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真選組局長


私達を残して西へ向かった真選組は、
宣言通りに近藤局長と土方副長、そして沖田隊長と共に戻ってきた。

しかし、三人の怪我は驚くほど酷く。
極秘任務が如何に苛烈なものだったかを容易に想像させた。

任務内容を詳しく聞けば、今回の目的は『将軍を京へ逃がすこと』だったらしい。
皆が戻ってきた時、
目的を達成できたと満足げに話していた、のに。

その日の夜。
将軍は、逃げた先の京で……毒殺された。



「じゃあ、俺達は行ってくるから。」

土方副長が近藤局長に告げる。
先程まで広間に集まっていた隊士も移動を始めた。
いつもならガヤガヤと出ていくのに、今日ばかりは静かで。
畳の上で擦れる、多くの足音だけが響いていた。

これから真選組全隊士で出発するのは、茂々様の国葬。
そこでの警護を仰せつかっている。

「気を付けてな。」
「…ああ。」

近藤局長は行かない。
理由は、『顔を出す資格がない』という、近藤局長の意思だ。
護らなければいけない人を、護れなかったから――と。

「紅涙、」
「っは、はい。」

沖田隊長の声にハッとする。

「何ボーっとしてんでさァ。行きやすぜ。」
「私は…、……、」

言葉に詰まる。

他の隊士と同じように集合したものの、
同じように行動していいのかは分からない。

私の立場は、いまだ微妙なままだから。

「早雨君、」

呼ばれた声に顔を上げる。
すると、近藤局長が優しく頷き、

「キミも、コイツらと行ってくれるか?」

そう言った。

「留守を任せた上、国葬の警護まで頼むのは忍びないが…」
「い、いえ。私は構いませんけど。」
「そうか。助かるよ。」
「待ってくれ。」

土方副長の声が割り込む。

「早雨は屯所に残していく。」
「えっ…、」
「なぜだトシ。」
「アンタを頼むためだよ。」
「俺?」

小首を傾げ、自分を指さした。

「俺が何?」
「近藤さん、アンタ今から何するつもりだ。」
「な、何って…、何も?」

怪訝な顔つきを見て、近藤局長がたじろぐ。
すると、土方副長は肩を揺らして溜め息を吐いた。

「とぼけてんじゃねェよ、そんな格好して。」

アゴで差す。

「それ、その稽古着。今から身体、動かす気だろ。」

確かに、
近藤局長の格好は隊服でも着流しでもなく、稽古着。

「近藤局長、なぜその格好を…?」
「いやぁ、何もしないというのはさすがにな。」
「ダメですよ、まだ安静にしていないと!傷が開きます!」
「大げさだなァ、早雨君は。たかが斬り傷、いつもと同じだから――」
「それでも治りが遅くなりますから!」
「し、しかしだなァ……、」

困り顔の近藤局長に詰め寄れば、傍で土方副長が小さく笑う。

「まァそういうことだ。早雨、あとは頼んだぞ。」
「わかりました。」
「いや、トシ達と行ってくれて――」
「行きません。」
「うぐっ…、」
「くく。行くぞ、総悟。」
「ちぇっ。つまんねェの。」
「アホ。」

ゴンッと土方副長が沖田隊長の頭を殴る。

「将軍様の葬式に、面白いもツマらないもねェよ。不謹慎なこと言うな。」
「うわー上司に暴力振られたー。茂々様〜、どうかこの野郎に天罰をー。」
「だからそういうことを言うなっつってんだ!」

二人のやり合いを見ながら、近藤局長が笑う。
それはいつもの光景のようで、どこかがいつもと違った。

顔も、声も、
曇りガラスを挟んだような暗さがある。

たぶん、茂々様の死を心から悲しんでいるから。
この人達だけに限らず、他の隊士、江戸の民…
数えきれない人達が、茂々様を思い、偲んでいる。

現将軍、徳川喜々を除いては。

「トシ、総悟、葬式と言えど気を抜くなよ。もしかするとまだ何か企んでいるやもしれん。」
「ああ。わかってる。」
「そんな輩がいたら、俺が斬って晒し首にしてやりまさァよ。」
「ははっ、そうか。」

近藤局長は軽く笑い、「わかっていればいい」と静かに目を伏せた。

「お前らがいれば、江戸の街も心配ないな。」
「…なんだよ、急に。」
「いや。くれぐれも、あまり無茶はするなよ。」
「ああ……、…。」

土方副長が不思議そうな顔で頷く。
私も、少し違和感を覚えていた。

近藤局長の様子が、何か違う。
茂々様のことがあって心配性になっているのか、他に思うところがあるのか。

もしくは、本当は違いなんて全くなく、
ただ単に私が気にし過ぎているせいなのかもしれないけど。

「それじゃァな。」

土方副長がひらりと手を上げる。
沖田隊長と共に広間を出ていくその背中に、

「頼んだぞ。」

近藤局長は小さな声で呟いた。
それはおそらく私にしか聞こえない。

隣を見上げると、

「……、」

どこか、寂しげな眼を見た。

「…近藤局長、」
「ん?どうした。」
「何か…あったんですか?」
「…いや?何もないよ。」

やんわりと微笑む。
その笑みにすら、胸がザワついた。

「私に出来ること…ありませんか?」
「え?」
「あ、いえその……、皆が戻ってくるまで、やることもないので。」
「ああ、んー…そうだな、」

近藤局長がアゴに手を当てて思案する。

「だったら、酒を頼もうかな。」
「お酒?」
「ああ。まだ明るくて罰が当たりそうだが――」

広間の外へ目を向ける。

「茂々様と、少し飲みたい気分なんだ。」



私はお盆に徳利とお猪口を2つ用意し、局長室へ向かった。

「失礼します。」

障子を開ける。
しかしそこに部屋の主はいなかった。

「どこに行ったんだろ…。」

首を捻ると、遠くから声が聞こえてくる。

『えいぃ!』
『おおぉ!』

この声の出し方は…

「まさか稽古場!?」

こぼさないように、出来るだけの急ぎ足で稽古場へ向かう。

中を覗けば、
案の定、近藤局長が竹刀を振っていた。

「近藤局長!動いちゃダメじゃないですか!」

私の声に振り返る。
その額には、薄らと汗が浮かんでいた。

「傷口は開いてませんか!?」
「ははは。本当に大げさだな、早雨君。」
“開いてないよ、傷”

胸元の稽古着を少し捲る。
血が滲んでいることもなく、特に問題はなさそうだった。

「はぁ…よかった。」

縁側にお盆を置く。

「ちゃんと安静にしててくださいよ?あとで土方副長に怒られちゃいます。」
「そうだな。」

近藤局長は柔らかに目を細め、


「早雨君は、トシをどう思ってるんだい?」


ごく自然に、そう聞いた。

「ど、どうと…いうのは……?」
「そのままだよ。キミの眼に、トシはどう映ってるのか。」
「わ…たしは……、…、」

なんて答えればいいんだろう。
これは私個人の感情の話?
それとも、隊士として見た時は…みたいなことなのかな。

「え、えっと……、とても」
「うん。」
「とても……、…優しい方だと思います。」
「…優しい、ねェ。」

ふむと頷く。

「トシがどう優しいと?」
「それは…、…その、」

近藤局長が、私からどんな言葉を聞きたいのか分からないけど…

「私が立ち止まりそうな時…、何度も、支えていただいたんです。」

それだけは、間違いない。

「他の隊士のことで悩んでいた時も、師…、他の人のことで落ち込んでいた時も、話を聞いてくれて…」
「トシが?」
「はい。決して深くは聞かず、それでも寄り添ってくれる…そんな支えに、数えきれないくらい助けられました。」
「ほう…、」
「でも、それも全て……私が、純粋に隊士を志す者だと思っていたからだと思いますが。」

言い終えて、私は慌てて「近藤局長もです!」と付け加えた。

「俺がどうしたの?」
「近藤局長にも、勇気づけていただきました。松平長官の時は、どれだけ励みになったか――」
「くく、」
「?」
「ああいや、すまない。」

近藤局長が笑いを呑み込む。

「キミは立派な真選組隊士だよ。」
「え…」
「確かに、ここへ入隊したキッカケは他の隊士とは違うだろう。だがそんなこと、今となっては関係ない。」

竹刀をゆっくりと上げる。

「今見ている先が皆と同じなら、俺は始まりなんて何だっていいと思うよ。」
“少なからず、キミの心は真っすぐ、俺と同じだ”

近藤局長…、

「早雨君にはぜひ、これからもここで真選組を支えてほしい。」
「…いいんですか?」
「ああ。この組織にはキミが必要だ。特に、トシみたいな奴には。」
「土方副長…?」

どうして…?

近藤局長は、「こういう言い方をすると怒りそうだが」と苦笑した。

「俺がいなくなった時、トシは孤独になるんじゃないかと思うんだ。」
「そんなことは…、…第一、近藤局長がいなくなるって…」
「仮の話だよ。まァ俺に限らず、寿命なんていつ終わるか分からないから。」
「それは…そうですけど。」

極論すぎて、頭が混乱する。
心のどこかで、この組織はずっと続いて行くと思っていた。

「トシはあまり本心を口にしないだろ?どちらかと言えば、誰かの立てた道標の軌道修正をする役目が多い。」
「そう…ですね。」
「そういう奴が、軸となるものを失った時、どうなると思う?俺はそれが心配なんだ。」
「つまり…?」

いつかは来るけど、それはいつかで。
今考えることじゃないと、思っていたから。

「そういう時、キミが支えてやってくれないか?」
「支え…」
「ああ。キミは真選組の隊士であり、他の隊士とは違う。他の奴らに見せられない部分も、キミになら見せられると思うんだ。」

近藤局長の言葉が、
整頓できないままの私の頭に降り積もっていく。

そのせいか、

「だから、早雨君。」

私の肩をポンと叩く近藤さんの言葉は、


「トシを…、…ここを、これからも、頼んだよ。」


今生の別れを、言い渡されたような気分になった。

「…や、めてください。」
「早雨君?」
「そういう言い方…しないでくださいよ。」

これじゃあまるで、

「もう、いなくなっちゃうみたいじゃないですか…っ、」

遺言だ。

「はは。大丈夫だよ、そう簡単にはやられない。」

竹刀を両手で握り、ゆっくりと振りかぶる。

「ちゃんと護るよ。俺が、この手で――」

ブンと振り下ろす。


「この命で、真選組を…最後まで護ってみせる。」


喉がつまる。
仮の話で泣くわけにはいかないのに、
どうしても悲しくて、涙がすぐそこまで来ていた。

近藤局長は力強く竹刀を振り下ろす。
そこへ、


「太刀筋に迷いが見える。」


聞き覚えのある声が、屯所に響いた。

「え…、」
「よう。紅涙。」
「師、匠…、…?」

久しぶりに見るその姿は、

「その怪我…っ、どうしたんですか!?」

松葉杖に支えられ、頭に包帯を巻いていた。


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