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同心 小銭形平次


星の瞬く空の下。

「あれが黒縄島か。」

私達は明朝だった出発を早め、近藤局長達の奪還へ向かった。

「よし。全員予定通り、船に乗り込め。」

脱出不可能の監獄島へ入るには、移送船で収監される囚人にまぎれて潜入するしかない。
私は土方さんから「随時指示を出す」と言われていたので、土方さんと同じ移送船に乗った。

「移送船の役人は、あちきらが抱きこんだ。」
“みんな新政権に一泡吹かせてやるって、喜んで協力してくれたよ”

ハジちゃんが囚人服を配りながら話す。
小銭形さんも来てくれていて、暗い夜にも関わらずハードボイルドにグラサンをかけていた。

味方の船は、この移送船と別働隊の小舟が数隻。
土方さんの指示で分かれた真選組隊士と攘夷志士が、同じ船に乗り合わせている。

「真選組と桂一派だ、一瞬で終わる。」

互いの顔は険しくても仲違いすることはない。
色んな意味で新鮮な光景だった。

「あっ、黒縄島の迎えの船でやんす。」

ハジちゃんが黒い海の先を指す。
囚人を海上で引き渡すための船が、ゆったりと近付いてきていた。

「準備はいいでやんすか、みんな。」
「ちょっと待て。最後に一本吸わせてくれ。」

土方さんが煙草を口にする。
小銭形さんはジッポを取り出し、火を点けた。

「ハードボイルドに決めてきな。暴れ過ぎて、ゆくあてがなくなっても――」

葉巻を咥え、二人で同じ火に顔を近づける。
煙は緩やかに上って、

「お前にはここに、もう一人上司がいる。」

小銭形さんの葉巻に、土方さんの煙草に、小さな赤い灯りをともした。

それに対し、土方さんは目を伏せて小さく笑う。
同心だった期間は僅かだったのに、妬けるほど良い関係に見えた。

「そう言や副長、早雨さんはどうするおつもりで?」

ふと気付いたようにハジちゃんが言う。

「あちきの用意した服はもうありやせんし、書類の偽造もなく一緒に潜入するとなると…」
「心配するな、置いていくつもりだ。」
「「え?」」

私とハジちゃんの声が揃った。
『置いていく』って…何?

「どういうことですか?」
「早雨は小銭形達と残れ。」
「なっ…急に何言って……」
「初めからそのつもりだ。」
「!」

…本気?
だって…だって私を雇ったんでしょう?

「一緒に近藤局長を…、松平長官を助けるために、呼ばれたんじゃなかったんですか…?」
「だから残らせるんだ。俺達の目的は近藤さんやとっつぁんの奪還。行き道だけじゃなく、帰り道を確保することも重要な――」

『桂さんも忘れるなよ!!』

突如、私と土方さんの間にプラカードが割って入った。
白くて大きな物体…じゃなく、エリザベスさんだ。
桂さんと最も親しい仲だそうで、実際、今の攘夷志士をまとめているのも彼。

桂さんはと言うと、師匠たちを逃がした後から姿が見えないらしい。
おそらく近藤さん達と同じ黒縄島に収監されているとみて間違いない。

『お前らのゴリラはついでで、桂さんがメインだ。桂さんを助けるのが先だからな!』
「あーはいはい、そうだな。」

土方さんがプラカードを片手であしらう。
すると今度はスケッチブックが割り込んできた。

『そっちを助けるのは局長の後だ!』
『黙れ!半目キャラは二人もいらねェんだよ!』
『うるさい!えせオバ9!』
『アフロのズラ!』
『ズラじゃない、斉藤だ』
『それ桂さんの!』

ギャーギャーと絡まる二人に、

「お前ら向こうでやってくんない!?」
“つか、斉藤までとっつぁんを忘れてるじゃねーか!”

土方さんが声を上げる。
斉藤隊長は『すみません』と書いたスケッチブックを見せた。

「もういい。そもそも話題がズレてんだよ。」
『何の話をしてたんです?』
『私の囚人服が特大サイズでいくらかかったのかという件なら――』
「違ェよ!」
「ほらほら、お二方。アホするのはその辺にして。」

ハジちゃんが斉藤隊長とエリザベスさんの背中を押す。

「副長、あちきらは向こうにいやすんで。」
「悪いな。」
「いえ。アニキで慣れてやすから。」

ニコッと笑い、二人の背を押して立ち去る。
ほんと、どこまでも気が利いて空気の読める子だ…。

「話は戻るが、早雨。」
「……なんですか。」
「はァー…。わかんねェやつだな。」

溜め息を吐き、目頭を押さえる。
うんざりした様子の土方さんに、私は「だって」と言った。

「だって…待ってるだけなんて…っ、来た意味ないじゃないですか。」
「意味はある。お前には小銭形やハジと一緒に、俺達のいない江戸を護ってほしいんだ。」
「そんなっ」
「『そんなつもりなら来なかった』?」
「っ、」
「それとも、俺の依頼なんて引き受けなかったか。」
「……、」
「甘いんだよ、お前。」

煙草をつまみ、ふぅと煙を吐く。

「これから依頼を受ける時は、もっと話を詰めてからにしろ。」

…そんなの、言われなくても私が一番分かってる。
でも土方さんだから、
土方さんと一緒だから、何でも出来るかなって、思ってた。
それがまさかこんなことを言われるなんて…。

「こんなだから、あんな奴の依頼も引き受けちまうんだ。受けてなかったら、今頃平和に過ごせてただろうに。」
「……、」
「悪いが、今回の依頼をなかったことにするつもりねェからな。悔やむなら――」
「悔やんでなんていません。」
「……。」
「真選組に入隊する依頼も、引き受けたこと自体を悔やんだことは一度も…なんて言うと嘘になりますけど、」

私があの依頼を受けたせいで、真選組には数えきれない迷惑をかけた。
自分の軽はずみな行動を反省したし、引き受けなければ良かったと何度も思った。

「けど、あの依頼がなかったら…私は今、ここに立ってなかった。」
「早雨…。」
「そうやって名前を呼んでもらえることも、きっとなかったと思うから…」

今この瞬間だけじゃない。

同じ猫を追いかけたり、
松平長官からかばってもらったり、
甘い物と一緒に、副長室で話を聞いてくれたり。
全部、依頼を引き受けなければ始まらなかった。

もちろん、気持ちが繋がることも。

「だから、後悔はしてません。土方さんの依頼を引き受けたことも。ただ、ここで待つという指示が――」
「わかってんじゃねェか。」
「…え?」
「今回の依頼者は俺だ。なら、黙って指示に従えるはずだよな。」

『依頼中は真選組の指示に従い行動する事』
契約書の一文が頭をよぎる。

「っ…、」
「お前の役目は、俺達が奪還を成した後の帰り道になる。十分、大事な役割なんだ。」

唇から煙草を離し、土方さんが僅かに微笑む。

「頼んだぞ、早雨。」
「…、…っ。」

断る言葉は、出せなかった。
でも、頷くことも出来なかった。

唇を噛み、うつむくと、

「ったく、強情なヤツだな。」

土方さんがフッと笑い、私に手を伸ばす。
その時だった。

「ふ…副長、」

見張りの隊士が、海を見つめて声を上げた。

「むこうの船の様子が、」

先ほど近付いてきていた船だ。
波に押されるように、ゆったりと夜に混じりながら距離を縮めている。

…けれど、

「こちらに近づいてくるんですが、」

その船は、

「人の気配が……」

異常だった。
船員が見当たらない。
こちらの明かりが漏れて、向こうの船上を映し出す。

私達が目にした光景は、
甲板に広がる血と、船員の死体だった。

「!!」
「舵を切れェェェェェ!!」

すぐさま土方さんが指示を出す。

「あの船から離れ――」

しかし間に合わず、船の側面に砲弾を受ける。

「キャァァ!」

間近で受ける衝撃は酷く、膝から崩れた。
船はたちまち炎上し、傾き始める。

「どう、して…?」

人の気配がないあの船から、どうして砲弾が…。

考えながら顔を上げる。
瞬間、

「っ紅涙!!」

私の名前を叫ぶ土方さんの声と、
目の前に飛び出してきた数人の人影が、頭の中でぶつかった。

人影は皆、刀を振り上げている。

「え…、」

なに…?

――ガキィンッ

金属の音と、小さなつむじ風。

「何やってんだバカ!」

目の前に、いつの間にか土方さんの背があった。
私に振り下ろされた刀を受け、弾き返して斬る。

「ボーっとしてんじゃねェ!お前も刀抜け!」
「はっ、はいっ!」

腰の刀に手を当てる。
思えば初めての実践だった。
扱い方を学んでも、本当に誰かを斬ったことはない。
…できるの?私に。

「早くしろッ!」

土方さんは次々と薙ぎ倒していく。

「…奈落、何故ここに!?俺達の動きが読まれていたとでも…」

『奈落』と呼ばれた集団に容赦はなく、
土方さんですら、船上に攻め入る者と浴びせられる砲弾に翻弄されていた。

「チッ!」

舌打ちして、私を振り返る。
「まだか」という目に慌てて刀を抜いた時、
新たに船へ乗り込む人影が、土方さんに向かって刀を振り上げた。

「っ土方さん!」

こういう時、瞬時に身体が動けばどんなに良かっただろう。
私がもっと役立つ存在だったなら、

――ドッ

小銭形さんが、

「っ!」

土方さんを庇い、その身を斬られることもなかったのに。

「小銭形!!」
「小銭形さんっ!!」

片膝をつき、崩れ落ちる。
斬りかかってきた男は、ドシャリと音を立てて倒れた。

「しっかりしろ!!オイ!!」
「ヘッ。ようやく上司らしい事ができたかな。」

小銭形さんは自分の肩を押さえ、脂汗を浮かべる。
指の隙間から血をにじませていた。

「早く治療しないとっ…!」
「今はそんなことしてる場合じゃないだろ、紅涙さん。」

苦笑いする小銭形さんに、土方さんも困惑した表情を見せる。
そんな土方さんを、小銭形さんは小刻みに震えながら見上げた。

「このままじゃこの船は沈む。ここは俺達に任せて、お前さんはあの船黙らせてきな。」
「しっしかし…!!」
「まさか鬼の副長が怪我人をおいていけねェとでも…。ガッカリさせるなよ。」

どこかで爆発の音がして、船が大きく揺れる。
甲板の隅に、頭を抱えてうずくまるハジちゃんが見えた。

そこに迫る、奈落の影。

「言ったはずだ、」

私は小銭形さんの声を頭の隅で聞きながら、駆け出した。

「俺の仲間は、そんなにヤワじゃない。」

奈落がハジちゃんに刀を振り上げる。
ダメだ、私の足じゃ追いつかない…!

「ハードボイルドな男の仲間は、」

私は鞘に入ったままの刀を、槍のように投げつけた。
…でも、

「みんな、ハードボイルドだ。」

突如ハジちゃんの背後に現れた人影が、奈落を打ち倒した。
右手に握る木刀を勇ましく振り下ろしたその人影は、

「新八君…、」

師匠の弟子、新八君だった。

「遅くなってすみません。」

眼鏡を上げ、ニコッと笑う。
私は見違えたような彼の姿を驚くのと同時に、自分をどこまでもふがいなく思った。

「もう大丈夫ですよ。銀さんと神楽ちゃんも来てますから。」
「……はい。」

誰に当たることもなく、ただ転がっただけの刀を拾う。
その後の戦いも、私は完全に戦力外だった。

攻めてきた奈落が一掃されるその時まで、
甲板と海上の小舟で繰り広げられる戦いを見ていることしか出来ず。
護るために、奪還するために来たはずが、
私が護られ、奪還の足手まといになっていると、否が応でも痛感した。


しばらくして、向こうの船は沈没。
乗ってきた移送船も徐々に沈み始めたため、
緊急脱出用の小舟と、持ちこたえた小舟に乗り分け、黒縄島を目指すことになった。

「移動前に、アニキの傷の手当てをしてもいいでやんすか?」

ハジちゃんが道具を片手に、土方さんに尋ねる。
土方さんは「頼む」と言って、隊士や攘夷志士の皆と共にこれからの話を始めた。
そこには師匠や新八君、神楽ちゃん達の姿もある。

私は…、…参加しなかった。

小銭形さんの元へ行き、
ハジちゃんに包帯を巻いてもらう傍で、頭を下げる。

「小銭形さん、申し訳ありませんでした。」
「それは何の謝罪だ?」
「私が斬れなかったから…、動けなかったから、小銭形さんが怪我をする羽目になって…っ」
「キミは向いてないんだな。」
「え…」

頭を上げる。
小銭形さんは口元に柔らかな笑みを浮かべて言った。

「キミは、こういう世界に向いてない。」
「っ……、…そう、ですね。すみません。」

『向いてない』
それに尽きる。反論も反発もできない。
ここにきてようやく身の程を知った。

「…本当にすみません。」
「落ち込むことはないだろ。アイツの力になるのは、何も肩を並べることだけじゃない。」

見透かされているような言葉に、思わず目を見張る。

「どういう…意味ですか?」
「誰しも羽を休める場所は必要だ。男は特に、帰る場所があれば頑張れる。」

小銭形さんが土方さんの方へ見た。

「どこでもいいわけじゃないんだ。また飛び立つために、安心できる場所でなければならない。」
「……、」
「それを、キミならアイツに作ってやれる。」
「小銭形さん…」
「帰る場所になってやれ。」

優しく、私に微笑む。

「周りと同じ力を付けようとする必要はないんだ。キミにしか出来ないことをすればいい。」

その言葉に胸が痛くなった。
鼻の奥が、ツンと痛くなる。

「あまり、頑張りすぎるなよ。」
「っ…、…ありがとう、ございます。」

おそらく私は、今やっと、『自分』を受け入れられたんだと思う。

特別な力もなく、
大して役に立つわけでもない、
どこにでもいそうな、平凡で、情けない自分を。
それが私であり、誰でもないんだって。

自分を、

「残ります…、…土方さんのために。」

やっと、認められたんだと思う。


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