19


人の言


お風呂を済ませた私は、
着替えのシャツに袖を通しながら溜め息を吐いた。

「…はぁ。」

もう何度目かわからない。
ただ、赤く汚れた服を脱いでも、
どれだけ熱いお湯に浸かっても、気持ちはさっぱりしなかった。

「……どうなるんだろう、私。」

浴場を出た後、どんな話が待っているのだろう。

目的の違う入隊を責められる?
何かの罪になって逮捕される?

「それならそれで、仕方ないかな…。」

依頼とは言え、したことに間違いはない。
責任は…持たないと。

「でもまさか同じ境遇の人がいるなんて…」


『アナタ…誰から依頼を受けてるの?』
『は?お前と同じ主サマに決まってんじゃん。』
『私は…違う。』
『違わねぇよ。現に俺の依頼条件には、早雨を踏み台にして目的を達成することも含まれてるわけだし。』


「踏み台……。」

私の依頼人は…誰?
土方副長じゃないの?

もし違って、
彼の依頼人と同じだとすると、


『来月分の任務予定表と計画書を手に入れろ。』


私の依頼も、何かしらの犯罪に関係してるってこと?

「そ、んな…っ、私っ…!」

人手不足だから入隊してほしいと言われ、
隊士生活するだけでいいと言われた仕事が、

知らぬ間に犯罪に加担していて、
真選組に害を与えるための駒、だったと…?

「…っ!」

情けない。
何でも屋としても、人としても。

あまり依頼人を知らなさすぎた。
真選組の名と報酬額で、勝手に幹部の人だと思い込んだ。

「情けない…っ。」

自分が、情けない。

どうすれば償える?
この半年間を。
半年間で得た、信頼を。

「土方…副長…、…。」

おそらく私を助けに来てくれた土方副長達は、隊士との話を聞いていた。
だとするなら、あの隊士と同じ依頼人の下にいる私は、真選組の害であると判断するはず。

間違いではない。
間違いではない…けれど、

「どうすれば…っ、」

できることなら私は、
真選組に嫌われたくなかった。

――コンコン

『紅涙、まだ中に居やすか?』
「!!」

沖田隊長の声に、身体が震える。

『おーい、紅涙ー。』
「っ、」

罪を問いただす準備を済ませ、
私が逃げていないか、確認に来たのかもしれない。

ちゃんと…ちゃんと対応しないと。
せめてこれ以上、真選組を裏切らないように。

「は、はい…います。」

揺れる声で扉の向こうへ返事する。
すると沖田隊長は、

『ならいいんでさァ。』

それだけを言って、足音と共に遠ざかった。

「…え?」

どこに…

「あっあの!」

浴場の扉を開け、沖田隊長を呼び止める。

「なんでさァ。あ…残念。」
「残念…?」
「何でもありやせん。で?用は。」
「あ、いえ…用というか、沖田隊長は私を…迎えに来たんじゃないんですか?」
「違いやすぜ。ちょっとばかり遅いんで、ぶっ倒れてんじゃねーかと思って。」

それって…心配で見に来てくれたってこと?

「あんな状況の後ですからねィ、ゆっくりしなせェ。」
「……、」

優しい。

「……ごめんなさい、」

優しいな。

「紅涙?」
「ごめんなさい…沖田隊長。」

謝って済むことではない。
私は真選組に、とんでもないことをしていたかもしれないんだから。

松平長官に言われた時に辞めておけば、
今日の件だって起こらなかったかもしれないのに…。

「私が…甘くて…、っバカだったから…っ…」
「…紅涙、」

唇を噛み、うつむく。
視界の端に、沖田隊長のつま先が見えた。

「自分のことをバカなんて言うもんじゃありやせんぜ。」
「でもっ、私のせいで…皆さんにご迷惑を…ッ…」
「それはどんな迷惑を?」
「っ、わかり…ません。けど…ッきっと、取り返しのつかないことに…なってしまうっ」
「だったら、紅涙も道連れにするだけでさァ。」
「…え?」

顔を上げる。
沖田隊長はニッコリと笑った。

「安心しなせェ。良くも悪くも、簡単に解放なんてしやせんよ。」
“それだけ、紅涙は深く食い込んじまってやすから”

食い込む…?

「何に…ですか?」
「俺…、達に。」

沖田隊長は私の頭にポンと触れた。

「迷惑上等。いくらでも掛けなせェ。受けてやる。」

「その代わり」と私の頭をポンポン叩く。

「貸した借りは、3倍返しで頼みやすぜ。」
「沖田隊長…、」
「当然の権利でさァ。」

フフンと鼻を鳴らす姿に、胸が詰まった。

どうして、こんなに優しいんだろう。
どうして私は、
こんなに優しい人を裏切ってしまったんだろう…。

「紅涙?」
「……、」

私はこの半年で、
真選組にどれだけの傷をつけているのだろう。

「惚れやしたか?」
「…え?」
「俺も罪な男でさァ。純粋に慰めてるだけなのに、見惚れさせちまうなんて。」
「い、いえ…そういうわけじゃなくて…」

沖田隊長は「照れんなよ」と鼻で笑った。
そこへ、ドタドタと複数の足音が近付いてくる。

「総悟!」

土方副長と斉藤隊長が、血相を変えて走って来た。

「何事でさァ。日頃から廊下を走るなって言ってんのは土方さんだってのに。」
「それどころじゃねェんだよ!野郎がっ…、…。」

不意に土方副長と視線が絡む。
言葉を途切れさせた顔は険しく、私に向かって眉を寄せた。

「もう…風呂から上がってたのか。」
「…はい。」
「…なら、丁度いい。早雨も来い。」

土方副長がくるりと背を向けて歩き出す。
斉藤隊長は静かにその後を追った。

「なんでィありゃ。」
「何か…あったんでしょうか。」
「さぁねィ。ま、ここでジッとしてても分かんねェのは確かでさァ。」

沖田隊長は肩をすくめ、私を見た。

「行きやしょう。」
「…、…はい。」

足を踏み出す。
廊下の音が小さく軋んだ。

それがどこか遠くに聞こえて、
一生、どこにも辿り着かなければいいのに…
そんな子供じみたことを、私は思っていた。


そして、
斉藤隊長の背を追って導かれた部屋は、

「入りなさい。」
「近藤…局長……、」

局長室だった。

「…失礼します。」

近藤局長の声音が深刻さを匂わせる。
その隣では、眉間にシワを寄せた土方副長が煙草をふかしていた。

「ケホッ。いつもに増して、煙てェですぜ。」

部屋には煙が充満している。

「吸う気がねェんなら消してくだせェ。」
「…うるせェ、早く座れ。」

土方副長は灰皿に煙草を押し付け、火を消した。

「終、部屋の外で警戒しろ。」
「……。」

斉藤隊長が部屋を出る。

「…一体何事でさァ。もうこんなことをする必要はなくなったんじゃねェんですかィ?」
「そのはずだった。…が、違ったみてェだ。」

土方副長の厳しい視線が私を捉える。

「早雨。お前、仲間は何人いる?」
「え…、」

私の…仲間?

「仰ってる意味が…わかりません。」
「本当に分かんねェのか?」
「……、」

口をつぐむ。
たぶん、土方副長の言う『仲間』とは、
あの隊士のように、依頼を受けて入隊した者のことだ。

でも、彼は私の仲間じゃない。
仲間なんて、いない。

けれど、ここで否定しても…保身していると思われるかもしれない。
そうなると、この先で私が話すこともちゃんと伝わらなくなって…

――カタンッ

僅かに障子が開いた。
部屋を出たばかりの斉藤隊長が顔を出す。

「……。」
「なんだ、終。」
「……。」

斉藤隊長は部屋を覗くだけで動かない。
ただじっと見続ける。

近藤局長か土方副長のどちらかを。

「お、おいトシ。終はどうしたんだ、何かあったんじゃないのか?」
「…いや、文句言いてェだけだろ。」
「文句?」

土方副長は一度溜め息を吐き、斉藤隊長を見た。

「心配すんな、終。聞くだけだ。」
「……、」
「言っただろ。俺達もお前と同じ気持ちでいる。信じられねェのか?」
「……。」

斉藤隊長が静かに障子を閉める。
それを見て、土方副長は小さく笑った。

「お前も懐かれたもんだな、早雨。」
「え…?」
「終が、お前をイジめるなってよ。アイツのあんな態度は初めてだ。」
「…?」

話が見えず、首を傾げる。
すると隣に座る沖田隊長が、欠伸を声に出して退屈そうに目を細めた。

「こんな話をするために、廊下を走ってきたんですかィ?」
「ンなわけねェだろ。」
「だったら、早く本題に入ってくだせェ。そうじゃねェと、紅涙も気が休まらねェや。」

確かに…それはある。
ここへ連れて来られたのは、私の処遇を言い渡すためでもあるはずだから。

「一体何があって呼びに来たんでさァ。」
「……例の隊士の件だ。早雨に襲い掛かった奴。」

ぴくりと身体が反応する。

「終はアイツを蔵に拘束していた。だが、さっき近藤さんと見に行ったら…」
「何者かに、殺害されていたんだ。」
「「!!」」

あの隊士が…殺された?

「斬り傷は、終が止めに入った時の一振りのみ。だが俺達の怪我は致命的なもんじゃなかった。」
「なら、その時の失血死じゃねーんですかィ?」
「いや…止血は終が済ませていた。おそらく、終の付けた傷を上書きするように斬っている。」
「そりゃさすがに無理な話でさァ。」

沖田隊長が鼻で笑う。

「全く同じ傷痕を辿るなんて、たとえ一度斬った終兄さんでも不可能な話ですぜ。」
「俺達もそう思った。傷痕を確認しながらでもねェと無理だ。そんな状況、ありえねェけどな。」
「だが他にないんだよ、致命傷が。」

近藤局長が眉間を押さえた。

「今のところ、犯人の見当がつかない。アイツが儲け話を持ち掛けたという奴らは広間に集まらせただろう?俺はそこにいたんだが…」
「抜け出した奴はいなかったんですかィ?」
「ああ…。そうなると…」
「他にも息の掛かってる奴がいるっつーことになる。」

それって…

「早雨、知らないか。」

土方副長が私を見る。
その眼は、真っ直ぐに私を突き刺した。

「っ…、」
「お前は何か知ってるんじゃないのか。」
「…私、は…、」

私は、知らない。

「私は…、…何も……、」

息が詰まる。
頭が白くなる。
何をどう話せばいいのか分からなくなる。

真実ですら嘘になりそうで、こわい。

「わ、たし…、…っ、」
「先に外部からの可能性を疑いやしたか?」

沖田隊長が声を上げた。
おかげで、土方副長の視線がそれる。

「一時的に隊士以外の者が潜入して口封じした、ってことは考えないんですかィ?」
「考えた。可能性としてゼロじゃねェ。手薄でないにしろ、厳重に警戒していたわけじゃねェしな。」
「だがそう考え出すとキリがないだろう?だから俺達は、まず潰せるところから潰していくことを選んだんだ。」

潰せる…ところ。

「早雨君、俺達はキミの口から聞きたい。」
「……、」
「知らないか?他に、彼のような存在がいないか。」

近藤さんの、穏やかで強い眼差しを受ける。
私は自分の手を握り締め、

「…知りません。」

真実を口にした。

信じてくれないかもしれない。
それでも、他に言いようがない。

「…私は、」

情けなくも、

「彼のことも…彼の言っていたことも、わかりません。」

私は、何も知らない。

「ごめんなさい…。」
「…そうか。」

近藤さんが細く息を吐く。
土方副長は、静かに頷いた。

「近藤さん、進めよう。」
「そうだな。…残念だが、早雨君。」

ああ…
やっぱり、


「三番隊は、本日をもって解散とする。」


私の言葉は、届かない。


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