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想えばこそ


「ではこの先は小舟で黒縄島を目指す。全員、気ィ引き締めてな。」
「「オォォォォォ!!」」

土方さんの声に、意欲に満ちた声が重なる。
奈落の襲撃で負傷者は出たが、誰一人として後ろ向きな気持ちの者はいなかった。

「副長!また奴らが来ても、追い返してやりましょうぜ!!」
「これだけの戦力なら怖いもんなしだ!!」
「そりゃ頼もしいな。本番は上陸後だ、温存しとけよ。」
「はい!!」

生き生きとした隊士達は、土方さんと声を交わしてから小舟に乗り込む。
それをぼんやり見ていると、背後から「紅涙」と呼ばれた。

「師匠、」
「怪我はねェか?」
「…はい。師匠も?」
「おう。まァ早速、服は汚れちまったけどな。」

いつもの白い着流しを掃う。

「お前はどの船に乗るんだ?」
「私は…、…乗りません。」
「?」

掃っていた手を止め、師匠が顔を上げた。

「乗らないって、どうすんだよ。」
「……江戸に戻ります。」
「はァ?ここまで来て何言ってんだ。今からだろォが。」
「はい。でも…私は小銭形さんとハジちゃんと一緒に、江戸を護ることにしました。」
「なんだそれ…。」

ぽかんと口を開け、信じられないといった顔をする。
私は苦笑した。

「近藤局長達を…真選組を、…よろしくお願いします。」
「…バカ言うなよ。ンなこと、任せられても迷惑だ。」
「すみません。」
「土方は?」
「え?」
「土方は知ってんのか。」
「…土方さんの指示ですから。」
「その指示を文句言わず黙って従うのかよ。」
「はい。…ついさっきまでは違ったんですけど、従うことにしました。」
“だからこれから土方さんに言ってきます”

弱く笑う。
師匠は少し眉を寄せた。

「納得してねェんなら、ちゃんと言ってこい。そうじゃねェと後悔するぞ。」

『後悔』
なんだかよく聞くな…この言葉。

「俺でも正直、黒縄島ではどうなるか分からねェと思ってるぐらいだ。先延ばしにするなら今のうちに――」
「大丈夫です、ちゃんと納得してます。」
「……。」
「小銭形さんが言ってくれたんです。私には、土方さんの帰る場所を作れるって。」


『周りと同じ力を付けようとする必要はないんだ。キミにしか出来ないことをすればいい』


「だから…私は江戸で、帰る場所を作って…待ってます。」
「ならなんでそんな泣きそうな顔してんだよ。」
「え…」
「行きてェんだろ?本当は。」
「……、」

行きたいか行きたくないかと聞かれると…行きたい。
でもそう口にしたら、せっかく決めたことまで揺らいでしまう。

「紅涙、言ってみ。」
「……私は、」

納得してる。
小銭形さんやハジちゃんと江戸を護ることに、

「私は……」

江戸で、土方さんの帰る場所になることに……

「……、…行きたい。」
「聞こえねェ。」
「…一緒に、…行きたい。」

土方さんと、

「一緒に…っ、いたい、」

やっぱり、近くにいたいよ。

「よく言った。」

頭にポンと手が乗る。

「小銭形が言ったことは間違ってない。でも、それを江戸でする必要はねェだろ。」
「つまり…?」
「お前の居たい所で、帰る場所を作ればいいってこと。例えば、あそことか?」

そう言って、親指で海の方をクイッと指した。
あるのは小舟だ。

「…だけど、戦いの邪魔にならない所じゃないと」
「妙と居りゃァいい。」
「たえ?」
「新八の姉だ。アイツも来てる。」

師匠が海を見る。
視線の先に目を凝らすと、
確かに、神楽ちゃんと新八君以外にもう一つ影があった。

「アイツは斬り合いなんてもんをするつもりなく、ここへ来た。『救護くらいは出来る』ってな。」
「……、」
「小銭形と江戸を護るのもいいが、現実問題、紅涙一人が居ようが居まいが結果は変わらねェ。」

師匠の視線が私から外れる。
けれどまたすぐに目は合い、やんわりと私に笑った。

「それならお前一人の存在で、野郎の結果を左右させる方が価値あるんじゃねェの?」
「師匠…、」
「なんだかんだ言っても、やっぱ好きなヤツが近くにいるとモチベーションも上がるしよ。」
「ふふ、それは経験談ですか?」
「……まァな。俺ってば経験豊かなモテ男だから。」

そう言って片眉を上げる。
…あれ?でも『好きなヤツ』って…、

「師匠は、土方さんが私を好きなこと知ってたんですか?」
「だいぶ前からな。…って、お前も知ってんのかよ。」
「はい。ここへ来る前に。」
「そうか…。……、」
「?」
「…よかったな。晴れて両想いじゃねェか。」

ニッと笑う。
でもどことなく目に力がない。

もしかすると、
土方さんとは犬猿の仲だから、無理をして喜んでくれてるのかな。

「ありがとうございます、師匠。」
「何の礼だよ。俺がお前らのキューピットなわけでもあるめェし。」
「そういう部分もありますよ。」
「ねェよ、やめろ。」

ひらひらと手を左右に振る。
そこへ、

「何話してんだ。」

土方さんがやってくる。
腕組みして、眉間に皺を作って。

「こんな時にノン気なもんだな。仲良く喋りやがって。」
「おいおい鬼の副長がヤキモチかァ?気持ち悪。」
「うるせェ。お前はとっとと船に乗れ。出発するぞ。」

アゴで小舟の方をさす。
師匠は肩をすくめ、「はいはい」と言って私の手を掴んだ。

「じゃあ行くか、紅涙。」
「え、あ…」
「ッ何やってんだよテメェは!」

土方さんが雑に私と師匠の手を解く。

「紅涙――じゃねェ、早雨が乗るのは小銭形の船だ。触んな。」
「そうなのか?紅涙。」

師匠が私を見る。
私は一度目を伏せて、土方さんを見上げた。

「私は、万事屋の船に乗ります。」
「おまっ…何言って」
「実力不足で足手まといになることは重々承知してます。だから私はお妙さんと救護に回ることにしました。」
「救護……だと?」

苛立つ視線は、そのまま師匠に向けられる。

「テメェの入れ知恵か、万事屋。」
「さァ?」
「師匠は悪くありません。決めたのは…私です。」
「……。」
「一度は江戸へ戻ろうと思ったんです。けど…私、やっぱり土方さんの傍にいたいから。」
「……、」
「少しでも、近くで出来ることをさせてください。皆と一緒に、私も。」

土方さんの目は、とても許してくれそうにないものだった。
表情も険しくて…難しくて、

「…勝手にしろ。」

そう言って背を向ける背中に声を掛けられないくらい、刺々しい空気をまとっていた。

「気にすんなよ、紅涙。今はあれが限界だ。」
“手放しに喜べるわけねーから”

…そうですね。

「行くぞ。」
「はい、…。」

師匠の後に続く。
甲板を歩き、沈みつつある移送船の縁に立った。

「銀ちゃーん!こっちアルー!!」

海上で小舟に乗った神楽ちゃんが手を振る。
移送船から小舟まで5m弱。
高さは…それなりに高い。

「紅涙、飛べるか?」
「が、頑張ります。」
「安心しろ。海に落ちた時は、俺が盛大に笑ってやる。」

師匠は小さく笑って軽やかに飛んだ。
トンッと着地すると、小舟が僅かに揺れる。

「す、すごい…。」
「来いよ。」

私は頷き、

「…、……。」

後ろを振り返った。
少し離れた場所に、黙ってこちらを見る土方さんがいる。

「……。」

口を閉じ、怒ってるみたいな顔をして。

「…土方さん、」

おそらく私の声は聞こえない。
それでも、

「…どうか、ご無事で。」

言わずには、いられなかった。

「待ってますから…、」

皆のこと、…土方さんのことを。

「ちゃんと、帰ってきてくださいね。」

私の元へ。

「……、」
「…紅涙、早くしろよ。」
「っ、はい。」

師匠の声に振り返る。
船の縁に足を掛け、ぐっと踏み込んだ。

飛び移る間際まで、
土方さんが何か声を掛けてくれるんじゃないかと期待した。

「……。」

けど、何も言ってくれなかった。

土方さんは私が江戸へ戻らないことを心底怒ってる。

嫌われちゃったかな…。
本当は「好き」なんて気持ち自体が勘違いで、
江戸に戻ったら
「黒縄島へ行く前だったから、ちょっと興奮気味だっただけ」
とか言われるんじゃ…

「ありえる…。」
「何がですか?」

隣に座る新八君が小首を傾げた。

「い、いえ…何でもないです。」
「心配事なら聞かせてください。僕、こう見えて聞き上手な方で――」
「新ちゃん、」

後ろに座っていた新八君の姉、お妙さんが柔らかに声を上げる。

「がっつく眼鏡は、鬱陶しいだけのインテリよ。」
「…すみません姉上。その言い方には少し語弊があるような」
「語弊?どの辺りにかしら。」
「ど…どこにもありませんでした。」

新八君は顔を引きつらせながら進行方向を見つめる。
お妙さんは、やんわりと私な微笑んだ。

「ごめんなさいね、紅涙さん。悪い子じゃないんだけど、あまり女性と話したことがなくて…」
「あああ姉上!?こんな時に僕の余計なカミングアウトはやめてもらえませんか!?」
「余計じゃないでしょう?あなたを知ってもらっておいた方が、後々女の子を紹介してもらう時の役にも――」
「もういいですから!!」
“ていうか、紹介してもらうつもりないし!”

ふふっ、仲のいい姉弟だな。

「新八ィ〜、ダベってないで船を漕ぐアル。」
「そうだぞー。アイツらも船に乗ったみてェだし、出遅れねェように早く漕ぎ始めろ。」
「あっはい!すぐに…って、そう言う銀さんも漕いでくださいよ!」
「俺は双眼鏡で様子見る係だから無理。キャパオーバー。」
「キャパちっさ!」

万事屋の舟は、どこであっても万事屋だ。
明るくて賑やかで、私のよく知る3人がいる。

それでもどことなく緊張感をはらんでいるのは、
全員、口では言い表せない胸騒ぎがあったからかもしれない。

あの島にあるのは、間違いなく悲惨で過酷な戦いだから。

「…紅涙、」

師匠が呼ぶ。

「はい?」
「あのよ、……。」

海の先を見つめながら、肩が小さく上下した。
まるで深呼吸したみたいに。

「……、」
「…師匠?」
「ああ。……あのよ、」

そして背中を向けたまま、


「俺、お前が好きだわ。」


私に、そう言った。


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