28


真選組副長


屯所前は、真選組と見廻組がもみ合いになっていた。
しかしその中心に立つ二人は、時が止まったように立ち尽くしている。

「土方副長…、沖田隊長…、」

私は屯所から出ようとしていた足を止めた。
二人と目が合う。

「……、」
「……。」

混乱と驚愕。
その目を見て、詳細までは知らないことを悟った。

なら、私がちゃんと話さないと――。

拳を握る。
すると、私の横を師匠が通り過ぎた。
松葉杖をつき、頭に包帯を巻いて、先に門を出る。

ただ黙って、静かに。

なのに、周りに張り詰める空気は何かが違い、
真選組の隊士も見廻組の隊士も、みんな手を止めた。

コツコツ…

松葉杖の音は、土方副長と沖田隊長の前で止まる。
そして、


「すまねェ。」


たった一言、その言葉で知らせた。
近藤局長に、重い刑罰が科せられたことを。

「…お前らに、伝言を預かってる。どっか話せる場所あるか。」
「……ああ。」

土方副長が答える。
歩き出すと、他の隊士も一緒に動き始めた。

住み慣れた屯所に、背を向けて。


そうして辿り着いた先は、少し離れた場所にある建物だった。

以前のような門や玄関はなく、
かつて寺子屋として使われていたような雰囲気の残る手狭さ。
それは本当に一時的な場所で、否が応でも、真選組のこれからを不安に思わせた。

けれど隊士は、誰一人として絶望していない。

「ふざけんじゃねェ!局長が一体何やったってんだ!」
「喜々の奴、将軍暗殺の責任を全てなすりつけるつもりか?」
「乗り込もう!!喜々の所へ!!どうせ真選組も潰される!!仕える主君ももういない!!」
「だったらこの命、俺達の大将を救うために使おう!!」

現状に納得できるわけもなく、声を荒げて前を見る。

私も同じだ。
近藤局長は悪くない。
悪くない人を斬首にする幕府が許せない。

きっと、ここにいる全員が同じ気持ちで立って――


「それでも…生きろと言ったんだろう。」


…え?

入り口のところに立つ土方副長が、静かに口にした。
後ろの石段には、腰を掛ける師匠の背中が見える。

「たとえ真選組が組織として消えても、たとえ閑職に追いこまれ、散り散りになっても、」

低く、感情のない声で、

「それぞれが真選組として自分のやれる事をやれと、近藤さんはそう言ったんだろ。」

私達に、反対する。

正直、驚いた。
理不尽な罪で、大切な人を失いかけているのに、
こうなったからには現状を受け入れるしかないと言ってるようにも見えて。

表情は過去にないほど暗いのに、
なぜ取り返すことを欠片も言わず、諦めてしまうんだろう。

沖田隊長も、土方副長に詰め寄った。

「俺は…そんなの御免だ。将軍も守れず、てめーらの大将まで護れねェなら、」

グッと、強い眼差しを向ける。

「そいつはもう侍じゃねェ。ただの腰抜けだ。」

今おそらく、全員の心は一つ。

だから、行けばいい。
真選組は、あの人がいてこそ真選組じゃないか。
これまでだって、色んなものを諦めず護ってきたんだから、きっと大丈夫。

近藤局長を、皆で取り返しに――


「好きにしろ。」


……、

「それがお前達の思う真選組なら、俺は止めやしねェ。」

土方副長が私達に背を向ける。

「どっちが正しいのかなんて、俺にはもう解らねェよ。」

ポケットに手を入れ、石段を下りる。

「ただ、近藤さんを死なせたくねェ。その気持ちはお前達と同じだ。」

師匠の横を通り過ぎて、

「お前達を死なせたくねェ。その気持ちは、近藤さんと同じだ。」

石畳の上で、足を止めた。

「俺にはもう、お前達を縛る権限はねェ。鬼の副長も局中法度も、今はもうない。」
「それでもなお、お前達の魂を縛るものがあるならば、そいつがきっと…真選組にとって一番大切なもんなんだろう。」

土方副長の言葉は、静まり返ったこの場に溶ける。
風に揺れた葉音すら邪魔なほど、皆は土方副長の声に集中していた。

「そいつを信じて戦え。たとえそれがどんな道であろうとも――」

顔を半分だけ振り返らせ、

「お前達は、真選組だ。」

儚く弱く微笑み、歩いて行った。
その背中に、

「……、」
「……、」

誰も、何も言えなかった。
あれだけ背負った人の決断を見せられて、引き留める言葉なんて見当たらなかった。

規律、義、護るもの。
決断、後悔、失うもの。

『トシはあまり本心を口にしないだろ?どちらかと言えば、誰かの立てた道標の軌道修正をする役目が多い』

近藤局長の声が、頭の中に聞こえる。

『そういう奴が、軸となるものを失った時、どうなると思う?俺はそれが心配なんだ』

ああ…言ってた通りですね。
土方副長は堅く立派な城に見えて、本当は砂場の山のように不確かでした。

そしてたぶん、
その山を波がさらって削り落とそうとも、完全に崩れるまで山であろうとする。

誰も助けてくれなくても、
誰も、傍にいなくても。


『俺がいなくなった時、トシは孤独になるんじゃないかと思うんだ』


…私も、そう思います。

「土方副長!」

私の声にピクりと肩が動き、足を止めた。
周りの隊士は、何を言い出すのかと心配そうに様子を窺っている。

「…行かないでください、土方副長。」
「……。」
「真選組を置いて、…行かないで。」
「……、」

土方副長は振り返らない。
投げかけた私の声は高く大きな壁にぶつかり、

「……。」

意味もなく、地面に落ちた。
再び土方副長の足が動く。
ここから遠く、どこかへと。

「っ土方副長!」

私はその背中を追いかけた。
沖田隊長の横を通り、師匠の横を走り抜ける。

誰も私を引き留めなかった。
もう結果が分かっていたからかもしれない。
それでも、このまま土方副長を一人にしたくなかった。

近藤局長に頼まれたという責任感も少なからずある。
けれどそれ以上に、

私が、土方副長とこのまま別れたくなかった。



「待ってください!」

背を追いかけ、肩で息をする。
土方副長は溜め息を吐き、振り返った。

「お前もしつこい奴だな。」
「だって、何も話してくれなかったから…」
「…あれ以上、話すことがねェからだよ。その辺、察しろ。」

懐から煙草を取り出す。
火を点けると、嗅ぎ慣れた匂いが鼻を掠めた。

よかった…、話してくれるんだ。

「どうして、行かないんですか?」
「どこに。」
「近藤局長を取り返しにです。納得したわけじゃない…ですよね?」
「…当たり前だ。」
「だったら、皆で行きましょうよ!これは土方副長が一人で背負うことじゃないんです。皆で考えて…」
「何度も言わせんな。」

煙草に口をつけ、ふぅと吐き出す。

「俺は…誰も死なせたくねェんだ。」

まるで未来でも見ているように、遠い目をした。

「真選組を忘れろとは言ってない。ただ、この状態で決起しても好転するとは思えねェんだよ。」
「そんなこと、やってみないと分かりません。」
「…随分と強気だな。良策でもあるのか。」
「……ありません。」
「ハッ。なんだそりゃ。」
「でも、立ち止まりたくないんです。少しでも早く近藤局長を助けないと――」
「無理だ。策もないのに動けば、それこそ刑の執行を速める。」
「だからこれからそれを皆で考えましょうって、呼び止めに来たんです。」
「…、…フンッ」

土方副長が鼻を鳴らす。
吐き捨てるような、呆れるような、そんな距離のある音だった。

「お前には分かんねェよ。身体の中の大事なもんを、ごっそり引きちぎられたみてェな感覚が。」

……、

「…そうですね。」

私は長い間、真選組に属していたわけじゃないし、
近藤局長が一番大切な存在…というわけでもない。

「土方副長と全く同じ感覚を分かるかと聞かれれば、分かりません。」
「だったら簡単に――」
「けど、」
「……。」
「けど、沖田隊長なら分かってるんじゃないんですか?」

土方副長の表情が険しくなる。
怯みそうになる心を、私は無理やりに抑え込んだ。

「沖田隊長は取り返しに行くと言ってます。」
「…アイツと俺は違うんだよ。」
「それは…そうですけど、……。」

口を閉ざすと、風が通り抜ける。
私と土方副長の、埋まらない隙間を表しているようで…

「私は…、」

嫌だった。

「私は…土方副長が近藤局長を大切に思うように、土方副長のことを…想ってます。」
「早雨…。」
「アナタを、失いたくない。」

一人にしたくない。

「お願いします、土方副長。真選組を離れないでください。」

みんなのために、私のために。
土方副長の、気付いていない自分自身のために。

「お願いします。」
「…お前、なんでそんな真選組にこだわるんだよ。」
「え…?」
「やりてェことがあるなら、各自ですればいい。胸の中で、真選組だと名乗っときゃいいじゃねェか。」
“わざわざ俺が率いてすることなんてねェだろ”

吸い忘れられた煙草の灰が地面に落ちる。
土方副長は懐から携帯灰皿を取り出し、それを揉み消した。

「近藤さんの望み通りにしてやることが…一番いいんだよ。」
「…皆は前を向こうとしてるのに?」
「……。」
「みんな同じ気持ちなら、みんなでやれるだけのことをしようって思いませんか?」
「……思わない。」
「土方副長…、」

もう、駄目なのかな…。

「ここで手を放したら…もう二度と、取り返せないかもしれないんですよ?」
“近藤局長も、真選組も、今まで築きあげてきたもの全部が”

本当に、引き留められないのかな。

「失うなんて…悲しすぎるじゃないですか。何のために真選組が歩んできたのか、誰にも分からなくなる。」

近藤局長にも示しがつかない。
頼んだよって、言われたのに。
真選組も、土方副長も、何もかもが心配した通りになったら…。

「だから、皆で動きましょう?真選組を終わらせるなら、その時は一緒だって、皆も――」
「いい加減にしろ!」
「っ!」
「そうやって、好き勝手に理想ばっか並べてんじゃねェ…っ!」

土方副長の声に、胸が苦しくなる。
大きな声が怖いとか、驚いたとかよりも、

つらくて悲しくて、歯がゆくても、
どうしようもないんだって、叫んでるみたいで…せつなかった。

「そもそもお前、隊士として残るかどうかっていう微妙な立場だろォが…。」
「そ、れは…」
「そんな奴がよくも偉そうに言えたもんだな。」
「っ…。土方副長、私は――」
「もういい。」

疲れた様子で溜め息を吐き、


「…消えろ。」


そう言われた。

「お前の声、聞きたくない。二度と俺の前に姿を現すな。」
「土方、副長…、」
「俺はもう副長じゃない。お前も、金輪際、真選組にしがみつくな。」

頭が、真っ白だった。

「お前は…、…もういらねェよ。」

頷くことも、息することも、忘れた。

「あと、俺は背負ってんじゃねェ。好きで抱えてんだ。」
“だから今さら、それを誰かと分け合うつもりなんてねェんだよ”

土方副長はアゴで私の後ろをさす。

「行け。」

…行きたくない。
拒まれても、行きたくない。

ここで言う通りにすれば、私は本当に――

「行けっつってんだろ!」
「っ…、…。」

本当に、二度と会えなくなる。

「…そうかよ。お前が行かないなら、俺が行く。」
「土方副長…っ、」
「じゃあな。」

背を向ける。
踏み出した土方副長の足が、ジャリッと音を鳴らした。

僅かに残る、煙草の香り。
先程よりも強く吹く風が、


「これからは…もっと普通に暮らせよ。」


そんな言葉を、私に届けた。


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