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壊滅


「その怪我…っ、どうしたんですか!?」

松葉杖をつき、包帯を巻いた痛々しい師匠の姿に、目を丸くする。

まるで西から戻ってきた三人と同じ…
いや、それ以上だ。

「どうしたってお前、コイツらから聞いてねェの?」
「は、はい…師匠のことは何も。」
「おいゴリラ!テメェ俺の功績をちゃんと話しとけよ!」
「すまないな、万事屋。こっちも色々バタついてたんだ。」

近藤局長が頭を掻く。

師匠も真選組の任務に同行してたってこと?
仲が悪いっていうのは、嘘だったのかな…。

でも…

「お久しぶりです…、師匠。」

普通に、再会できてよかった。
少なくとも、今は。

「だーかーら、その呼び方はやめろっつってんだろ。」
「万事屋が早雨君の師匠?それは初耳だな。」
「ほら見ろ。テメェの組織は俺と関わったら煩ェんだから。」
“せっかく俺が気ィ遣ってやってんのによォ”

気を遣って…?
そう、だったんだ。
ただ『師匠』と呼ばれるのが嫌いなんだと思ってた…。

「で?」

師匠が小首を傾げる。

「一体何の用だ。」

…え?
近藤局長が…師匠を呼んだの?

「他の連中はどうした。」
「さあな。葬式にでも出てんだろ。」

背を向け、近藤局長が答える。
なぜ知らないふりをしたのかは分からない。

近藤局長は「だが丁度いい人払いになった」と竹刀を置いた。

「あの時のテメェらへの報酬、まだだったろ。」

縁側の方へ歩く。

「まァアレだ。」

ゆっくり腰を下ろし、

「こんな時じゃなけりゃ……」

私の持って来た徳利を師匠に見せた。

「伝説の攘夷志士と真選組局長がサシで飲む機会なんざねェだろ。」

え、今…何て…

「一杯つき合えよ、白夜叉。」

白夜叉…?
師匠が、あの白夜叉!?

「目が死んでるのに…」
「おいソコ!聞こえたぞ、今の呟き。」
「こ、心の中で言ったはずなんですけど。」
「ダダ漏れだっつーの。」
「くくっ、仲が良いんだな。二人は。」

近藤局長が可笑しそうに口元に手をやる。

「だがまァ思い返せば少し分かる気がするよ。」
「何が。」
「早雨君の師匠が万事屋だってこと。」
「あァ!?そりゃどういう意味だよ!俺がこんな奴と似てるってのか!?」

師匠が松葉杖で私を差す。

「そっ、そんな言い方しなくてもいいじゃないですか!私だって師匠に似てませんよ!目とか死んでないし!」
「そもそも俺の目は死んでねェよ!」
「はははっ、これはトシがやきもちを焼くはずだ。」

…え?

「土方副長が何にやきもちを焼いてるんですか?」
「それは――」
「おい近藤。当事者がいねェとこで野暮な話をすんじゃねェ。」
「だな。」

何だろ…。
二人は分かってるみたいだけど。

「ところで早雨君。猪口をもう1盃、頼めるか?」
「あっ、はい。すぐに。」
「なんだ、隊士ぶってるわりには女中の仕事してんじゃねーかよ。」
「今だけです!」

師匠の小言を背中に聞きながら、私は食堂へ駆ける。

言われた猪口を1盃と、
もしかしたら足りないかもしれないと思い、酒の入った徳利も1本持って行った。

戻ると二人は庭の方を見ながら少し話し込んでいて。
私は静かに酒を置くと、彼らから見えない場所で待機した。

話は、僅かに聞こえる。

近藤局長は、
これまで多くを護り、歩み続けた意味はあったのかと漏らし、

師匠は、
意味などないし、護る価値もないと口にした。
あるのは、くだらない戦いが必要としない未来を築こうとする魂だけだと。

そしてそれは、

「まだ、死んじゃいねェ。その思いをつなぐ者がある限り。」

これで終わりではないと、口にした。

初めて師匠の真剣な姿を見たかもしれない。
なんだか、同じ声の別人がいるような気になった。

それくらい、私の中の師匠のイメージは違う。

「ちょっと尊敬したかも…。」

ぽつりと呟いた自分の口を、慌てて手で塞ぐ。
耳を澄ませば、稽古場はシンとしていた。

「…?」

いなくなったのかと思うほどの静けさに、そっと様子を窺う。
すると、近藤局長が立ち上がり、猪口に入った酒を庭に巻いた。

「ならば俺達には、葬式も別れの言葉もいらねェな。」
「交わすのは、この盃だけで充分だ。」

二人の手がクイッと動く。
近藤局長の肩が揺れた。

「万事屋、」

ほんの少し、師匠の方へ顔を向ける。

「お前が、俺と同じ思いで良かった。たとえ何者の屍を越えようとも、護らねばならんものがある。」

近藤局長は再び前へ向き直る。
その先に、人影が見えた。

「トシ達に伝えておいてくれ。」

一人や二人じゃない。
十人以上の…“白い”人影が近づいて来る。

嫌な予感がした。

「バカなマネはするなと。」

騒がしい心臓を押さえる。

「江戸にはまだ、お前たちが必要なんだとな。」

近藤局長が足を進めた。
その白い人影に…見廻組に向かって、


「確かに…つなげたぜ。」


歩いて行った。

「っ!待ってください!!」

私は声の限りで叫び、
靴下のまま縁側を駆け下り、見廻組の前に飛び出した。

そこにはいつかに挨拶した、見廻組副長の信女さんもいる。

「近藤局長をどうするつもりですか!?」

彼女は私の方をちらりとも見ず、無表情のまま近藤局長に手錠をかけた。

「っ、信女さん!」
「私は罪状に従って行動しているだけ。」
「罪状って…」
「松平片栗虎、ならびに真選組局長 近藤勲は斬首。真選組は、本日をもって解散とする。」
「!!」

な、にを…
何を言ってるの…?

「どうして…どうして、そんな話に…っ」
「彼らの行いが、茂々様の暗殺と関わっているから。」
「それを阻止するために動いていたのが真選組ですよ!?結果は求められたものと違っても、罪に問うのは間違って――」
「任務は結果が全てよ。企てていた者を止められなかった責任は、真選組にある。」
「そんなっ…」

信女さんは淡々としていて、
師匠が話しても、状況は変わらなかった。
それどころか、
『隊士全員を追い払い、アナタだけをここへ呼んだ意味を考えろ』と言われ、

「……、」

師匠は、一歩たりとも動けなくなった。
それは私も同じ。

『真選組の隊士が乱闘騒ぎでも起こせば、国賊として潰される』

信女さんのその一言が、私を縛った。
いっそ、私があやふやな存在のままなら引き留めることが出来たかもしれないけど、

『キミにはぜひ、これからもここで真選組を支えてほしい』

近藤局長が、そう願ったから。
私は、

「っ…、」

何も、出来なかった。
ただ近藤局長の背中を、
見廻組に連行される背中を、黙って見届けることしか出来なくて…

悔しくて、
悲しくて…

「っぅ、」

涙が込み上げた。
そんな私の顔を、信女さんが不思議そうに見る。

「なぜアナタが泣くの?」
「こんなのっ…納得いきません!」
「それは真選組の隊士が言うセリフ。アナタは違う。」
「!」

目を見開く。
信女さんは懐へ手を忍ばせた。

「っ紅涙!離れろ!!」

師匠が私の体を抱きすくめた。
背中を信女さんに向け、自分を盾にするように。

「し、しょう…、傷がっ…。」
「ンなことどうでもいい!」
「……、」

けれど、信女さんが懐から出したものは凶器でも何でもなく。

「アナタにこれを。」

茶色く分厚い封筒だった。
受け取って中身を確認すれば、札束が目に入る。

「これは…」
「アナタへの報酬。」
「っ!」

私の…報酬?
それは…、それはつまり……

「アナタに届けるようにと預かってきた。あと――」

さらに信女さんはポケットへ手を差し入れる。
やや師匠が身構えたものの、彼女の手に握られていたものは携帯電話だった。

「このメールを見せるようにも言われた。」

私に画面を向ける。
そこには、


『キミは良くやってくれたから、うちの仲間に入ってもいいお☆』


メールの一文と、
宛名の『異三郎』の文字が、目に焼き付いた。

「こ、れ……」
「アナタの依頼主、佐々木異三郎からの伝言。」
「っ!!」
「もう一人の男は欲深すぎて使いものにならなかったけど、アナタは違った。」
“異三郎も喜んでいたわ、『この先も駒にしたい』って”

視界が、両端から狭くなっていく。

「私…、私…っ、」

真選組から何かを盗み出したい依頼人だとは思っていた。
だけど、まさかそれが見廻組だったなんて…、
冷血に近藤局長を連れ去る、見廻組だったなんて…っ、

「私…、」

見廻組に雇われて真選組へ潜入して、
見廻組に真選組が壊される。

始まりは…私?

「私が…真選組をめちゃくちゃに…っ」

やり直したい。
どこからやり直せばいい?
どこまで巻き戻せば、この結果にならなかったんだろう。

私が依頼を受ける前?
私が“なんでも屋”をしようと思う前?
私が…

私さえいなければ……っ!

「それは違うわ。」
「…え?」

信女さんの声に顔を上げる。

「アナタが真選組を壊したわけじゃない。アナタにそこまでの価値はない。」
「っ、」
「これは成るべくしてなった結果。アナタがここに居ても居なくても、いずれ真選組は潰れていた。」
“だからアナタが余計な罪悪感を抱える必要はない”

機械のように話し、信女さんは背を向けた。
彼女の態度から、掛けられた言葉が慰めではなく、真実なのだと分かった。

信女さんが歩き出すと、周りの見廻組隊士も付き従う。

「ま、待ってください!私、こんなお金――」
「紅涙。」

駆け出そうとした私を、師匠が引き留めた。

「この状況で金を返すとややこしくなる。やめとけ。」
「でもこんなお金、受け取れません!お金なんていいから近藤局長をっ」
「だから落ち着けって言ってんだろ。」

ガッと両肩を掴まれる。

「よく聞け。」

目と目を合わせ、
今まで向けられたことのない真剣な眼差しを受ける。

「金は金だ。お前は気持ち悪く思うだろうが、持ってても死ぬわけじゃねェ。」
「だから受け取れって言うんですか!?私はこんなつもりで仕事を受けたわけじゃないんです!」
「わかってる。」
「こんなことになるなんて知ってたら…っ、引き受けたり、っ、しなかったのに…っ」
「ああ、わかってるよ。お前のことは、わかってるから。」

そっと、師匠が私を抱き締める。
背中をポンポンと叩きながら、「今だけ我慢すればいい」と言った。

「返すタイミングを見計らうだけだ。それこそ、佐々木を殴り飛ばす時にでも返しゃいい。」
「っ、師匠…っ、」
「お前は悪くねェよ。」
「ぅっ…っ、」

師匠の背中に手を回し、ギュッと抱き締める。
すると小さくうめく声が聞こえて、慌てて手を放した。

「ご、ごめんなさい!怪我が…」
「別にいい。でもまァ、とりあえず万事屋にでも行くか。」
“ここでアイツらを待つのも気分悪ィだろ”

辺りを見渡す。
屯所は既に、見廻組が取り囲んでいた。
このあと封鎖するためか、険しい顔をした隊士の手に黄色いテープが握られている。

「…皆には…、どう話せばいいんでしょうか…。」

国葬から帰ってきた隊士に…
土方副長に。

「……そのままを話すしかねェだろうな。」

心が重い。
足が重い。
引きずるように、師匠と共に屯所の門へ向かう。

そこへ、
ワーッと大きな声が聞こえてきた。
見れば、真選組の隊士が見廻組の隊士と取っ組み合っている。

「戻ってきたんだ…、」

しかし私の予想に反して、
彼らは今、何が起こっているのかを知っていた。

だって、

「……、」
「……、」

土方隊長と沖田隊長の顔が、全てを物語っていたから。


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