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向き合うこと


「ここ、っです。」

スナック『すまいる』から必死に駆け、
師匠と土方さん、小銭形さんとハジちゃんを連れて小さな神社へ入る。

「よ、よかった、っですね!誰にも、っはぁ、追われてない、みたいっ、」
「まァ今のところはな。」

師匠は境内の中を淡々と見て回る。
肺が千切れそうに苦しいのは、やっぱり私だけらしい。

「すぐに追って来ねェってことは、先に別の場所を潰す気だろォよ。」
「別の場所って?」
「万事屋。」
「え…」
「そうやって周りから攻めて、行き場のなくなった俺達を笑いながら消したいんだろ。」
“喜々の考えそうなことだ”

消す…。
それって…殺すって、こと?

「…師匠、」
「んー?」
「師匠は…いいんですか?」
「何が。」
「この件は元々、私達の…、」

そこまで言って、土方さんを見る。
『お前は真選組じゃない』って、また言われるかな…。

「……、」
「……。」

目が合う。
そらされるかと思ったけど、土方さんは私をじっと見たままだった。

「続けろ。」
「えっ、」
「話、続けろよ。」
「あ…、…はい。」

土方さんが懐を探る。
でも何かにハッとして、懐から手を抜いた。

煙草、吸わないんだ。

「で何だよ、紅涙。」

師匠が境内の下を覗き込みながら話す。

「“この件は元々〜”、なに?」
「えっと…元々は真選組の話なのに、師匠まで巻き込まれてしまっていいのかなって…」
「ああそういうこと。まァ真選組の話だけでもねェからな、っと。」

師匠は身を屈め、社殿の床下へ手を伸ばした。

「そりゃァ確かに?お前の言う通り、今は近藤のことでギャーギャーなってるし、俺は巻き込まれただけの可哀想な羊に見えるよな。」
「んな可愛いもんじゃねェだろ。羊と一緒にすんな。」
「うるせェよ。ほわんほわんで傍に置いておきたくなる感じが似てんだろうが。」
「どこがホワンホワンだ、くるんくるんの間違いだろ。」
「てめッ、それ天パのこと言ってんのか!?」
「他に何があんだよ。頭の中のこととか?」
「誰がクルクルパーだ!羊に謝れ!」
「お前が謝れ!」
「あーそこのお二方。そのへんにしときやせんか?」

ハジちゃんが苦笑いを浮かべて頬を掻く。

「いくら追手がなくても、同じ場所に留まり続けるのはちょっとアレかと思いやす。ね、アニキ。」
「そうだな。まァあえて待ってから逃げるというのも、スリリングで嫌いじゃない。」
「そこは戦えよ!このドMが。」
「ま、まァまァ。アニキの趣向は別として、とりあえず次の行動を考えやしょう。」
「だな。ガキが一番しっかりしてやがる。」

師匠は小さく鼻で笑い、社殿の床下から風呂敷を取り出した。

「それは?」
「ズラが置いてったもんだ。中は――」

風呂敷を解く。
笠と羽織、黒い長着が包まれていた。

「これって…」
「俺の着替えだな。今の格好で街をほっつき歩いたら、すぐにでも捕まっちまうから。」
「はっ、そういうことかよ。」

土方さんが吐き捨てるように笑った。

「巻き込まれたのは俺の方だったってわけか。」
「ああ?何の話だ。」
「初めからこうなる計画だったんだろ?幕府にケンカ売らせて、追い込ませて、俺のケツに火ィ点ける魂胆か。」
「はァ〜?どんだけ自己中な考えしてんだよ。世界が自分中心に回ってるとでも思ってんのかテメェは。」

師匠が羽織を手に取る。

「これはズラが勝手に置いてったもんだ。俺ァ知らねェよ。」
「どうだかな。」
「なんとでも思え。別に俺はお前に信じてもらいてェなんて気、さらさらねェから。」

やれやれといった様子で肩をすくめ、羽織を置く。
「ただな、」と師匠は話しながら、今着ている白い着流しから腕を抜いた。

「もし俺が幕府にケンカ売らせて追い込むつもりなら、あの時わざわざ殴られたりしねェわ。」
「……。」

土方さんが口を閉じる。
二人の間に何があったのかは分からないけど、師匠の言葉は間違ってないんだろうと思った。

「じゃあ俺、とりあえず着替えるから。」

言うやいなや、バサッと着流しを脱ぐ。

「ちょ、師匠!?こんなとこでっ」
「いいだろ、中は着てんだし。でもアレだな、上はいいとして、やっぱ下がゴワつくな。よし脱ごう。」
「師匠!」
「冗談だって。」

イジわるく笑い、黒い長着に袖を通す。
その上から羽織を着ると、笠を目深にかぶった。

「これからどうしやすか?」
「お前ら同心は帰れ。この先は俺達だけでいい。」
「しかし…」
「世話かけたな。」
「フッ。相変わらずハードボイルドなことを言いやがる。なら俺達は自由にさせてもらおえ。」
「アニキ、そんな簡単に…!乗りかかった船なのにっ」
「だから自由するんだ。」

小銭形さんの唇に薄く笑みが浮かぶ。

「お前らが出航する時には連絡を寄こせ。役に立つもんくらいは積んでやろう。アデュ。」

人差し指と中指を揃え、クイッと動かし立ち去る。
ハジちゃんは頭を下げて、その後ろ姿について行った。

「なんつーか、アイツってハードボイルドが邪魔してるよな。」
「仕方ねェだろ。今さらハードボイルドを抜いても、ただのドMしか残んねェし。」
「お前って上司運がねェよな。そこんとこ同情するわ。」
「だろ?自分の引きの良さが怖ェよ。」

師匠と土方さんは、遠い目をしながら二人を見送った。

「さてと、そろそろ俺達も動くとするか。」
「どこに行くんですか?」
「志村邸だ。そこならすぐには探しに来ねェだろうからな。つーわけで、お前らは先行ってろ。」
「え、師匠は…」
「俺は万事屋を見た後に向かう。残してきたアイツらのことも気になるし。」
“ま、どうにかしてるとは思うけど”

「じゃあ後でな」と言って、師匠が境内から出て行く。
残された私と土方さんは、師匠の姿が見えなくなるまで何も話さなかった。

…違う、
話す言葉が見当たらなかった。

「……、」
「……。」

他愛ない会話って、どうやってするんだっけ。
明るく話しかけるのも何だし、
だからと言って、暗い雰囲気で話しかけるのも鬱陶しいし…。

「…けよ。」
「?」

色々考えていると、土方さんの声が聞こえた。
顔を見上げれば、先程までが嘘のように険しくなった表情がある。

「お前は行け。」
「…え?土方さんはどこに行くんですか?」
「志村邸。」
「?だったら一緒に…」
「お前が志村邸に来る必要はない。」
「……、」

そういうことか…。

「早雨は俺達と逃げるところを見廻組に見られてねェだろ。普通の顔して歩いてりゃ捕まんねェはずだ。」
「…そうですね。」

親しい者として話は聞かれるかもしれないけど、逮捕はない。
何より私は…


『もう一人の男は欲深すぎて使いものにならなかったけど、アナタは違った』
“異三郎も喜んでいたわ、『この先も駒にしたい』って”


見廻組に、買われていた人間だから。
いざという時は、どうにでもなるような気がする。

「自分の居場所へ帰れ。」
「……それは、…土方さんにとって、迷惑…だからですか?」
「……、…そうじゃねェ。けど…、…分かったんだよ。」

眉間に皺を寄せる。

「お前が真選組のために必死なのは、とっつぁんのせいなんだろ?前に、『恩を返してから辞めろ』って言われたやつ。」

…それもある。
でも今は、それだけじゃない。
真選組のことが本当に大切だから、辞めさせられるきっかけを理由にして、しがみついてる。

けれど、土方さんは私を認めない。
迷惑で、真選組にいらない存在だと思ってる。
それはつまり、私に恩返しさせてもらえる機会は訪れないということだ。
相手に喜ばれて、初めて恩返しは成立するんだから。

私はずっと、傍にいれるということだ。

「もう、十分だろ。」
「…?」
「早雨は十分、真選組隊士として職務を全うした。」
「!」

なんで…

「これ以上、お前をこっち側に…引きずり込みたくはねェ。」

なんで急に…

「認めるよ。」
「…して、」
「お前は、よくやった。」
「どうして…っ、」

どうして急にそんなこと言うの?


「今までありがとな、早雨。」


風の音が耳につく。
土方さんは私に背を向け、足を進ませた。

風は何も届けない。
あの時みたいに、
煙草の匂いも、残り香のような言葉も、何も届けない。

ただ敷石を踏みしめて立ち去る足音だけが、静かな境内に響いていた。


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