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記憶の言葉


皆の元へ戻るのは、気が進まなかった。

やっぱり私は土方副長を止められなかったし、
今、一言でも話すと、


『…消えろ』
『お前の声、聞きたくない。二度と俺の前に姿を現すな』


泣いてしまいそうで。

「…っ…、」

息が詰まり、吐き出せなかった。
ゆっくり吸い込めば、喉が震える。

「……はぁぁ、…。」

まさかあんな風に拒まれるなんて…思ってなかったな。

自惚れるわけじゃないけど、
どちらかと言えば、気に入られている方だと思っていた。

「まぁ…あれだけしつこいと…、嫌いにもなるかな…。」

土方副長は、これからどうするんだろう。
どこへ行ったんだろう。

私は…
私はこれから、どうするんだろう……。


「紅涙。」


声に振り返る。
そこには、師匠と沖田隊長、それに山崎さんが立っていた。

「あれ!?副長は…、」

山崎さんが辺りを見回す。
私は静かに首を振った。

「すみませんでした。私では、止められなくて…」
「行ってしまったんですか?」
「はい…、少し前に。」
「そうですか…。」

土方副長が立ち去った方へ目をやる。
誰もいない風景に、風が吹いた。
なんの香りもない、ただの風が。

「……、」

もう、会えない。
どんな形でも、私には…もう会ってくれない。

「っ……。」
「紅涙。」

沖田隊長が私の右肩を掴む。
ハッとして、慌てて笑顔をつくろった。

「な、んですか?」
「何言われた。」
「え…?」
「野郎に、何を言われたんでさァ。」

鋭く睨みつけるような眼差し。
私はそれを瞬きもせずに見つめたまま、口を動かした。

「…、…何も。」
「……。」
「何も…言われてませんよ。」

ダメだ、声が震える。

目を伏せると、鼻の奥が痛くなった。
視界が光る。

「…ごめんなさい、」

ごめんなさい、みんな。
ごめんなさい…土方副長。

「私…、…隊士に向いてないみたいです。」


『俺はもう副長じゃない。お前も、金輪際、真選組にしがみつくな」
『お前は…、…もういらねェよ』


「今まで…、っ、お世話になりました。」

小さく頭を下げる。
肩を掴んでいる沖田隊長の手が、グッと強くなった。

「勝手なこと言ってんじゃねェよ、紅涙。」
「沖田隊長…」
「半年も同じ釜の飯食ってきて、今さら向いてないだァ?ふざけんな。」

男なら、たぶん殴られてる。
それくらい、苛立ちが伝わった。

「野郎に何言われたのかは知らねェけど、こんな時に辞めさせるほど楽な組織じゃねェ。」
「……、」
「辞めてェなら、近藤さんのために出来ることを1つでもしてから辞めろ。」


『辞めたいなら、一度くらい雇ってくれたコイツらに恩を返してから辞めろ』


以前、松平長官に言われたことを思い出す。
言葉は回りまわって、また私の前へ現れた。

「…わかりました。」

私、何も変わってないんだな…。
あの時から…
いや、ここに入隊した時から。

「……最悪の気分でさァ。」

沖田隊長が呟く。
私の肩を放し、一人静かに歩き出した。

その姿に驚いた山崎さんが、慌てて声を掛ける。

「ちょ、どこに行くんですか!?」

沖田隊長は、ひらひらと後ろ手を振る。
何も答えず、彼もまた――いなくなった。

「え…うそ、副長がいなくなって…沖田隊長まで行っちゃったとか…、」

山崎さんが悲壮な顔を引きつらせる。

「コレほんとに解散しちゃう感じ!?」
“俺、行く場所ないんだけど!てか皆に何と言えば…”

涙目で頭を抱える。
私が声を掛けようとすれば、師匠に手を掴まれた。

「行くぞ。」
「えっ…どこに、」
「お前はしばらく万事屋にいろ。」
「そ、そういうわけにはいきません。私は近藤局長のために出来ることを探さなければ――」
「ンなもん万事屋でも考えられるだろうが。」
“そもそもお前、あんな広間で野郎と寝るつもりか?”

…言われれば、そうだけど。

「私は気にしませんから。」
「向こうが気にするんだよ。精神的に弱ってる奴ばっかだぞ?どんな展開になるか分かりやしねェ。」

師匠はブツブツと話し、私に左手を伸ばす。

「俺の松葉杖になれ。」
「い、いきなり何を…。松葉杖なら持ってるじゃないですか。」
「片方じゃ歩きにくいんだよ。ほら、早く。」
「……もう。」

渋々、師匠の腕を肩に回す。
遠慮なくズシッと体重が掛かった。

「じゃあな、山崎。」
「えェェ!?こっちのこと放ったらかしですか!?」
「テメェらの問題だろうが。どうにかしろ。」
「そんなァァ…。というか、早雨さんはウチの隊士ですよ!」

目を三角にして、「持ち出し禁止!」と叫ぶ。

「うるせェな。なら個室を用意しろ。それ次第で返してやる。」
「こ、個室…。」

悩む山崎さんに、師匠が「バカかお前」と溜め息を吐いた。

「何悩んでんだよ。お前らには他に考えなきゃなんねェことがあるだろ。」
「そりゃァ…そうですけど。」
「『けど』じゃねェ。コイツはコイツで考えさせるから、そっちも今出来ることをしろ。」
“沖田と土方は放っておいても腐る奴じゃねェから”

師匠の言葉に、山崎さんの顔がパッと明るくなる。

「そうですよね!俺達は、俺達に出来ることで局長を取り返します!」
「おう。策でも思いついたか?」
「いえ全く!」
「そうかよ…。無駄に元気良くなりやがって。」

「じゃあな」と師匠が歩き出す。
私も山崎さんに「明日行きますので」と頭を下げた。



その万事屋までの道すがら。

「で?土方はお前に何言ったんだ。」

師匠が、間延びした声で聞いてきた。
肩に腕を掛けているせいで、かなり顔が近い。

「…何も言われてませんよ。」
「嘘つけ。泣かされるくらいのこと言われたんだろ。」
「っ、泣いてません!」
「はい嘘2回目―。」
「うっ…、…でも、泣いてないのは本当です。…まだ。」

ボソッと言うと、師匠が笑う。

「素直でよろしい。」
「……誰にも言わないでくださいね。」
「言っとくけど、あの場にいた全員にバレてるから。」
「え!?ど、どうして…」
「お前、アレで隠せてたと思ってんの?」

そうだったのか…。

「けどまぁ、泣かされる内容が検討つかねェんだよ。」
“土方が真選組に戻ってこない程度の雰囲気じゃなかったし”

…するどい。

「何言われたんだ?」
「……。」
「俺はお前の師匠だぞ。言ってみ?」
「…こういう時だけ師匠ぶるんですね。」
「使えるもんは何でも使わねェとな。」

ニィッと笑う。
その悪どい笑顔に、なんだか張り詰めていた糸が緩んだ。

師匠には敵わないな…。

「私…、」
「うん。」
「…土方副長に、……『消えろ』って、言われました。」
「……はァ?消えろって…なんだそれ。」
「『二度と俺の前に姿を現すな』って、『これからは、普通に暮らせよ』って…言われました。」
「ああー…なるほどね。」

師匠が納得したように数回頷く。

「それでお前は傷ついた、と。」
「…はい。私が引き留めすぎたことは分かってるんです。でも、あの言い方が…」

『そんな奴がよくも偉そうに言えたもんだな』

「本当は、不純な動機で入隊した私をずっと許せてなかったんだって…感じて。」
「そりゃねーわ。」
「…え?」
「許すも何もない。アイツ、お前のこと――…褒めてたから。」
「そう…なんですか?」
「ああ。それに怒ってる相手にわざわざ、『これからは普通に暮らせよ』なんて言わねェよ。」

…そう、なのかな。

「そうなの。」

まるで心を読んだように師匠が答え、
私の肩に回している左手で鼻をつまんできた。

「いひゃい!」
「あんまウジウジしてるとチューするぞ。」
「へっ!?」

いきなり何言って…

「うん、コレいいルールだな。万事屋にいる間、ネガティブ思考禁止。」
「ちょっとこの状況ではさすがに…」
「せいぜいチューされないように動いて、うしろ向きな考えは忘れるこったな。とりあえず1回目のチュー…」
「っやめてください!」
「へぶ!!」

口を尖らせて近づいて来た師匠に平手打ちする。
見事に顔面で受けたその顔は、やや赤くなっていた。

「す、すみません。距離が近すぎて、力加減が分からず…」
「いや、いいけどさ。紅涙ちゃん、そういうとこ全力だよね。」
“力加減が分からないなら、弱めに攻めてほしかったんだけど”

ズルッと鼻をすすり、「まァとにかく」と言った。

「お前はお前の思うように動いてみろよ。近藤のために出来ると思うことは、なんだってしろ。」
「師匠…、」
「とんでもねェことになったら、その時は俺が何とかしてやるから。」


『何があっても、ある程度は俺がフォローしてやるよ』


「っ…、」
「なんだよ、俺の言葉に感動した?」
「違います、土方副長の言葉を思い出して…。」
「はァァ?ここで傷つけられた相手を思い出すか?ふつー。」
「傷つけられたんじゃなくて、私が勝手に傷ついたんです。ショックだったっていうか、悲しかったっていうか。」
「あーはいはい、今度は失恋女子モードなわけね。」
“つーか、早く面倒くせェ女ルートから抜けてくれる?”

……ああ、そっか。

「…、…師匠、」

だから…こんなに胸が痛いんだ。

「今度は何。」
「私…、…土方副長のことが好きです。」
「おまっ…それ俺に言う!?ていうか、今さらだろ。」
「…ですね。」

どうして、いなくなってから…
会えなくなってから、こういうことを言っちゃうんだろう。

「失恋かぁ…。」

でも、これで良かったのかな。
会っても、気まずいだけだし…。

「揃いも揃って面倒くせェ奴らだな。」
「え?」
「…紅涙さ、」
「はい、」
「お前って行動力があるようで、ないよな。」
「なっ…、…けなしてます?」
「いや?率直で客観的な印象を言ってる。」

師匠は前を向き、細く息を吐いた。

「世の中、どうにもならねェことっつーのは山ほどあるもんだけどよ、」
「?」
「やろうとした努力は、何らかの形で残るもんだな。」
“だから俺はまだ、お前の師匠で居てやれる”

どういう意味…?

「師匠、言ってることがよく分からないんですけど…。」
「当たり前だろ。分かんねェように言ってんだから。」
「えー…。」
「ほら、さっさと足動かせよ。んで大江戸マートに寄って、俺にイチゴ牛乳3本買え。」
「なんで私が…」
「しばらく面倒みてやるんだから、それくらい奢れ。」
「…べつに頼んでないのに。」
「なんだって?」
「なんでもありません。」

師匠はたぶん、私を励ましてくれたんだと思う。
なんだかんだで面倒見のいい人だから…きっと。

「師匠、」
「んー?」
「ありがとうございます。」
「……、…それで我慢してやるよ。」
「?」
「この恩はいつか倍にして返せよ。何にすっかなァー。」
「えっ、ちょ、無謀なものはダメですよ!?」
「とりあえずまァ金塊辺りを一本と…」
「いきなり無謀っ!」

師匠は自分の欲しいものを口にしていく。
無理難題ばかり求めるその横顔を見ると、どことなく寂しげに見えたけど、

「なに。お前の身体とか言ってほしかったわけ?」
「……。」

おそらくそれは、気のせいだ。



翌日、私は再び真選組の皆の元へ行った。
少し疲れた表情の山崎さんが「おはようございます」と笑う。

「今日は早雨さんだけですか?」
「あ、はい。師匠はちょっと……」


『なんで俺まで行かなきゃなんねェんだよ』
『昨日すごく山崎さんから頼りにされてたじゃないですか』
『知らねェよ。つーか、解散だの何だのはそっちの問題』

“俺は行かねーからな”


「…ちょっと、用事がありまして。」
「そうですか。来てくれると心強かったんだけどなァ…。」

…ですよね。

「すみません…。」
「いえいえ、早雨さんが謝ることではありませんし、用事があるなら仕方ないですから。」

罪悪感あるなぁ…。

「けどアレか!万事屋に頼ってるって知られると、副長に怒られちゃうよな。」

えっ…、

「確か局中法度にも『万事屋を頼った者は〜』とかあったし…」
「あのっ、」
「はい?」

山崎さんが首を傾げる。
私は次第に大きくなる心臓を押さえ、息を吸った。


「土方副長が戻って来たんですか!?」


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