をよじる。
コイツの耳には隊士の話が入ってなかったらしい。

「落ち着けって言ってんだろ。早雨は斬られたりしねェよ。」
「何を証拠に…」
「傍にいるだろ、終が。」

アゴでさす。
終は例の隊士と早雨の死角に潜んでいた。

「アイツが動かないということは、状況を見る時だ。」
「…わかってまさァ。」

わかってねェから言ってんだよ…。
俺は小さく溜め息を吐き、総悟の首から手を放した。

それにしても、『依頼』って何なんだ?
あの言い方だと、早雨が何か引き受けたみたいだったが…。


『クイーンがジョーカーなんてことも、あるかもしれやせんし』


…違う。
あれは総悟が早雨と居たいがために吐いた冗談だ。

ただの冗談に過ぎない。
タチの悪い…冗談。

「……。」

考え込んでいると、

「っテメッ何しやが…ィッッテェェェェ!!!」

隊士の叫び声が聞こえた。
見れば、早雨が激辛マヨネーズを相手の顔にぶちまけている。

「さすがは俺の惚れた女でさァ。」

満足げに総悟が笑う。
だが苛立った隊士からは急激に殺気が溢れ出した。

「殺すッ!絶対殺してやるからな早雨ッッ!!」
「っ、」

早雨に襲い掛かる。
廊下のマヨネーズに足を取られ、体勢を崩した。

「野郎っ…!」

いよいよ助けに入ろうとすれば、終が先に動く。
そして。

「ぐアァァッ!」


…これが、早雨の知らない時間の全て。
だが俺達はまだ、事の詳細を知らない。

お前がアイツと何を話していたのか、
本当はアイツが何を企んでいたのか、

『依頼』が何を意味するのか。

それを、これからお前に直接聞こうと思ってる。

「…総悟、終。準備が出来次第、広間に集合しろ。三番隊の処遇を言い渡す。」
「了解。紅涙にも伝えておきまさァ。」
「風呂場には行くなよ。」
「生憎、俺はそんな幼稚な考えを持ってやせんから。」

ひらひらと手を振り、総悟が立ち去る。
終は、じっとしたまま動かなかった。

「どうした?」
「……、……。」

一度だけ目を伏せ、俺を見る。
懐からスケッチブックを取り出した。

…よくそんなデカいもんを忍ばせてたな。

「……。」

終が何かを書き連ねる。
すらすらと書き進め、俺に見せた。

「!お前…、」
「……。」

俺達はまだ、事の詳細を知らない。
しかし、終は知っていた。

「…詳しく聞かせろ。」

早雨とアイツの話を、ただ一人、聞いていた。


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