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混色


その日の夜、私は桂小太郎に指定された場所へ向かった。

歌舞伎町の隅にある小さな神社。
人気のない境内に入ると、木陰からぬっと姿が現れる。

「遅かったな。」
「…買ってきましたよ、言われてた物。」

私は手にしていた袋を差し出した。
そこには、『んまい棒』が10本入っている。
おそらく報酬という意味で買わせたんだと思う。
…安すぎる気はするけど。

「好きなんですか?」
「好きではない。桃太郎好きだ。」
「も、桃太郎好き…?なんですか、それ。」
「最強に好きという意味だ。好きという言葉には、マジ好き、超好きという具合にグレードが上がる仕様になっている。」
「まぁ…そうですね。」
「超好きの上は鬼好きだ。その鬼を越えるもの、すなわち桃太郎。」
「あー…そこから。」
「この桃太郎を越える表現を俺は今探している。どうだろう、これからお前も一緒に探さぬか。」

…いや、あの、

「探しません。」
「そうか、残念だ。帰れ。」
「え!?」

今日ってこのために呼ばれたの!?

「ちょっ、え!?」
「くく。冗談だ。俺は銀時ほど、見返りありきで動くような男ではない。」

そう言いながら、早速『んまい棒』を1本開封する。
サクッと噛みつくと、むしゃむしゃ食べ始めた。

「言ってることと、やってることが違いますね…。」
「ほれほはくほひほふふぁ。」
「はい?」
「んぐむ。すまぬな、んまい棒に口の中の水分を恐ろしく奪われた。憎い奴だ。」

渋い話し方をしていても、
桂小太郎は「この〜☆」とでも言いそうなほどニヤニヤして『んまい棒』を見ている。

「さて、では2本目を食すか。」

サクサクと軽快な音を立てて食べ始める。

…というか、何?この状況。
桂小太郎の食べる様子なんてどうでもいいんですけど。
てっきり、土方副長に関わる何かをさせてくれるのかと思ってたのに。

「あの…私、帰りますね。」
「何を言う。お前の仕事はこれからだ。」
「…『んまい棒』に関することならお断りです。」
「仕事に大小をつけるな。」

桂小太郎は私に『んまい棒』を差し出す。

「どんなに意味がなく見えようとも、何かしら必ず後に繋がる。現にこれが今夜の重要な起爆剤だ。」
「起爆剤…?んまい棒がですか?」
「ああ。」

自信げに微笑む。

「分かったのなら、お前もそれを食え。」
「……わかりました。」

ほんとは全然わからない。
んまい棒が起爆剤って何?
『んまい棒は元気の素』とかいうオチならどうしよう。
本当にこの人を頼って良かったのかな…。

不安に思いつつ、んまい棒にかぶりつく。
渡されるまま3本も食べさせられて、
あろうことか、桂小太郎は私が持ってきた10本全てを完食した。

「よし、これで準備できたな。あとは俺に任せろ。」
「な、何を…」
「お前には関係のないことだ。…そう言えば、今日は銀時と話してないのか?」
「え?あ…はい。師匠は今朝から出払ってたので。」

珍しく、『今日は忙しい』と口にしていた。
それも神楽ちゃんや新八君を連れず、単独で。
『夜も遅くなる』とか言ってたから、女がらみのヤマシイ依頼を――
…いや、ないな。
師匠に限って、それはない。

「たぶん、どこかをほっつき歩いてると思いますけど、何か用でしたか?」
「用はない。だが接触がなかったのは都合いい。」
「?」
「紅涙、これから『すまいる』へ迎え。」

『すまいる』って…

「スナックの『すまいる』ですか?」
「ああ。その裏口で待機しておけ。そこから出てきた男共を、ひとまずここへ案内するのがお前の仕事だ。」
「…状況が、よくわからないんですけど。」
「それでいい。飛び出てきた男共をここへ案内する、それだけが分かっていれば十分だ。」

桂小太郎は薄い笑みを浮かべ、腕を組む。

「行け。報酬は後ほど催促する。」

あー…やっぱ『んまい棒』じゃなかったんですね。

「では、行ってきます。」
「気を付けてな。」
「…桂さんも。」

ひらりと軽く手を上げ、私に背を向ける。
…なんか、掴みどころのない人だったな。

きっと、これから私が案内する男達は桂小太郎の仲間だ。
数は多ければ多い方がいい。
たとえ『すまいる』の裏口から逃がすことが犯罪になろうとも、私は今できることをする。

それが私なりの恩返しになる。
そう、信じてる。



「ここ…でいいのかな。」

桂小太郎に言われた『すまいる』の裏口に立つ。

路地の狭間は薄暗い。
おまけにどの店舗の裏口も似ていてややこしい。
が、ゴミ箱に『すまいる』と書かれているここから一番近い扉が有力だろう。

「どうやって出てくるのかな…。」

普通にスッと出てくる?
だとしても、その人達は警戒してるよね。
なら私が道案内するって言って信じてもらえるのかな。
「桂小太郎に言われて来た」とか言っても、普通は信じない…でしょ。

…え、どうしたらいいんだろう。

「あー…もっと話を詰めておくんだった。」

結局これだ。
どんな時も、あとから気付く。
その場では次から気を付けようって心底思うのに、結果が出るまでまた抜けていることに気付かない。

そのせいで、一人あがくことになる。

「もうやだ…。」

重い溜め息を吐いて、背中を壁に寄りかからせた。
その時だった。

「キャァァァ!!」

店の中から女性の叫び声が聞こえる。

「何事…?」

悲壮感を漂わせる声音。
中へ入った方がいい?
でもここで男達が出てくるのを待たないと…

「どうしよう…、」

何をすればいいの?
何をするのが正しいの?

――ガシャンッ!!

ガラスの割れる音がする。

「…そうだ、警察。」

屯所は機能してなくても、別に警察署がある。
幕府の息が掛かる組織だけど、市民のこととなれば動くはずだ。

携帯を取り出す。
そこで目に入った。
私の腰にぶら下がる、沖田隊長の刀が。

「……、」

返せずじまいでいる刀。
まだ誰も助けていない刀。

「…これじゃあ、何のために借りたか分からないよね。」

刀を握る。

「…行こう。」

出迎えるはずだった男達のことは、中の状況を見て考えればいい。
私は裏口のドアノブに手を伸ばした。

すると、扉の向こうからドタドタと複数の足音が近づいてきて、

――バンッ!!

中の人が勢いよく扉を開けた。

「あ、ぶな…」

思わず仰け反り、視線が一瞬空を捉える。
そんな私に、

「紅涙!?」

聞き慣れた声がした。
この声は、

「し、師匠!?」

頬の傷テープは今朝もあったが、今は鼻から血を流している。
それどころか、両手には手錠がはめられていた。

「一体何が…」
「いいから行くぞ!」
「え?いや、私は中から出てくる男の人達を待つよう桂さんに――」

「それ俺達だろ。」
「!」

聞こえた声に、息を呑んだ。
師匠の後ろから薄く湧き出てくる煙。
それと共に視界に飛び込んできた姿は、

「…土方…副長…、」

私が会わなければいけない人だった。

「…だから、俺はもう副長じゃねェから。」
「あ…、…すみません。」
「つーか、なんでお前がこんなとこにいるんだよ。」
「っ、……すみません。」
「そういう意味で言ったんじゃ……、…はァ。」
「……、」
「おいおい、お前ら。今の状況わかってる!?」
“俺ら追われてんの!捕まったらヤベェのッ!!”

「行くぞ!」と師匠が駆け出す。
一緒に中から出てきたグラサンで髷(まげ)を結った男性と、同じく髷(まげ)の子供が後を追った。

私は頭の中が真っ白に、
…正確には、土方副長でいっぱいになっていて、足が動かない。

「…行けよ。」

土方副長が短い言葉を投げる。

「お前が待ってたってことは、どっかに案内するつもりなんだろ。」
「…はい。」
「なら、とっとと走れ。先を走ってやんねェと、アイツ勝手に走ってくぞ。」

アゴで私の後ろをさす。
振り返り見れば、師匠も振り返って「お前ら早くしろ!」と言った。


あの小さな神社に着くまでの間、
走りながら、スナックで起きたことを軽く聞いた。

まずグラサンの男性は小銭形平次、一緒にいる子供はハジちゃん。
男の子のようにタフな女の子だった。
二人は街の小さなトラブルを解決する同心だそうで、
最近仲間入りした土方副長…土方さんの歓迎会を『すまいる』でしていたらしい。

同心になってたんだな…。

師匠は歓迎会と知らずに来て参加したみたいだけど、
そこへ見廻組を引きつれた徳川喜々が来て、ひと悶着あったという。

「逃げるってことは、っ、はぁ、っ、何か良くないことをしたって、こと、っ、ですか?」

私は息も絶え絶えに師匠へ聞く。
ほぼ全速力で走りながら声を出すのは相当キツイ。

「違ェよ、俺は良くないことをしようとしたヤツを止めてやった側!」

そう言って、やや後方を走る土方さんを睨みつける。

「なのに俺のコレ見ろよ、手錠。こんなの付けられて追われて、アイツのせいで最近なんか災難続きだわ。」
「こういうことになる前に、もうお前は手錠はめてただろォが。…でもまァ……悪かったとは思ってるよ、俺も。」
「……くそォォ、言い負かしたのにモヤモヤする!紅涙!テメェ、後で覚えてろよ!」
「え!?なんで私がっ」
「このモヤモヤはお前のせいでもあるんだ!だからその身で払え!これまでツケてた分も帳消しにしてやるから!」
「ツ、ツケ!?そんな記憶、っ、ていうか、っ、はぁ、っなんでみんな、息、っ、切れてないんですか!?」
「そりゃァ単純にお前の体力不足だろ。」
「だな。」

ふっと土方さんが笑う。
随分と久しぶりに見たせいか、胸が甘く締め付けられた。

ああ…
やっぱり私、この人が好きだな。

「…い、おいコラ!紅涙!」
「っ、な、なんですか師匠。」
「前見て走れ!余裕ねェくせにボケっとしやがって。転ぶぞ!?」
「転びませんよ、ちゃんと足元くらい見てま―――っわ!」

足首をグネる。
師匠の驚く顔がスローモーションに見えて、私の姿勢は斜め後ろへと倒れた。

けれど、

――バフッ…!

地面に打ちつける衝撃はない。
代わりに背中を支えられてる柔らかさがあった。

「足、平気か?」

低い声が耳のすぐ傍でする。
ほんのりと香るのは、懐かしくすら思う煙草の匂い。

「立てないなら、俺が肩貸すから。」
「あ…いえ、……平気、です。」

立たせてもらい、手が離れる。

「無理すんなよ。」
「…、…はい。」

再び走り出す。
私を気にかけてくれているのか、土方さんのペースは少し落ちていた。

「……。」

見えない優しさが、胸に満ちる。
ほんの僅かな瞬間だったのに、
いつまでも、触れられた場所だけが温かいような気がした。


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